池上季実子の現在と若い頃は?娘や旦那は?父親や家系図は?梶原一騎とは?病気は?写真集は?
もくじ
池上季実子さんのプロフィール
池上季実子さんは、1959年1月16日、アメリカのニューヨークで生まれました。
京都府京都市と東京都で育ち、身長157センチ、血液型O型です。

学歴は玉川学園中学部・高等部から堀越高等学校へ転入し、1977年に卒業しています。
幼少期は3歳までニューヨークのマンハッタンで過ごしましたが、帰国後は京都で小学校を卒業するまで暮らしました。
標準語を話すため学校でいじめられることもあり、家では父親の厳しい教育に耐える日々を送っていたようです。
学生時代は具体的な部活や習い事の記録は公にされていませんが、従兄の歌舞伎役者である坂東八十助さん(後の十代目坂東三津五郎さん)の影響で芸能界への興味を抱いたと語っています。
現在と若い頃は?
池上季実子さんの若い頃は、華やかな芸能界デビューから一気に注目を集めた時期です。
1973年、中学2年生の時にNHKのスタジオでスカウトされ、翌1974年のドラマ『まぼろしのペンフレンド』(NHK)で女優としてデビューしました。
同年、テレビ東京系の『純愛山河 愛と誠』で主演を務め、剣道少女の役柄で一躍ブレイク。
18歳の時に映画で、大胆な役どころもこなしました。
1984年の映画『陽暉楼』では日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞し、女優としての地位を確立。
デビューから数年間は、週刊誌で恋愛沙汰が取り沙汰されることも多く、活発なキャリアを築いていきました。
現在、66歳となった池上季実子さんは、映画や舞台を中心に精力的に活動を続けています。
2024年には映画『風の奏の君へ』で老け役に挑戦し、髪を6回脱色するなど徹底した役作りを見せました。
また、舞台『そぞろの民』などの公演にも出演し、ブロンドヘアの近影がSNSで話題になるなど、変わらぬ美しさを保っています。
公式InstagramやX(旧Twitter)では、日常のオフショットや出演情報を発信し、ファンとの交流を大切にしています。
2022年の新型コロナウイルス感染による重症化を乗り越え、一日一食の生活で体調を管理しながら、初ミュージカルへの出演も予定。
コロナ禍を機に「命の尊さ」を再認識し、生きる喜びをテーマにした活動「Be Happy」も展開しています。
食べ歩きが趣味で、女優仲間との食事会を楽しむ姿も見られます。
娘や旦那は?
池上季実子さんの家族構成は、過去の結婚と離婚の経験が基盤となっています。
1985年、26歳の時に10歳年上の一般男性である古美術商の臼井一元さんと結婚しました。
この結婚は、池上季実子さんの芸能活動を支える穏やかな生活を望むものでした。
しかし、1988年に離婚。離婚の理由については、仕事の忙しさや価値観の違いが徐々に溝を生んだと本人が振り返っています。
離婚後も、池上季実子さんは娘さんを一人引き取り、女手一つで育て上げました。
娘さんは一般人で、名前や詳細な職業は公表されていません。
女優の道を選ばず、普通の生活を送っているようです。
娘さんとの関係は今も良好で、子育ての苦労を乗り越えた絆が池上季実子さんの支えとなっているようです。
父親や家系図は?
池上季実子さんの父親は、商社マンとして働いていた一般の方です。
厳格な性格で、娘の教育に熱心でしたが、些細なことで怒鳴ったり手を上げたりする場面もあり、池上季実子さんにとって幼少期の辛い記憶として残っています。
女優デビューを決めた際も、父親の反対を押し切り、黙って活動を始めました。
一方、母親は歌舞伎役者である八代目坂東三津五郎さんの次女で、伝統芸能の血筋を引く家柄です。
2022年8月には、わずか10日間の間に父親と母親の両親が相次いで亡くなり、池上季実子さんは深い悲しみを抱えました。
家系図を見ると、母方の一族が特に華やかです。
祖父の八代目坂東三津五郎さんは人間国宝に認定された歌舞伎の名優で、叔父は九代目坂東三津五郎さん、従兄は十代目坂東三津五郎さんです。
この歌舞伎界の名門に連なる血筋が、池上季実子さんの芸能界入りに間接的に影響を与えたのかもしれません。
弟さんは一般男性で、詳細は公にされていません。
全体として、父親の商社一家と母親の梨園の血が融合したユニークな家系が、池上季実子さんの多面的な人生を象徴しています。
梶原一騎とは?
池上季実子さんと漫画家の梶原一騎さんの関係は、1981年頃に熱愛として報じられたものです。
梶原一騎さんは、池上季実子さんが主演したドラマ『愛と誠』の原作者で、仕事を通じた師弟のようなつながりから親密になりました。
梶原一騎さんは池上季実子さんを自身のプロダクションに引き抜き、役作りのアドバイスを送るなど、キャリアを後押しした存在でした。
当時の週刊誌では、交際のほか「首輪を付けられたペットのような扱い」というゴシップも流れましたが、これは過熱した報道によるもので、池上季実子さん自身が詳細を否定したわけではありません。
関係は一時的なものに留まり、池上季実子さんの女優人生に影響を与えたエピソードとして語り継がれています。
梶原一騎さんの奔放な性格が、池上季実子さんの「恋多き女」というイメージを助長した側面もあるようです。
病気は?
池上季実子さんは、これまでいくつかの健康面での試練を経験してきました。
2022年4月、新型コロナウイルスに感染し、高熱が続き死の淵をさまよう重症状態に陥りました。
退院後も後遺症が残り、映画の撮影時には酸素ボンベを携行するなど、日常的に体調管理を徹底しています。
この経験を機に、病床で「これで終わってしまうかもしれない」と感じ、命の大切さを痛感したそうです。
また、過去の1987年5月、カナダでの旅番組ロケ中に観光馬車が暴走し、転落事故で全身を打撲。
公表されなかった後遺症が長く続き、仕事に支障をきたした時期もありました。
さらに、子育てのストレスから空の巣症候群や十二指腸潰瘍を患ったこともあり、落ち込んだ時は悩みに深く向き合うことで乗り越えてきました。
現在は一日一食の食事法で体を整え、芝居を通じて心身のバランスを取っています。
池上季実子さんは、これらの病気を「すべての経験に意味があった」と前向きに振り返り、ファンに勇気を与え続けています。
写真集は?
池上季実子さんは、女優としてのキャリアの中で、2冊の写真集を出版しています。
1980年10月に発売された『ささやいて愛 淋しくて悲しくて幸せです』は、撮影を玉川清さんが担当した作品で、水着姿のピンナップが付属するなど、当時の大胆なイメージを反映した一冊です。
タイトル通り、淋しさや幸福感をテーマに、情感豊かなポートレイトが収められています。
もう一冊は2004年11月の『Active』で、バウハウスから出版されました。
芸能生活30周年を記念した特別作品で、小町剛廣さんの撮影で、大人の魅力を存分に発揮した作品と話題になりました。
どちらの写真集も、池上季実子さんの妖艶な表情が際立ち、コレクターアイテムとして今も取引されています。
これらの作品は、彼女の多角的な表現力を示す貴重な記録です。
今回はここまでです。
これからも、池上季実子さんの活躍を期待しています。
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