美保純の現在の年齢と若い頃は?結婚や子どもは?北の国からは?中村うさぎとは?

女優

美保純さんは、日本の女優やコメンテーターとして長年活躍されている方です。

 

もくじ

美保純さんのプロフィール

 

1960年8月4日、静岡県静岡市で生まれました。

 

身長は158cm、血液型はA型で、所属事務所はノックアウトです。

 

 

本名は曽根ちよみさんといい、芸名の「美保純」はデビュー当時の流行を考慮して付けられたものです。

 

名字の「美保」は静岡の名所である三保の松原に由来し、名付け親は映画監督の渡辺護さんでした。

 

当初は「松原」も候補でしたが、響きが良い「美保」に決まったそうです。

 

下の名「純」は、当時流行っていた「レイコ」や「ジュンコ」から着想を得て、「ミホジュンコ」が語呂が悪いため「子」を省略した形です。

 

学歴については、美保純さんは静岡市立新通小学校を卒業されました。

 

小学校時代は、家族の影響で活発に過ごされたようです。

 

幼少期の様子は、決して裕福とは言えない家庭環境の中で育ちました。

 

実家は木工業を営むところで、父親は家具職人でした。

 

母親は駅弁売り場で働かれ、兄と姉がいる5人家族の末っ子として生まれました。

 

当時の家は井戸水を使うような質素な生活で、美保純さんは外遊びが大好きでした。

 

海や川で泳ぐのが楽しみで、夏になるとよく水辺で過ごされたそうです。

 

また、小学3年生の頃には、自作の台本を使って人形劇を披露するなど、すでに表現意欲が強く、将来の女優の片鱗を見せていました。

 

中学校時代はバレーボール部に所属し、チームメイトと汗を流す日々を送られました。

 

高校については詳細な記録が少なく、芸能界入り前の上京後に広告代理店でアルバイトをされていたことが知られています。

 

この学生時代の部活や習い事は、彼女の明るく社交的な性格を形成したようです。

 

バレーボールを通じて培ったチームワーク精神は、後年の共演者との関係性にもつながっているのかもしれません。

 

 

 

美保純の現在の年齢と若い頃は?

 

美保純さんの現在の年齢は、なんと、60歳代半ばなのだそう。

 

若い頃の美保純さんは、1981年に女優デビューを果たされ、鮮烈な印象を残されました。

 

20歳の時に上京し、広告代理店でのアルバイト中にスカウトされたのがきっかけです。

 

 

デビュー作で即主演を務められています。

 

当時、公式プロフィールでは年齢を1歳サバ読みして19歳とされ、その方がインパクトが大きい。とのマネージャーの判断だったそうです。

 

このデビューは衝撃的で、小顔が特徴的だったため、スタッフから「干し首ミイラ」とのニックネームを付けられるほどのユニークなエピソードもありました。

 

デビュー翌年以降の作品も、若者層から絶大な支持を集め、シリーズ化されるほどのヒットとなりました。

 

この作品でブルーリボン賞新人賞や日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞され、一躍注目を浴びました。

 

週刊誌のグラビアにも登場し、「隣のお姉さん」的な親しみやすいキャラクターで人気を博されました。

 

 

一般映画への転向も早く、1984年の『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』でタコ社長の娘・あけみ役を演じ、以後シリーズにレギュラー出演されました。

 

1987年には『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』と『キネマの天地』で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞し、女優としての地位を確立されました。

 

若い頃のレアな情報として、デビュー2年目には年間収入が億単位に達したそうです。

 

しかし、事務所が給料制に移行したため、稼ぎの9割を引かれる厳しい状況も経験されました。

 

また、1982年頃に静岡駅前地下街爆発事故が発生した際、デパート勤務中だった美保純さんの姿が見えず、巻き込まれたのではと心配されたエピソードもあります。

 

幸い無事でしたが、このようなハプニングが彼女の人生に彩りを加えています。

 

20代後半の1989年頃には、交通事故で顔面に重傷を負われ、引退を考えるほどでした。

 

フロントガラスに頭をぶつけた衝撃で傷跡が残りましたが、復帰後の活躍はさらに輝きを増しました。

 

 

結婚や子どもについて

 

美保純さんは現在独身で、結婚歴はなく、子どももおられません。

 

過去に何度か熱愛が報じられましたが、結婚に至った例はありませんでした。

 

例えば、俳優の竹中直人さんとは1984年の映画『ロケーション』での共演をきっかけに交際がスタートし、グループデートから夫婦のような仲良しぶりを発揮されました。

 

結婚寸前までいったとの噂もありますが、破局されています。

 

今でも友人関係が続いているそうです。

 

また、10年ほど前に同棲を前提とした交際をされていた男性がおりましたが、相手の親が自宅を担保に3000万円の借金を作っていたことが発覚し、恐怖を感じて別れを決意されました。

 

「親族になったら私が返すのか」との不安から、入籍を避けられたそうです。

 

この経験も、結婚観に影響を与えたようです。

 

 

美保純さんは「自分で稼げれば無理に結婚する必要はない。自由に恋愛しながら生きるのもいい」と語られ、結婚願望が薄いことを明かされています。

 

20代の頃に大物俳優2人から同時にアプローチを受け、「神に救われました」と振り返る話もあります。

 

こうした過去の恋愛は、彼女の自立した生き方を象徴しています。

 

 

『北の国から』について

 

美保純さんは1987年のスペシャル『北の国から’87初恋』から出演され、シリーズの重要なキャラクターを演じられました。

 

役柄は飯田アイコさんで、人参工場で働く広介の姉として登場します。

 

物語では、北村草太さん(岩城滉一さん演)と結婚する展開があり、1992年の『’92巣立ち』まで深く関わられました。

 

以降も『’89帰郷』『’95秘密』『’98時代』『2002遺言』に登場し、富良野の厳しい自然の中で生きる女性像を体現されました。

 

この役は、美保純さんの演技力を高く評価され、シリーズファンから愛されています。

 

倉本聰さんの脚本のもと、田中邦衛さんや吉岡秀隆さんらとの共演は、彼女のキャリアのハイライトの一つです。

 

アイコさんは当初、黒板家の近隣住民として描かれましたが、結婚後の生活描写で地域の絆を象徴する存在となりました。

 

 

中村うさぎさんとは

 

中村うさぎさんとは、TOKYO MXの情報番組『5時に夢中!』での共演がきっかけで、複雑な関係になりました。

 

美保純さんは2009年から水曜コメンテーターとして出演され、中村うさぎさんもレギュラーでした。

 

しかし、2015年頃にトラブルが発生し、中村うさぎさんが降板されました。

 

原因は、美保純さんの体型に関する発言が中村さんに傷つけたとの誤解や、スタッフの対応に不信感を抱いた点です。

 

具体的に、中村うさぎさんのブログでは、番組内で「腹の肉がすごーい」「顔が真ん丸〜」と笑われたと感じ、プロデューサーや美保純さんへの不満を綴られました。

 

 

一方、MCのふかわりょうさんは、後年の説明で暴言は中村うさぎさんから出ていないとし、美保純さんも陰口を言っていないとすましました。

 

スタッフが相談を受けた内容が誤伝達されたようです。

 

この騒動後、中村うさぎさんは「絶対に許す気ない」とブログで述べ、深い溝が残りました。美保純さんは番組を続けられましたが、両者の関係は残念ながら修復されていません。

 

美保純さんは、65歳になられてもNHK『ごごナマ』などのレギュラーを持ち、精力的に活動されています。

デビューから40年以上、自由奔放な魅力でファンを魅了し続けています。

 

 

今回はここまでです。
これからも、美保純さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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