岸本加世子の我が道とは?母親や旦那は?若い頃と現在は?CMや愛車は?樹木希林や北野武とは?

女優

もくじ

岸本加世子さんのプロフィール

 

岸本加世子さんは、1960年12月29日、静岡県島田市で生まれました。

 

血液型はB型、身長は153cmです。所属事務所はアン・ヌフで、女優として長年活躍されています。

 

 

1977年、15歳のときにテレビドラマ『ムー』でデビューし、瞬く間に注目を集めました。

 

以降、映画やドラマ、CMなどで幅広い役柄を演じ、日本アカデミー賞を複数回受賞するなど、ベテラン女優として知られています。

 

学歴については、明治大学付属中野高等学校の定時制に在籍していましたが、中退されています。

 

高校1年生のときに横浜ドリームランドで西城秀樹さんのコンサートを見に行った際、マネージャーからスカウトされたエピソードが残っています。

 

この出来事が、彼女の人生を大きく変えるきっかけとなりました。

 

幼少期は、裕福とは言えない家庭で、風呂代わりに洗濯機にお湯を張って入浴するような貧しい日々を送っていました。

 

10歳年下の弟がおり、母親の再婚相手である継父の登場でようやく家族の温かさを実感したそうです。

 

 

岸本加世子の我が道とは?

 

岸本加世子さんの「我が道」とは、スポーツニッポン新聞社が連載するエッセイシリーズです。

 

デビュー50年目を迎える節目に、彼女の半世紀にわたる芸能人生を振り返る内容で連載されています。

 

タイトルは「岸本加世子 我が道」で、毎回エピソードを基に、恩師や共演者との出会い、苦難を乗り越えた軌跡を描いています。

 

連載の冒頭では、静岡県島田市での誕生から語られ、今年9月に竜巻被害を受けた故郷の牧之原への思いが綴られています。

 

デビュー作『ムー』での樹木希林さんとの出会いや、久世光彦さん、向田邦子さん、美空ひばりさんといった巨匠たちに恵まれた半世紀を「素晴らしい方々との出会いが私の財産です」と回想します。

 

偉大な先輩たちに間に合った最後の世代として、感謝の念を強調しています。

 

第2回では、西城秀樹さんの新曲発表会でスカウトされた経緯を明かし、断り続けていたオファーを母親の一言で受け入れた決意を語ります。

 

第3回はデビュー作の共演者たちの豪華さに驚いた様子を描き、本名「カヨコ」役で演じた役柄の思い出を共有します。

 

さらに進むと、第10回では1981年8月22日の美空ひばりさんとの別れを「じゃあね」が永遠の言葉となった悲劇として振り返り、第11回は『男はつらいよ 寅次郎紙風船』のラストシーンで父ゆかりの地を訪れたエピソードを。

 

第12回は久世光彦さんの「久世マジック」として、敵役を褒められた格闘シーンの裏側を。

 

第15回ではひばりさんから「姉ちゃんって呼ばないと返事しないわよ」と可愛がられた深夜の電話エピソードを。

 

第17回はひばりさんと母親の死を重ね、人生で一番心を痛めた喪失を。

 

第18回と第19回は母親が愛したサブちゃん(ビートたけしさん)の葬儀での優しさと、母親への色紙のエピソードを涙ながらに綴ります。

 

こうした連載を通じて、岸本加世子さんの「我が道」は、人間味あふれる出会いと別れの積み重ねであり、読者に人生の教訓を与えるものとなっています。

 

連載は直筆題字で飾られ、彼女の温かな筆致が印象的です。

 

 

母親や旦那は?

 

岸本加世子さんの母親は、出生時の事故で片足に重い障害を負い、身長が小学生並みでした。

 

それでも化粧品のセールスで生計を立て、娘を女手一つで育て上げました。

 

父親の酒乱やDVに耐え、幼い岸本加世子さんを連れて家を出て東京で住み込みの仕事に就きました。

 

母親の再婚相手である継父の登場で、ようやく安定した家庭が築かれ、弟が生まれました。

 

再婚した父親が転勤の多いお仕事であったため、小学時代4、5回の転校をしました。

 

そのため、親友ができなかったのか、小学時代は給食費を盗られるなどいじめに遭ったそうです。

 

そんな時、母親は「娘の給食費を盗った子がこの中にいたら、話があります。」と教室までいったり、学校から泣いて帰ると、加世子さんにハイヒールを渡して「やりかえしなさい」と家を出したり、かなりの肝っ玉かあさんだったようです。

 

母親は岸本加世子さんが30歳のときに57歳の若さで亡くなり、その喪失は連載「我が道」でも深く語られています。

 

母親の形見の着物を着て『美空ひばり物語』に出演したこともあります。

 

岸本加世子さんは、継父を本当の父親として慕い、現在も84歳の継父の介護を弟家族と共に担っています。

 

継父は脳梗塞を3回患い、高次脳機能障害を抱えていますが、かつて料理や掃除をこなし、家庭菜園でいちじくやオリーブ、ゴーヤ、ぶどうを育て、16時に就寝し3時に起床する規則正しい生活を送っていました。

 

旦那については、岸本加世子さんは独身で、結婚歴はなく、子供もおりません。

 

過去に熱愛が報じられた相手は複数いますが、いずれも結婚に至りませんでした。

 

20歳の頃、落語家・春風亭小朝さんと交際し、同棲までしていたといいます。

 

1980年にラジオ番組での共演がきっかけで、結婚を考える仲でしたが、1987年に小朝さんが歌手・泰葉さんと婚約を発表し破局。

 

岸本加世子さんは中村メイコさんに「結婚して女優を辞めたい」と相談するほど本気でした。

 

また、俳優・柳葉敏郎さんとは夫婦役の共演が多く、「お互い一定の年齢まで独身だったら結婚しよう」と約束したと言われていますが、柳葉敏郎さんが33歳で一般女性と結婚したため実現しませんでした。

 

他に田村正和さんとの噂もありましたが、詳細は不明です。

 

ビートたけしさんとの関係も長年噂されましたが、恋愛ではなく仕事を通じた友情でした。

 

結婚しない理由は、幼少期の家庭環境の影響が大きいというコメントがみられました。

 

貧しく不安定な家庭を見て育ったため、家庭の安定に対するイメージが薄く、信仰心も結婚観に影響を与えたようです。

 

現在は弟家族と同居し、愛犬と共に充実した日々を送っているそうです。

 

 

若い頃と現在は?

 

若い頃の岸本加世子さんは、アイドル女優として鮮やかな輝きを放っていました。

 

1977年のデビュー当時、15歳の可憐なルックスで注目を集め、『ムー』での演技が評価されました。

 

バラエティ番組にも頻繁に出演し、「中年キラー」と呼ばれるほどの魅力で、自由奔放な発言が人気を博しました。

 

タレント本も出版され、構ってくれない男性の後ろから「構ってぇ」と耳元で囁くのが好きだったり、男を看病する時が一番幸せだと思ったりする率直さが、若々しいエネルギーを象徴します。

 

恋愛も活発で、春風亭小朝さんとの同棲や柳葉敏郎さんとの約束など、情熱的な一面が見えました。

 

現在は、ベテラン女優として深みを増した存在感を放っています。

 

演技の幅が広がり、北野武監督作品の常連として欠かせない役者となりました。

 

2025年の連載「我が道」では、デビュー50年の節目を振り返り、ひばりさんや母親の死などの喪失を乗り越えた強さを語ります。

 

外見も老いを感じさせず、インスタグラムで公開される写真には「年取らない」「若い頃も今も変わらず素敵」との声が寄せられます。

 

趣味はピアノ、猫や犬との触れ合い、花札、ボクシングや格闘技観戦で、キックボクシングで鍛えた体力が継父の介護に役立っています。

 

かつてのアイドル的な明るさから、人生の酸いも甘いも噛みしめた味わい深い女性へ変化した姿が、現在の魅力です。

 

CMや愛車は?

 

岸本加世子さんは、数多くのCMに出演し、親しみやすいイメージを築いてきました。

 

代表作は1980年代の富士フイルム「フジカラープリント」で、樹木希林さんとの掛け合いが大ヒット。

 

「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに写ります」のセリフは流行語となり、40年間の感謝を込めた2018年のスペシャルムービーでも共演が振り返られました。

 

他に、LION「エチケット」、読売新聞、2001年の富士フイルムキャンペーン、2018年の大王製紙「アテント超うす型パンツ 下着爽快プラス」では「アテントをはじめてはいた日」をテーマに、はき心地の良さを自然に表現。

 

2022年からはONODERA USER RUN「介護の未来はOUR」で、自身の介護経験を活かし、加藤順社長との対談動画も公開。

 

2025年には同社の企業CMに出演し、介護の仕組みを訴えています。

 

CMでの彼女は、コミカルからシリアスまで幅広く、見る人の心を掴みます。

 

愛車については、車が「相棒」であると語る岸本加世子さん。

 

初愛車は1981年のトヨタ「カリーナ」で、千葉真一さんとのCMでイメージキャラクターを務め、数年乗り継ぎました。

 

2025年2月のGQ JAPAN「愛車の履歴書」では、約40年前の同車と再会し、「まだ残っているの!?」と驚きの声を上げ、当時の赤いボディを懐かしみました。

 

2台目は50年前のボルボで、「戦車みたいに丈夫」と高速道路でのハプニングを笑い話に。

 

悪徳業者から偽のAMGを購入した失敗談も明かし、信頼性を重視する性格がうかがえます。

 

現在はメルセデス・ベンツ「Cクラス」のステーションワゴン(C180、4代目)を愛用。

 

2025年にBS日テレで放送の「おぎやはぎの愛車遍歴」では、おぎやはぎの矢作兼さんと小木博明さんに挟まれ登場し、「安全性に信頼が持てる」とアピール。

 

ホイールの突っ込みに爆笑する姿が話題になりました。

 

セダンが減った寂しさを漏らしつつ、2025年2月のトヨタ「カリーナ」再会CMでは、窓から笑顔を覗かせ、若々しい魅力を再現。

 

車歴は彼女の人生を映す鏡です。

 

樹木希林や北野武とは?

 

岸本加世子さんと樹木希林さんは、デビュー作『ムー』での共演から約40年の絆を築きました。

 

樹木希林さんは岸本加世子さんを「この子を何とかしてやろう」と厳しく指導し、現場で缶の角で叩くほどの熱心さを見せました。

 

富士フイルムのCMでは、コミカルな母娘のような掛け合いが視聴者を楽しませ、樹木希林さんの逝去後、岸本加世子さんは「親代わりのように気に掛けていただいた」と追悼しました。

 

最後の数ヶ月前には樹木希林さんが突然自宅を訪れ、「最後に会いに来ました」と声をかけてくれたそうです。

 

岸本加世子さんは樹木希林さんからプロ魂を学び、一番大きな影響を受けた存在です。

 

岸本加世子さんと北野武さんの関係は、1997年の映画『HANA-BI』での共演から始まり、深い信頼で結ばれた仕事のパートナーシップです。

 

『HANA-BI』で岸本加世子さんは、北野武さん演じる刑事の妻・美幸役を演じ、寡黙な夫婦の絆を言葉少なく表現。

 

ベネチア国際映画祭金獅子賞受賞作で、岸本加世子さんは日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しました。

 

この作品は、母親の死から8年後で、「いつか北野映画に出たい」との夢が叶った瞬間でした。以降、北野武作品の常連となり、『菊次郎の夏』(1999年、菊次郎の女房役)、『Dolls』(2002年、春奈の叔母役)、『TAKESHIS’』(2005年、雀荘の女など多役)、『監督・ばんざい!』(2007年、高円寺久美子役)と、欠かせない存在に。

 

北野武さんの「キタノ・ブルー」と呼ばれる独特の色調の中で、岸本加世子さんの自然な演技が光ります。

 

プライベートでは大親友で、恋愛の噂は浮上しますが、互いに否定。北野武さんはシャイで目を見て話せない性格ですが、岸本加世子さんのサバサバした人柄を信頼しています。

 

2011年、愛犬ジョリを亡くした岸本加世子さんを心配し、北野武さんが似た犬を探してプレゼント。

 

犬種は、シェットランドシープドッグという、コリー犬の小さめのような犬。

 

その際、北野武さんに名付け親になってもらい、北野さんの趣味番組でもある「等々力ベース」から名前をとり「等々力姫子」名づけました。

 

過去よりたけしさんとの共演が多く、『刑事ヨロシク』以来の縁ですが、監督として北野武さんの世界観を支える重要な女優です。

 

2025年の今も、互いのキャリアを尊重する関係が続いています。

 

今回はここまでです。
これからも、岸本加世子さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

記事のポチっと拡散感謝です~(*´ω`*)