片山さつきの夫や子供は?つけまつげ?ドレスや髪型は?身長は?若い頃と現在は?
片山さつき氏は、1959年5月9日、埼玉県さいたま市に生まれました。
父は数学者で大学教授を務め、家庭では自然と勉強に親しむ環境にありました。

幼少期の片山さつき氏は、勉強や遊び、音楽を好む明るく活発な少女でした。
神社で友達と木登りをしたり、お互いの家を行き来したりするなど、外で元気に過ごす姿が印象的です。
習い事としてピアノ、習字、油絵を学び、浦和の児童合唱団にも参加しました。小学校5年生の終わり頃、当時権威ある進学塾の『日本進学教室』に通い始め、国公立中学受験のクラスで学ぶようになります。
この頃、11歳の片山さつき氏に講師から、成績表の裏に「将来の女性代議士や女性首相の可能性がある」とのコメントが記され、周囲がその将来を予言するような出来事がありました。
母はこのメモを大切に保管し、片山さつき氏自身も「このレースを走り抜けるしかない」と感じるきっかけとなりました。
学歴については、1972年に浦和市立高砂小学校を卒業後、東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中・高等学校)へ進学します。
中高時代はテニス部に所属し、母校と学習院中等科・高等科のスポーツ定期対抗戦で活躍しました。
この対抗戦では、学生時代の天皇陛下とテニスの試合でお目にかかる機会があり、年2回程度の交流の中で陛下から声をかけられることもありました。
直接対戦はありませんでしたが、6年間にわたり緊張感を持って接する貴重な経験を積みました。
高校時代は東京大学を目指し、1978年に同附属高校を卒業後、東京大学文科一類に入学します。
大学では体育会テニス部に所属し、京都大学戦に出場したほか、サッカー部のマネージャーも務めました。
また、アイドルプロデュース研究会に参加し、ファッション誌『an・an』や『non-no』の読者モデルとして「可愛いあの娘No.1」に選ばれるなど、多彩な活動を展開します。
一学年630人中女子はわずか15人という環境で、目立つ存在となり、食事やデートの誘いも多かったそうです。
1982年に東京大学法学部を卒業後、大蔵省(現・財務省)に入省し、国家公務員としてキャリアをスタートさせました。
当初は外務省入省も検討しましたが、国家の予算編成を通じて国全体を俯瞰的に支える道を選びました。
現在は自由民主党所属の参議院議員で、財務大臣の経歴があります。
もくじ
片山さつき氏の夫や子供は?
片山さつき氏の私生活については、官僚時代に2度の結婚を経験しています。
27歳の頃、大蔵省在職中に1度目の結婚をしました。相手は見合いによるもので、当時衆議院議員だった舛添要一氏です。
仕事との両立を条件に結婚しましたが、価値観の違いから短期間で離婚に至りました。
この結婚は、片山さつき氏のキャリア形成期に位置づけられます。
その後、31歳の時に現在の夫と結婚しました。
片山さつき氏の夫は、片山龍太郎氏で、複数の企業で社長や執行役員を歴任した実業家です。
主な経歴として、1994年にマルマン社の代表取締役社長に就任し、同社の再建と上場を主導しました。
その後、2003年から産業再生機構の執行役員マネージングディレクターとして、カネボウやマツヤデンキなどの企業再生を成功裏に手がけました。
2006年にはジュリアーニ・パートナーズの在日代表、2012年にはクリスティーズジャパンの代表取締役社長を務めました。
現在は、株式会社ケイライプの代表取締役を務めており、企業再生やM&A、アート関連の分野で講演や寄稿も行っています。
また、スタートバーン株式会社の社外取締役、株式会社エルテスの特別顧問、ネクストミーツ株式会社の顧問、公益財団法人日本オペラ振興会の評議員、株式会社ペッツファーストクレディットの社外取締役などの役職を現任で担っています。
現在は、アドバイザー的な立場での活動や、投資家として活動しており、時間が自由に取れる立場のようです。
片山さつき氏の仕事に理解を示し、的確な助言や人脈の紹介、共通の話題を通じて頼れるパートナーとして支えています。
結婚式では、福田赳夫元首相が大仲人を、竹下登元首相が乾杯の音頭を取るという華やかな式となりました。
夫の父はマルマン社のオーナーだった故・片山豊氏で、竹下元首相から政界入りへの誘いもあったものの、それを断ったエピソードがあります。
子供については、片山さつき氏ご自身が公表している通り、お子さんはおりません。
38歳から43歳までの5年間、不妊治療に取り組み、人工授精を20回試みましたが、超早期流産を繰り返す結果となりました。
この経験から三日三晩泣き明かした末に諦め、強い挫折感を抱きましたが、「これからの人生は日本中の子どもの将来のため、国家と国民のために生きる」との決意を固めました。
この思いは、不妊治療の保険適用拡大支援を推進する政策提言にもつながっています。
菅義偉元首相の掲げる政策として、この支援を後押しする立場にありました。
家族の詳細はプライベートな部分が多く、片山さつき氏の公的活動に焦点を当てた情報が中心です。
つけまつげ?
片山さつき氏は、つけまつげを長年愛用しています。
このスタイルは、氏の華やかな印象を支える要素の一つです。
公の場でのエピソードとして、2018年の取材中に片方のが落下した出来事が知られています。
当時、インタビューに応じている最中に「あーっ!ストップ!」と声を上げ、女子トイレに駆け込んで対処する姿が話題となりました。
この一件は、氏の人間味あふれる一面を示すものとして、メディアで取り上げられました。
つけまつげの使用は、片山さつき氏のメイクの特徴として定着しており、アンチエイジングのポリシーとも連動しています。
公の場で忙しい中でも、瞬きするたびに剥がれかかる様子が視聴者の目を引くことがあり、SNSでは「気になって仕方ない」「バサバサで存在感がある」といった声が寄せられます。
一方で、氏自身はこれを自然に取り入れ、プロフェッショナルな表情を保つ工夫を続けているようです。
政治家としての多忙なスケジュールの中で、こうしたメイクの選択は、氏の自信と継続性を象徴しています。
ドレスや髪型は?片山さつき氏のファッションは、華やかで一貫したスタイルが特徴です。
特に髪型については、クルクルと巻いたロングヘアがトレードマークで、1980年代にブームとなった「聖子ちゃんカット」風のスタイルを長年維持しています。
前髪を長めに流し、全体を柔らかくカールさせるこのヘアセットは、官僚時代から変わらず、氏の凛とした美しさを引き立てています。
20年前の映像を見ても、ほぼ同じシルエットで、ブレない姿勢が感じられます。
この髪型は、完璧主義的な性格を反映しているとの分析もあり、氏の信念を体現したものです。
ドレスについては、入閣式などの公的行事でシルバーのロングドレスを着用することが多く、注目を集めています。
2018年の初入閣時、光沢のあるシルクシャンタンのロングドレスにショート丈のジャケットを合わせ、パールのロングネックレスをアクセントにしたアンサンブルが印象的でした。
最近の任命式でも、似たデザインのメタリックなシルバードレスが話題となり、他の閣僚との「かぶり疑惑」がSNSで沸きました。
氏の選択は、フォーマルながらも華やかさを重視したもので、婦人用フォーマル専門店の商品として知られています。
これらのスタイルは、氏のゴージャスな存在感を強調し、政治の場で視覚的なインパクトを与えています。
身長は?
片山さつき氏の身長については、公的なプロフィールや公式資料で具体的な数値が明記されていません。
メディアの記述でも、氏のスタイルは華やかさやファッションの観点から語られることが多く、身長そのものに焦点が当たる機会は少ないようです。
一部の報道やSNSでは、思っていたより低めの身長?と、印象を述べる声がありますが、正確な情報は確認できません。
ドレス姿やヒール着用時の全体像から、バランスの取れたプロポーションが伺えますが、プライベートな身体的特徴として公表されていないため、詳細は不明です。
若い頃と現在は?
片山さつき氏の若い頃は、美貌と活発さが際立つ時期でした。大学時代、ファッション誌の読者モデルに選ばれるほどの容姿で、「ミス東大」と評されるほどの人気者でした。
体育会テニス部やサッカー部マネージャーとしての活動を通じて、男子学生からの注目も高く、食事やデートの誘いが絶えませんでした。
官僚入省直後の1980年代、財務省の廊下を颯爽と歩く姿は、ゴージャスな装いで周囲を魅了し、20年前の貴重な映像でもその存在感が際立っています。
当時の写真では、巻き髪のスタイルがすでに確立しており、自然な笑顔と自信に満ちた表情が印象的です。
現在、60歳半ば過ぎとなった片山さつき氏は、若い頃の華やかさを保ちつつ、経験豊かな風格を加えています。
財務大臣として多忙を極める中でも、ヘアスタイルやメイクは一貫しており、20年前の映像と比較して「変わらない」との声が上がるほどです。
官僚時代からのゴージャスなファッションは健在で、アンチエイジングを「政治家のポリシー」と位置づけ、つけまつげや巻き髪を継続しています。
不妊治療の挫折を乗り越え、国家のための献身を誓った決意が、氏の落ち着いた佇まいに表れています。
若い頃の活発さと現在のプロフェッショナリズムが融合し、氏のキャリアを象徴する存在となっています。
今回はここまでです。
これからも、片山さつきさんの活躍を期待しています。
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