高畑淳子の元旦那と息子の現在は?突然死とは?高畑充希は娘?北川景子と親戚?

2025年10月16日女優

もくじ

高畑淳子さんのプロフィール

 

高畑淳子さんは、1954年10月11日に香川県善通寺市で生まれました。

 

女優、声優、タレントとして長年活躍を続け、劇団青年座に所属するベテランです。

 

 

特技は英語と水泳で、多彩な表現力で舞台、映画、ドラマ、アニメなどで幅広い役柄をこなしてきました。

 

幼少期は父親の仕事の都合で転勤が多く、四国中で13回も引っ越しを経験したそうです。

 

一人っ子として、そんな不安定な環境の中で育ちましたが、家族の絆を大切にする優しい性格が形成されたようです。

 

母親は教育熱心で、淳子さんの進路に大きな影響を与えました。

 

学生時代は真面目な優等生で、中学は高松市立桜町中学校、高校は香川県立高松高等学校を卒業しています。

 

学業は優秀で、早稲田大学、慶應義塾大学、東京女子大学、津田塾大学、お茶の水女子大学といった有名私立大学にすべて合格したほどの才女でした。

 

しかし、母親の強い勧めもあり、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻に進学します。

 

当初は演劇とは無縁で、高松で舞台を見たこともなかった淳子さんですが、水泳部に所属して体を鍛え、仏像の見学を趣味にしながら、思い出の場所である高松港や栗林公園を散策する穏やかな高校生活を送っていました。

 

 

高畑淳子の元旦那と息子の現在は?

 

高畑淳子さんの結婚歴は波乱に満ちていて、正式な結婚を2回、事実婚を1回経験しています。

 

最初の結婚は1978年、24歳の時に劇団青年座の劇団員の方とでした。

 

劇団内で出会った恋が実り、熱い想いで結ばれましたが、1年半ほどで離婚に至ります。

 

この結婚では子どもは生まれませんでした。

 

淳子さんは当時、仕事とプライベートの両立に苦しんだようで、互いの価値観の違いが離婚の原因になったとされています。

 

2回目の結婚は1985年、31歳の時に一般男性の方とです。

 

この時は授かり婚で、翌1986年に長女の高畑こと美さんが誕生しました。

 

こと美さんも現在、女優として活動しております。

 

しかし、この結婚も長続きせず、離婚します。

 

離婚の背景には、淳子さんの多忙な芸能生活と家庭のバランスが崩れたことが要因のようです。

 

さらに、2回目の結婚中に、淳子さんは俳優の大谷亮介さんと5年半にわたる事実婚関係だったそう。

 

大谷さんというと『相棒』シリーズなどが代表作のベテラン俳優で、共演をきっかけに親密になりました。

 

この関係から、1993年に長男の高畑裕太さんが生まれます。

 

裕太さんは、幼少期から母親の舞台を観て俳優を志すようになりました。

 

しかし、妊娠はしましたが入籍はしませんでした。

 

当時、淳子さんが2回目の夫との離婚手続き中だったため、複雑な事情が絡み、正式な形を取れなかったからのようです。

 

大谷さんは裕太さんの父親として、幼い頃の学校行事などに時折顔を出したり、経済的な支援をしたりしたそうです。

 

ただ、淳子さんはシングルマザーとして女手一つで2人の子どもを育て上げ、裕太さんには「母親の強さ」を受け継がせました。

 

元旦那さんたちの現在はというと、最初の夫は劇団員として活動を続け、目立った公の場には姿を見せていないようです。

 

2回目の夫は一般の方なので、プライベートを保ち、淳子さんとの交流はほとんどないようです。

 

一方、大谷亮介さんはご存知の通り今も俳優として、ドラマや舞台でベテランの風格を保ち、裕太さんとの関係も穏やかに続いているようです。

 

 

息子の高畑裕太さんの現在は、俳優、ダンサー、タレントとして復活の兆しを見せています。

 

桐朋学園芸術短期大学を卒業後、2012年にデビューしましたが、2016年に起きた事件で一時芸能活動を休止しました。

 

あれから数年、自身の劇団「ハイワイヤ」を主宰し、2025年夏には下北沢で公演『墓場までのかえりみち、ゆりかごからブランコへ。』を予定しています。

 

この作品は介護問題をテーマにしたオリジナルで、作・演出を裕太さん自身が手がけています。

 

InstagramやX(旧Twitter)ではプライベートな日常や稽古風景を投稿し、ファンとのつながりを大切にしています。

 

最近の姿はすっかり大人び、ビフォーアフターの写真で「激変」と話題に。

 

母親の淳子さんも、息子の成長を陰ながら支え続けているのでしょう。

 

突然死とは?

 

2020年に、映画「山中静夫氏の尊厳死」に出演のタイアップとして、「尊厳死」に関する話題を中心とする雑誌のインタビューがありました。

 

インタビューの途中、涙ながらに「昼寝するねといって、ひと眠りのつもりが、そのまま苦しまずに、突然に逝きたい」という主旨の答えをのべていました。

 

淳子さんは、自分も長引く病床で家族を苦しめたりせず、「突然死」を理想としているという話をされたため、関連ワードに上がっているようです。

 

また、昨年94歳で亡くなった実母の死も、この考えに影響を与えたようです。

 

母は健康オタクだったそうで、「大きな木の下で朝に深呼吸すれば病気にならない」と言い、毎日のルーチンを守っていましたが、認知症の予兆があったにもかかわらず、ある日突然の出来事でなくなられたそう。

 

淳子さんは「予兆があったのに、もっと早く気づけなかった」と後悔を吐露し、母の最期を振り返って「突然死は家族の負担を減らす」と実感したそうです。

 

この死生観は、NHKのドラマ『あしたの火花』での役柄にも反映され、50代の主婦が夫の急死を機に人生を模索する姿に重ねています。

 

淳子さんの言葉は、現代の私たちに「死をタブー視せず、向き合う」ことを考えさせるきっかけを与えてくれているようですね。

 

 

高畑充希は娘?

 

ご存知のとおり、高畑充希さんは高畑淳子さんの娘ではありません。

 

1991年生まれの若手女優で、歌手としても活躍する充希さんは、淳子さんとは血のつながりがなく、共演歴から生まれる勘違いが多いのです。

 

2016年のテレビ番組で淳子さんは「娘さんですか?」という視聴者メールに笑顔で答え、「違うんです。お顔立ちが違いますよ。

 

うちの家系はみんな顔が大きいんです」と否定しました(笑)。

 

確かに、2人は『3年B組金八先生』や他のドラマで共演し、似た雰囲気から親子と見なされがちですが、淳子さんの実娘は長女の高畑こと美さんだけです。

 

こと美さんは1986年生まれで、母親と同じく女優の道を歩み、舞台を中心に活躍しています。

 

一方、充希さんは大阪出身で、ミュージカル『レ・ミゼラブル』でのオーディション合格がきっかけでデビュー。

 

淳子さんも充希さんの演技を高く評価し、「ものすごく言われますが、関係ないんですよ」とユーモアを交えて語っています。

 

北川景子と親戚?

 

高畑淳子さんと北川景子さんは、遠い親戚関係にあります。

 

2014年のドラマ共演時に明らかになったのですが、淳子さんの祖父と北川さんの母方の曾祖父が兄弟だったのです。

 

つまり、7親等にあたる血縁で、法律上は親族とは認められませんが、ルーツを遡れば同じ家系です。

 

淳子さんは当時、「うちでは大ニュースでしたよ。私のおじいちゃんと景子ちゃんのひいおじいちゃんが兄弟なんです」と驚きを隠せませんでした。

 

北川さんも「似てるって言われます」と笑い、初対面ながらすぐに打ち解けました。

 

この関係は、北川さんの父親が三菱重工のエリートだった家柄ともつながり、香川県にルーツを持つ点が共通しています。

 

淳子さんの母と北川さんの祖母がいとこ同士という説もあり、家族の集まりで話題になるそうです。

 

芸能界では珍しい「隠れた親戚」として、ファンを驚かせました。

 

淳子さんは北川さんの結婚や子育てを温かく見守り、「若いのにしっかり者」と褒めています。

 

この絆は、2人の共演作でより深まったようです。

 

今回はここまでです。
これからも、高畑淳子さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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