中村七之助結婚した妻は芸妓?家系図や本名は?松本潤とは?なぜ女形?
もくじ
中村七之助さんのプロフィール
中村七之助さんは、歌舞伎界の名門中村屋に属する女形の役者です。
1983年5月18日、東京都に生まれました。

十八代目中村勘三郎の次男として、幼少期から歌舞伎の厳しい世界に身を置きました。
1986年、まだ七之助さんが3歳の頃に、歌舞伎座の舞台『檻』で祭りの子・勘吉役を務め、波野隆行の名で初お目見得を果たします。
わずか半年後の1987年1月には、『門出二人桃太郎』の弟の桃太郎役で二代目中村七之助を襲名し、初舞台を踏みました。
幼い頃は、兄の中村勘九郎さんと共に父の稽古を見守る日々を送り、歌舞伎の型や心構えを自然と吸収していきました。
学歴については、暁星小学校を卒業後、文京区立第五中学校に進みます。
その後、芸能人の多い堀越高等学校に進学し、歌舞伎の稽古と並行して学校生活をこなしました。
高校時代は多忙を極めましたが、同級生との交流も大切にしていました。
現在、七之助さんは女形を中心に古典から新作まで幅広い役柄をこなしており、歌舞伎の伝統を継ぎながら現代的な表現で観客を魅了しています。
中村七之助結婚した妻は芸妓?
中村七之助さんは、2025年4月18日に結婚を発表しました。
お相手は杏奈さん、結婚当時35歳の京都出身の方です。
杏奈さんは、京都の宮川町で舞妓として活躍した過去を持ち、芸名はとし真菜でした。
三味線や小唄の腕前が評判で、花街の舞台で華やかな芸を披露していました。
二人は数年前に共通の知人を通じて出会い、交際を始めました。
七之助さんは以前「兄に子供がいるので、もう跡取りもいるので、結婚しなくても…」という主旨のコメントをされており、結婚願望が薄いようでしたが、杏奈さんの芸事への真摯な姿勢と穏やかな人柄に心惹かれたようです。
婚姻届は杏奈さんの35歳の誕生日である4月22日に提出されました。
結婚式は2025年6月30日、東京のホテルオークラで執り行われ、約600人の関係者が集まりました。
七之助さんは、杏奈さんを「芯が強く、支え合える人」と評し、梨園の妻として共に歩むことを誓いました。
杏奈さんは、花街時代に身につけた気品を活かし、七之助さんの舞台を陰で支えています。
杏奈さんの芸妓経験は、七之助さんの女形演技に新たな視点を与えるなどプラスとなるでしょう。
二人は、伝統芸能のつながりを体現する夫婦として、今後も注目が高まります。
家系図や本名は?
中村七之助さんの本名は波野隆行です。
中村屋の家系は、江戸歌舞伎の開祖である初代中村勘三郎に遡り、代々勘三郎の名跡を継承してきました。
家系図を概観すると、祖父は十七代目中村勘三郎で、祖母は浪曲師の東家浦和でした。
東家浦和は、戦後の浪曲界を牽引し、中村屋に独自の芸風を加えました。
父の十八代目中村勘三郎は、歌舞伎の革新者として古典と現代を融合させ、2012年に49歳で逝去しました。
母は波野好江で、七代目中村芝翫(しかん)さんの次女として誕生し、九代目中村福助の姉にあたります。
中村勘三郎さんと波野好江さんは、同じ歌舞伎界の家の子として、幼なじみでした。
波野好江さんは、子供ながらに、将来お兄ちゃんと結婚すると思っていたそう。
夫婦喧嘩は、時に足蹴りや取っ組み合いのけんかをしていたというエピソードも、幼い頃から一緒に過ごしたならではの、兄妹げんかの延長ようなものなのかな?と思います😅
兄は六代目中村勘九郎で、2歳上の兄弟です。
勘九郎さんは父の遺志を継ぎ、中村屋の中心として活躍しています。
そして、勘九郎さんの妻というと、元女優の前田愛さん。
前田愛さんは、子役時代から活躍されており、フジテレビ系列で放送されていた「あっぱれさんま大先生」で、レギュラー出演していました。
この「あっぱれさんま大先生」の誕生には、七之助さんの父親である勘三郎さんが関係しているのだそう。
勘三郎さんが6歳の頃出演していたニッポン放送のラジオ番組「勘九郎・のり平の大人の幼稚園」にヒントを得て誕生した番組なのだそうです。
その番組は、子供である勘三郎さんが先生となり、俳優・コメディアン・演出家として活躍されていた三木のり平さんが大人であるのに、生徒役。
子供が大人の相談に答えるという内容の番組から、着想を得て「あっぱれさんま大先生」が誕生したのだそう。
その番組に将来中村家に嫁ぐ娘が出演していたなんて、不思議なご縁を感じます。
勘九郎さんの長男は二代目中村長三郎くんで、2013年生まれで、次世代の担い手として期待されています。
伯母には女優の波乃久里子がおり、芸能一家の血筋が七之助さんの演技に深みを加えています。
中村屋の屋号は「中村屋」で、定紋は角切銀杏、替紋は丸に舞鶴です。
この家系は、伝統を守りながら革新を続けることで知られ、七之助さんはその末裔として父の教えを胸に活動しています。
余談ですが、「中村」と名前の付く歌舞伎役者はたくさんいますが、屋号に違いがあり、中村七之助さんは、兄とともに「中村座」の「中村屋」。
中村橋之助さんや中村梅雀さんは「成駒屋」。
「播磨屋」は、中村吉右衛門さんがいらっしゃいましたが、2021年に公演後のレストランにて倒れ、急逝。
現時点では、後継者が決まっておらず「尾上家」のどなたかが引き継ぐのでは?という話が見られます。
そして中村獅童さんは、「萬屋」です。
なぜ、屋号違いの中村と名がつく役者さんがいるのかというと、江戸時代にさかのぼります。
当時、舞台小屋が乱立した時期がありました。
火災が起こった際、火消したちが火元の隣の家屋を壊すことで延焼を防いでいましたが、舞台小屋は大きく壊すにも時間がかかるため、江戸中期から後期にかけて興行権は認可制となりました。
最終的に、櫓(やぐら)を建ててよいとしたのは、中村座・市村座・森田座のみとなり、これを「江戸三座」と呼ぶようになりました。
この江戸三座のなかで、中村七之助さんの「中村座」はもっとも古い座号となっています。
数代家系図をたどると、血縁関係がある中村さんとなる事もありますが、養子や弟子入りで入門されている場合もあるので、すべてが血縁関係であるわけではないのですね。
松本潤とは?
中村七之助さんと松本潤さんは、堀越高等学校の同級生で、20年以上続く親友です。
二人はクラスが一緒で、兄弟のように一緒に登校していました。
高校時代の二人のエピソードとしては、テスト前には、松本潤さんは中村家で泊りがけで勉強をしていたそうで、時に松本潤さんが一般クラスで頭のいい子を中村家に呼んで勉強を教わっていたそうです。
高校の後輩の尾上松也さんからは、二人は高校の2トップで俺たちは配下だったと冗談のような本当のような階級について語ってくれました。
高校時代ではありませんが、七之助さんの父親である「十八代目 中村勘三郎」が逝去された時、公演中の勘九郎・七之助に変わり、松本潤さんが弔問客の対応をされていたそうです。
本当に家族と変わりない関わりを持っているのですね。
二人の初共演は、2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』でした。
松本さんが徳川家康役、七之助さんが石田三成役を務め、対立する武将として激しい演技を交わしました。
また、2025年の七之助さんの結婚披露宴に松本さんが出席し、ケーキ入刀のBGMに『One Love』をリクエストしたエピソードも話題になりました。
芸能界の異なる分野を越える、素敵な友情ですね。
なぜ女形?
中村七之助さんが女形を専門とするのは、中村屋の伝統と坂東玉三郎さんのご指導を受けていらっしゃるそうです。
次男として生まれた七之助さんは、幼少期から父の勘三郎のもとで女形の稽古を積みました。
歌舞伎では、家系ごとに男形と女形の役割が分担されるのが慣例で、中村屋は女形の系譜を継ぐ家柄です。
十代の頃は立役を主に演じていましたが、兄の勘九郎さんが女形もこなす中で、七之助さんは女形の可能性を探求しました。
転機は2006年の新春浅草歌舞伎です。
玉三郎に『仮名手本忠臣蔵』のおかるを実演してもらい、「我慢や忍ぶイメージが一変し、神髄に触れた」と涙を流しました。
当時22歳のこの体験が、女形の道を決意させるきっかけとなりました。
玉三郎は、父の勘三郎の親友で、七之助さんの大恩人です。
物心つく頃から楽屋で「あなたは女形をやりなさい」と勧められ、声の出し方や動き、心の表現を細かく指導されました。
以降、『女殺油地獄』のお吉や『十種香』の八重垣姫など大役に挑み、妖艶さと情感を武器に活躍しています。
最近は呼吸筋トレーニングで高音を強化し、表現の幅を広げています。
中村屋の伝統を尊重しつつ、玉三郎の影響で女形の魅力を現代的に昇華させた七之助さんの道は、歌舞伎の未来を照らしています。
今回はここまでです。
これからも、中村七之助さんの活躍を期待しています。
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