橋下徹の嫁と子供は?父親や生い立ちは?かぐや姫とは?なぜ弁護士資格停止に?
もくじ
橋下徹さんのプロフィール
橋下徹さんは、1969年6月29日に東京都渋谷区で生まれました。
日本の弁護士、政治評論家、タレントとして活躍しています。
幼少期は、京王線沿線の幡ヶ谷にある質店の3階を間借りした狭いアパートで過ごしました。
家族は母と妹の3人暮らしで、生活は質素でした。
小学生の頃に実父を亡くし、母子家庭として苦労を重ねました。
大阪府立北野高等学校に進学した橋下徹さんは、高校時代にラグビー部に所属し、第67回全国高校ラグビーフットボール大会に出場しました。
チームはベスト16まで進み、橋下徹さんはフォワードとして活躍しました。
早稲田大学政治経済学部経済学科に進学し、1994年に卒業。
同年に司法試験に合格し、1997年に弁護士として登録しました。
登録翌年の1998年には、橋下綜合法律事務所を開設しています。
以降、テレビ番組「行列のできる法律相談所」などで茶髪の弁護士として人気を博し、2008年に38歳の若さで大阪府知事に就任。
2011年から2015年まで大阪市長を務めました。
現在は政治評論家としてメディアに頻繁に登場しています。
政治に携わる前は、アイドル弁護士ともてはやされ、茶髪でパーマにサングラスと、ややチャライ感じのキャラクターでした。
実際に目が悪かったのですが、レーシック手術を受け、現在はメガネなしの生活を送っています。
嫁と子供は?
橋下徹さんの妻は、大阪府立北野高等学校時代の同級生。
大学は神戸の女子大に通い、小学5年生までアメリカに住んでいた帰国子女で、海外留学の経験もある方なのだそうです。
将来は、語学関連での活躍を有望視されていた人物だったそうで、周囲の友人はなぜ、すべてを捨て橋本氏を選んだのか?と、わかりかねていたそうです。
大学一年生の頃、奥さまと6畳1間の古アパートで同棲を始めました。
お嫁さんの親は結婚に大反対のため、結婚は、駆け落ち同然だったそうです。
橋下氏が弁護士を目指したきっかけは、二人でアルバイトをして細々と生計を立てている時期に、学生ビジネスの詐欺に遭った経験からなのだそうです。
橋下徹さんが大阪府知事に就任する頃にようやく戸籍を入れ、正式な夫婦となりました。
妻は公の場にほとんど姿を見せず、家族の支えていらっしゃいます。
弁護士から、政治家へ転身を図ったのは2007年の事。
その後も、なにかと発言が注目されることの多い橋本氏。
選挙演説や、府知事、市長就任中も発言に対するダメ出しや、言い回しを指導するなど、陰ながら奥さまの助言があるようで、これに対し、橋下氏は素直に受け入れているそうです。
春の園遊会に出席した時は、奥さまから「あなたは敬語が苦手なのだから、あまりしゃべらないように…」との助言があったとか(笑)。
橋下氏が府知事、市長となり、帰宅が遅いときでも、起きて帰りを待っているそうです。
子育てだけでも大変でしょうに、素晴らしい奥さまですね。
橋下徹さんは妻について、「大学の頃から一緒にいるので、妻の両親とも家族のような関係です」と語っています。
子供は3男4女の7人で、大家族として知られています。
長女は1997年生まれ、次女は2001年生まれ、三女は2007年生まれ、四女は2007年8月生まれです。
一方、息子たちは長男が1999年生まれ、次男が2004年生まれ、三男が2005年生まれです。
7人のうち6人がすでに成人しており、次男以外は全員実家暮らしなのだそう。
長男は早稲田大学を卒業後、広告代理店大手電通に入社し、現在は広告業界で働いています。
橋下徹さんは家族について、「子供たちは派閥に分かれて夫婦喧嘩を手伝うほど賑やかです」と笑い話にしています。
2021年の誕生日には、妻と7人の子供全員で祝ってもらい、家族写真を公開しました。
橋下徹さんが穏やかな表情で、普段の強面とは異なるパパの顔が印象的でした。
父親や生い立ちは?
橋下徹さんの生い立ちは、貧困と喪失の連続でした。
父親は橋下徹さんが小学校低学年の時に亡くなりました。
父親は自らこの世を去っており、ガス中毒だったと報じられています。
父親は生前、反社会的組織にいたとされており、橋下氏が選挙に出馬の際、マスコミは根掘り葉掘り、マイナス面を伝えました。
その流れでバッシングや、家族に危害が及ぶような、心無いイタズラと思われる内容の手紙も届けられたそうです。
そのころ思春期でもある中学生の子供たちは、「そんな報道関係ないじゃん~」と一蹴。
さすが、橋下氏の子供!と思いますが、父親としてはその言葉に胸が詰まったそうです。
2012年の週刊新潮の記事では、父親が部落出身で、叔父も反社会的組織に所属していたと指摘され、橋下徹さんは名誉毀損で同誌を提訴。
一審では記事の内容が真実と認定されましたが、控訴審で一部逆転し、最高裁で確定しました。
この裁判で、父親の出自が公に議論され、橋下徹さんは「実父に育てられたわけではなく、母の影響が大きい」と振り返っています。
母親は父親の死後、橋下徹さんと妹を連れて大阪に移住しました。
母親はパートタイムで家計を支え、月8000円のアパートに住むなど、橋下徹さんが高校生になる頃まで苦しい生活が続きました。
橋下氏が中学1年生の頃に、母親が再婚。
義理の父親はとても良い人物なのだそうです。
現在は、橋下氏と同じマンションに母と義理の父親が住んでおり、子供たちが行き来しているそうです。
自身の子供時代とは全く違う生活を、子供は送ることができているようですね。
自分の努力次第で、逆転の人生をつかむこともできるのだということを見せてくれていますね。
橋下徹さんはこの経験から、「弱者救済の重要性」を学んだと述べています。
祖父についても興味深いエピソードがあります。
祖父は頭に大きな傷があり、「あと数センチずれていたら命を落としていた」と明かしました。
祖父の生い立ちは長野県安中市にルーツを持ち、三代前の曾祖父の墓所が同和地区にあります。
この家族の歴史は、橋下徹さんの政治姿勢に影を落とすこともありましたが、本人は「過去を乗り越えて前進する」と強調しています。
幼少期の東京時代は、幡ヶ谷の商店街近くで遊び、質店の手伝いをしながら育ちました。
大阪移住後は、公立学校で勉学に励み、ラグビー部での厳しい練習が精神力を養いました。
こうした生い立ちが、後の弁護士・政治家としてのタフネスを形成した一部なのでしょう。
かぐや姫とは?
かぐや姫とは、中国の上海にあるカラオケクラブの名前で、橋下徹さんが大阪府知事または市長時代に訪れたとの疑惑が2025年に浮上しました。
このクラブは日本人向けの店として知られ、裏接待の場として機能していると指摘されています。
疑惑の発端は、元政治家である吉野敏明氏の街頭演説です。
吉野氏は、橋下徹さんがかぐや姫で接待を受け、それをビデオ撮影された上で中国側から脅迫されたと主張。
具体的に、「大阪維新の会が中国の影響下に置かれているのは、このハニートラップが原因」と述べ、証拠写真の存在をほのめかしました。
この発言はネット上で急速に拡散され、橋下徹さんの中国訪問史と絡めて「親中疑惑」が再燃しました。
橋下徹さんは即座に否定し、「かぐや姫には一度も行ったことがない。証明を求めます」と反論。
吉野氏に対しては「名誉毀損で訴える」と宣言しました。
騒動の背景には、橋下徹さんの上海電力関連の行政手続きが不透明だったとの過去の指摘もありますが、本人は「外交の一環で中国を訪れただけ」と説明しています。
この事件は、2025年5月頃にピークを迎え、橋下徹さんのTwitterやメディア出演で詳細が語られました。
吉野氏の演説動画では、「行っていたら大変な事になりますよ」とのやり取りが話題になりました。
中国のハニートラップ事件は過去に外交官や自衛官が被害に遭った事例があり、かぐや姫はその象徴として警戒されています。
橋下徹さんはこの疑惑を機に、「中国との関係は経済交流に留め、政治介入を許さない」との立場を明確にしました。
家族や支持者からは心配の声が上がりましたが、橋下徹さんは「面倒くさいが、徹底的に闘う」と強い姿勢を示しています。
なぜ弁護士資格停止に?
橋下徹さんの弁護士資格は、2010年9月に大阪弁護士会から業務停止2ヶ月の懲戒処分を受けました。
理由は、2007年5月のテレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」での発言にあります。
当時、橋下徹さんは弁護士として出演し、山口県光市の母子殺害事件の被告弁護団に対する懲戒請求を視聴者に呼びかけました。
この事件は、2004年に中学3年生の少年が母子をあやめたもので、弁護団が少年法の適用を主張した点が社会的に批判を浴びていました。
橋下徹さんの発言は、「弁護団の行為は弁護士の品位を害する。皆さん、懲戒請求を」と扇動的なものでした。
これに対し、弁護団側から「弁護士の公正中立を損なう」との苦情が大阪弁護士会に寄せられ、調査が開始されました。
弁護士会は、橋下徹さんの発言が「弁護士の社会的信用を低下させ、品位を害した」と認定。
知事就任前の行為ながら、弁護士資格保有者として処分対象となりました。
橋下徹さんは処分決定後、「ふざけるな、弁護士会」と激怒し、最高裁まで争いましたが、2011年に敗訴が確定しました。
本人は「刑事事件の弁護を軽視したわけではなく、世論の声を代弁しただけ」と主張していますが、弁護士会は「テレビでの発言が業務に準ずる行為」と判断しました。
この処分は、橋下徹さんの政治キャリアに影を落としましたが、逆に支持者を集めるきっかけにもなりました。
2013年には、別の発言(慰安婦関連)で懲戒請求が730人分寄せられましたが、今回は不起訴となりました。
橋下徹さんはこの経験から、「弁護士の役割は弱者を守ることだが、世論とのバランスが難しい」と学んだそうです。
現在も大阪弁護士会に所属していますが、政治評論家としての活動が主です。
この一件は、メディアと法曹界の関係性を象徴する出来事として語り継がれています。
今回はここまでです。
これからも、橋下徹さんの活躍を期待しています。
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