青山繁晴のブログや息子は?シンクタンクとは?選挙区や総裁選立候補?金慶珠と対立?
もくじ
青山繁晴さんのプロフィール
青山繁晴さんは、1952年7月25日、兵庫県神戸市中央区に生まれました。
幼少期は神戸の陽射しと海風に満ちた明るい街並みが性格の基盤を形成したようです。

m父親は繊維会社の神戸支社で勤務するサラリーマンで、青山さんは8人兄弟の末っ子として育ちました。
両親からは「お前は家督を継げない。お前だけは家から何ももらえない」と繰り返し聞かされ、自立心が早くから養われました。
小中学生の頃、文章を書くことに才能を発揮し、いくつかの賞を受賞したそうです。
周囲の両親や先生、友人からも、物書きになるのが確実視されていました。
また、近所の空き地で草野球を楽しむのが日課で、エース兼4番打者として活躍していました。
家族は後に兵庫県加西市へ引っ越し、姫路市に近いミッション・スクールの淳心学院中高等学校に通いました。
高校時代はカトリック教育の影響を受け、規律正しい生活を送ったとされています。
学歴については、1971年3月に淳心学院中高等学校を卒業後、同年4月に慶應義塾大学文学部に入学します。
しかし、20歳前後に学問のあり方や人間の根源的な問題に直面し、誰にも相談せずに1974年2月に中退しました。
哲学などの抽象的な学びに失望した青山さんは、経済学を基礎から学び直すことを決意します。
当時の慶應義塾大学に転学部制度がなかったため、一から早稲田大学政治経済学部を志望し、再受験に挑みました。
在学中はアルペンスキー競技に熱中しますが、大怪我を負い、卒業が5年遅れ、26歳の1979年3月に同学部経済学科を卒業しています。
また、学生時代からモータースポーツに興味を持ち、20歳前後にレースの世界に足を踏み入れました。
50歳を過ぎてからもA級ライセンスを取得し直すほど、情熱を注いでいます。
青山繁晴さんのブログや息子は?
青山繁晴さんのブログは、「青山繁晴の道すがらエッセイ/On the Road」というタイトルで運営されています。
このブログは、自身の来し方行く末を夜半に語るような形式で、プロフィールや経歴、執筆活動を綴ったものです。
2014年末頃に本格的に立ち上げられ、旧ブログの内容を一部書き改めて掲載しています。
折に触れて更新され、読者との交流も活発です。
例えば、日常の出来事から政治的な洞察まで、幅広いテーマを扱い、青山さんの思想や目標である「自由民主党を内部から変え、祖国を真の独立に導く」ことを軸に据えています。
ブログ内では、ペルー日本大使公邸人質事件での記者経験や、メタンハイドレート研究の苦労話なども詳細に語られており、読む者に深い洞察を与えます。
また、YouTubeチャンネル「青山繁晴チャンネル・ぼくらの国会」と連動し、動画の告知や補足も行われています。
一方、息子については、男児二人を育ててきました。
長男の青山大樹さんは、青山さんの活動を支える形で独立総合研究所の前社長を務めています。
家族は4人暮らしで、青山さんのブログやエッセイでは、子育てのエピソードが時折登場します。
例えば、幼い頃の息子たちと新幹線で急ぎ実家に向かった思い出や、父親として「親の背中を見せる」ことを重視した教育方針が記されています。
青山さんは、自身の末っ子経験から、子供たちに自立を促す姿勢を貫いたそうです。
妻の青山千春さんは水産学の研究者で、東京海洋大学特任准教授を務め、家族の絆を象徴する存在です。
プライベートな詳細は控えめですが、こうした家族の支えが青山さんの公的活動の原動力となっているようです。
シンクタンクとは?
青山繁晴さんが創立したシンクタンクは、「独立総合研究所」(通称:独研)と呼ばれます。
この研究所は、2002年4月に有限会社として設立され、すぐに株式会社化されました。
青山さんが三菱総合研究所で研究員を務めた経験を基に、日本初の純然たる独立系シンクタンクとして生まれました。
目的は、政府の施策の誤りや不足を指摘し、民間の視点から逆提案を行うことです。
補助金に頼らず完全自立を原則とし、外交、国家安全保障、危機管理、資源エネルギー分野を中心に調査・研究を進めています。
設立当初、青山さんは代表取締役社長兼首席研究員として指揮を執り、原子力発電所のテロ対策プロジェクトを自ら立案・推進しました。
しかし、政府委託の入札では談合や妨害に遭うことも多く、1000件に1件の受注率で苦闘したそうです。
メタンハイドレートの資源調査では、アメリカ地球物理学連合(AGU)で3度にわたり口頭発表を行い、2014年には招待講演も果たしています。
会員制クラブ「インディペンデント・クラブ」(IDC)では、ランチを交えた質疑応答会を開催し、支持者とのつながりを深めました。
また、東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)のような会員向け配信も特徴です。
2016年7月の参議院議員当選を機に、青山さんは社長職を退任し、創業者株を無償で返上しました。
現在は妻の青山千春さんが代表取締役社長を務め、長男の青山大樹さんが前社長として関わっています。
研究所の活動は、青山さんの国会での参考人証言(有事法制、福島原子力災害、特定秘密保護法など)と連動し、公私を越えた影響力を発揮しています。
こうした独立した立場が、青山さんの発言に独自の説得力を与えています。
高市早苗さんや金慶珠さんとは?
青山繁晴さんと高市早苗さんの関係は、主に自民党内の政策議論や選挙支援を通じて築かれています。
2025年の自民党総裁選では、青山さんが高市さんへの投票を公表し、秋葉原での街頭演説後に事務所を訪れた高市さんと面会しました。
青山さんはブログで「高市候補に投票する」と明言し、党員獲得数の多さを評価しています。
また、2021年10月には青山さんから高市さんに電話をかけ、政策について意見交換した記録があります。
高市さんのYouTubeチャンネルでは、青山さんからの応援メッセージが配信され、国際社会と中国の対立構造についての質問応答も行われました。
最近では、公明党の連立離脱問題で、高市さんの支持基盤をめぐる議論の中で青山さんがコメントを寄せ、党内の結束を促しています。
両者は保守的な安全保障観を共有し、互いの活動を尊重する関係です。
一方、金慶珠さんとの関係は、2014年頃のテレビ出演をめぐる出来事に遡ります。
当時、青山さんはテレビ朝日系「サンデースクランブル」への出演を予定していましたが、金慶珠さんが共演を拒否したため、急遽キャンセルとなりました。
青山さんのブログでは、この一件を「一方的な忌避」と振り返り、韓国人研究者としての金慶珠さんの立場が影響した可能性を指摘しています。
このエピソードは、保守派論客同士の意見対立を象徴するものとして、当時メディアで話題になりました。
以降、両者の直接的な交流は公に報じられていませんが、青山さんの発言はこうした過去の経験を踏まえた慎重さを帯びています。
入閣は?
青山繁晴さんの入閣については、現在、具体的な閣僚就任の事実はありません。
しかし、自民党総裁選での高市早苗さん支持表明が、党内での評価を高め、入閣の可能性を巡る議論を呼んでいます。
例えば、Yahoo!知恵袋などの場では、「高市政権で財務大臣になるか」といった声が見られます。
また、X(旧Twitter)では「青山繁晴さん入閣しないかな」という投稿が散見され、支持者の期待が表れています。
青山さんは参議院議員2期目として、環境委員長を務め、党の女性局次長やネットメディア局次長も歴任しています。
過去の公職経験(経産相総合資源エネルギー調査会専門委員、内閣原子力委員会専門委員など)を活かし、安全保障やエネルギー政策で専門性を発揮してきました。
2025年9月の総裁選後、高市さんの総裁就任見通しの中で、青山さんは維新との連立協議についてブログで意見を述べ、「積極財政の打ち出し」を注文しています。
このような党内での積極的な役割が、入閣人事への布石となる可能性は指摘されています。
ただし、青山さん自身はブログや発言で入閣を直接示唆しておらず、議員活動を通じた党改革を優先する姿勢を崩していません。
将来的な動向に注目が集まっています。
今回はここまでです。
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