塩見三省の嫁や子供は?西田敏行や星野源とは?若い頃や現在脳出血から復活は?

2026年1月5日俳優

もくじ

塩見三省さんのプロフィール

 

塩見三省さんは、日本の俳優として数多くの映画、ドラマ、舞台で活躍しています。

 

本名は同じく塩見三省です。

 

 

1948年1月12日生まれで、京都府綾部市出身です。

 

身長は177cm、体重は72kgです。幼少期は5人兄弟の末っ子として育ちました。

 

10歳頃に父親が病に倒れ、約15年間寝込んだ状態が続きました。

 

そんな家庭環境の中で育った塩見三省さんは、中学時代に剣道部に所属していました。

 

高校時代は部活動をしていませんでしたが、大学時代は同志社大学商学部に進学し、アメリカンフットボール部に所属していました。

 

大学卒業後は一般企業に就職し、5年ほどサラリーマン生活を送りました。

 

しかし、30歳を機に俳優の道を志し、1978年に演劇集団「円」に入団しました。

 

以降、舞台を中心に活動を広げ、1980年代からはテレビドラマにも出演を増やしました。

 

1990年代に入って映画界でも存在感を発揮し、名脇役として知られるようになりました。

 

2015年10月には「円」を退団し、フリーとして活動を続けています。

 

若い頃は吉祥寺のジャズ喫茶「ファンキー」に通ったり、22歳頃にイギリス・ロンドンに1年弱滞在し、バックパッカーとしてヨーロッパを旅したりするなど、多様な経験を積んでいました。

 

 

塩見三省さんの嫁や子供は?

 

塩見三省さんは1992年に結婚しています。

 

妻の晴子さんは、塩見三省さんより17歳年下です。

 

結婚当時から年の差婚として話題になりましたが、妻は一般女性で、芸能界とは無縁の生活を送っています。

 

2021年夏には、50年間住んだ東京を離れ、横浜にある妻の実家を改築して移住しました。

 

静かな環境で暮らしながら、妻の存在が大きな支えとなっています。

 

子供については、息子が1人いますが、詳細は公表されていません。

 

 

西田敏行さんや星野源さんとは?

 

塩見三省さんは、西田敏行さんとは映画「アウトレイジ」シリーズで共演しています。

 

特に、2012年の「アウトレイジ ビヨンド」と2017年の「アウトレイジ 最終章」では、西田敏行さんが花菱会若頭の西野一雄を、塩見三省さんが若頭補佐の中田勝久を演じました。

 

脳出血後の復帰作となった「アウトレイジ 最終章」の撮影では、西田敏行さんも体調を崩していた中で互いに支え合い、迫真の演技を披露しました。

 

撮影初日には塩見三省さんが共演者に抱えられながら参加し、西田敏行さんは「塩見三省くんもいろいろ障害を抱えてリハビリをやりながらの撮影になったが、皆さんに支えられながらできた」と振り返っています。

 

この作品で、2人は第39回ヨコハマ映画祭助演男優賞や第27回東京スポーツ映画大賞を受賞しました。

 

他の作品でも共演歴があり、西田敏行さんを「今の俳優さんの中では日本一」と評しています。

 

また、2022年にはNHK-FMのラジオドラマ「あの日々たちよ~詩劇としての」で共演しました。

 

 

 

星野源さんとは、2017年のTBSドラマ「コウノドリ」で親子役として共演しています。

 

星野源さんが四宮春樹を、塩見三省さんがその父親を演じました。

 

撮影中は本当の親子のような息の合った演技を見せ、星野源さんは「全身全霊で役に挑まれていて、隣でお芝居している時間も楽しかった」と語っています。

 

この共演がきっかけで、星野源さんから「シオミさん、何か書けばいいのに」との言葉をもらい、塩見三省さんは自身の闘病記を執筆する決意をしました。

 

星野源さん自身も2012年にくも膜下出血で倒れた経験があり、互いに脳の病を乗り越えた共通点があります。

 

2019年には星野源さんのエッセイ集「いのちの車窓から」に塩見三省さんが寄稿し、忘れられない撮影の日々を振り返っています。

 

 

若い頃や現在脳出血から復活は?

 

塩見三省さんの若い頃は、大学卒業後のサラリーマン時代が特徴的です。

 

同志社大学商学部を卒業後、一般企業で5年働きましたが、演劇への情熱が募り、1978年に劇団「円」に入団しました。

 

デビュー作は舞台「幕末純情伝」で、以後「熱海殺人事件」「おばけリンゴ」「千年の夏」「今日子」などの舞台に出演しました。

 

4テレビドラマでは1980年代に「薔薇海峡」「特捜最前線」「俺たちは天使だ!」「大空港」「非情のライセンス」「大捜査線」「噂の刑事トミーとマツ」「Gメン’75」「松本清張シリーズ」など多くの刑事ドラマや時代劇で活躍しました。

 

1990年代からは映画にも進出し、「12人の優しい日本人」「樹の海」「真夏の方程式」などで存在感を示しました。

 

22歳頃のヨーロッパ旅行やジャズ喫茶通いの経験が、後の演技に深みを加えたと言えます。

 

2014年3月に脳出血を発症し、自宅の浴室で体が動かせなくなりました。

 

妻に発見され緊急搬送されましたが、意識ははっきりしており、手術なしで10日ほど降圧剤を飲みながら入院しました。

 

その後、リハビリ専門病院に転院し、5ヶ月間リハビリを続けましたが、左半身に麻痺が残り、杖なしでは歩けない状態になりました。

 

一時は将来を悲観し、自ら命を絶つことを考えるほど絶望しました。

 

リハビリ病院では長嶋茂雄さんと毎週顔を合わせ、弱音を吐いた際に「これも人生だよ」と声をかけられ、「ガンバレ!ガンバレ!」と励まされました。

 

この出会いが気持ちを切り替えるきっかけとなりました。

 

体重が10kg減少し、俳優復帰を諦めかけた中、2016年にNHKドラマ「恋の三陸 列車コンで行こう!」で復帰しました。

 

2017年の「アウトレイジ 最終章」では共演者に支えられながら撮影し、数々の賞を受賞しました。

 

2018年には大杉漣さんの急逝を受け、「大杉、俺はこんな体になったけど、もうちょっとやってみるよ」とコメントしています。

 

2019年にリハビリ通院を終了し、2021年には闘病記「歌うように伝えたい 人生を中断した私の再生と希望」を出版しました。

 

執筆はiPadで行い、2年かかりましたが、「幸せな作業だった」と振り返っています。

 

現在も左半身の麻痺は残っていますが、「病を得たことは神様からのギフト」と前向きに捉えています。

 

2021年以降はラジオ出演や映画「平場の月」「劇映画 孤独のグルメ」への出演を続け、現在も表現の幅を広げています。

 

バリアフリーな世界を目指す姿勢を語り、同じ病で苦しむ人々に希望を与えています。

 

今回はここまでです。
これからも、塩見三省さんの活躍を期待しています。
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