山尾志桜里と倉持麟太郎の現在は?何した?元妻の子どもは?落選?若い頃アニー?

2025年10月16日政治家・財界人・実業家

もくじ

山尾志桜里氏のプロフィール

 

山尾志桜里氏は、1974年7月24日、宮城県仙台市に生まれました。

 

父親は会社員で、母親は専業主婦という一般的な家庭で育ちました。

 

 

仙台市内の小学校に通い、母親の影響で本を読むのが好きになり、将来の夢は教師になることだったと語っています。

 

小学校高学年の頃から、家族でミュージカルを見に行く機会が増え、舞台の世界に興味を持ち始めました。

 

中学校時代は、演劇部に所属し、表現力を磨きました。部活動では脚本の執筆や演出を手伝うこともあったそう。

 

また、習い事としてピアノを習い、発表会で演奏する経験を積みました。

 

高校は仙台市内の進学校に進学し、部活動はテニス部を選びました。

 

勉強面では、法律や社会問題に興味を持ち、模擬裁判のようなイベントで活躍したそうです。

 

こうした学生時代の経験が、後の検察官や政治家としての基盤を築いたのでしょう。

 

大学は早稲田大学法学部に進学しました。在学中は法学の勉強に励み、ゼミでは憲法を専攻。

 

学生自治会にも参加し、キャンパス内の議論をリードする立場になりました。

 

司法試験に合格したのは大学卒業後で、1998年に合格。検察庁に入庁し、東京地検や名古屋地検で勤務しました。

 

検察官時代は、経済事件や公職選挙法違反の捜査を担当し、厳格な姿勢で知られました。

 

2009年に政界入りするまで、約10年間の検察官生活を送りました。

 

 

山尾志桜里と倉持麟太郎の現在は?

 

山尾志桜里氏は、現在も弁護士として自身の事務所を構え、離婚や家族法に関する相談に応じています。

 

また、YouTubeチャンネルで政治や社会問題について発信しており、視聴者との交流を大切にしています。

 

参議院選挙後の活動では、講演会やメディア出演が増え、政策提言に注力しています。

 

一方、倉持麟太郎さんは、第二東京弁護士会に所属する弁護士として、離婚・男女問題を専門にしています。

 

弁護士法人Nextの代表を務め、書籍の執筆やセミナーを通じて、家族法の啓発に取り組んでいます。

 

両者とも、過去の出来事を経て専門分野で活躍を続けていますが、公の場での共演は見られません。

 

何した?

 

山尾志桜里氏は、2017年頃に倉持麟太郎さんとの関係が週刊誌で報じられました。

 

当時、山尾氏は既婚者であり、倉持さんも既婚者でした。

 

この報道では、2人が頻繁に会っていた様子が指摘され、議員パスポートの不適切な使用疑惑も浮上しました。

 

山尾氏は会見で、関係を否定しませんでした。

 

また、事務所のガソリン代支出が不正だったとの指摘もあり、返金対応を行いました。

 

これらの出来事は、政界での信頼に影響を与えました。

 

さらに、2025年の選挙前には、過去の不倫疑惑が再び取り沙汰され、公認取り消しの要因となりました。

 

山尾氏はこれに対し、説明責任を果たす姿勢を示しています。

 

 

元妻の子どもは?

 

倉持麟太郎さんの元妻は、2020年10月に自らこの世を去りました。

 

離婚後の親権争いが激化し、精神的苦痛が蓄積したとされています。

 

子どもは当時幼少で、倉持さんが親権を取得しました。

 

現在、子どもは倉持さんの元で育てられており、過去の母子交流の詳細は公表されていません。

 

元妻の親友によると、離婚前は幸せな家庭だったものの、夫婦間のトラブルが深刻化しました。

 

山尾志桜里氏の元夫については、別途菅野さんという人物で、2人の子どもがいますが、プライバシーを尊重し、詳細は明かされていません。

 

落選?

 

山尾志桜里氏は、2025年7月の参議院選挙で、東京選挙区から無所属で出馬しました。

 

当初は国民民主党の比例代表公認が予定されていましたが、不祥事の説明不足を理由に公認が取り消されました。

 

無所属での挑戦となりましたが、投票日には落選が確実となりました。

 

得票数は上位候補に及びませんでしたが、街頭演説では政策を熱く訴えました。

 

過去の選挙では、2009年の衆議院選挙で初当選し、以降複数回の当選を果たしました。

 

しかし、2017年の衆院選では不祥事の影響で苦戦し、2021年の選挙でも落選しています。

 

山尾氏は落選後、「伝える力の不足を反省します」と述べ、活動を継続する意向を示しました。

 

 

若い頃アニー?

 

山尾志桜里氏は、12歳の頃にミュージカル「アニー」の初演で主役のアニー役を務めました。

 

1986年の公演で、孤児院の少女アニーが裕福な家庭に引き取られる物語を演じ、観客を魅了しました。

 

この経験は、彼女の表現力を養うきっかけとなりました。

 

2025年には、40周年を迎えた公演を観劇し、当時の思い出をSNSで共有しています。

 

初演時の映像がCMで使用された際には、「人生は長い」と感慨深げに振り返りました。

 

小学校時代から演劇に親しんでいたため、自然とオーディションに挑戦したそうです。

 

この役柄は、後の政治活動での強い意志を象徴するエピソードとして語り継がれています。

 

山尾志桜里氏のこれまでの歩みは、検察官から政治家、そして弁護士への転身と、多彩です。

 

幼少期のミュージカル経験が、彼女の人生に与えた影響は大きいでしょう。

 

今後も、社会貢献への意欲を失わず活動を続けるものと期待されます。

 

今回はここまでです。
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