吉田照美はワクチンで体調不良?小俣雅子とキス写真?嫁と子どもは?ツイッターの被害者の会とは?
もくじ
吉田照美さんのプロフィール
吉田照美さんは、1951年1月23日、東京都葛飾区で生まれました。
幼少期は下町らしい賑やかな環境で育ちました。小学校2年生の夏休み前、家族で葛飾区小岩に引っ越したそうです。
転校初日、担任の先生からクラスメートに紹介される際、「今日からこのクラスに転校して来た吉田照美くんです!」と呼ばれ、女の子のような名前をからかわれることもありました。
寒い冬の朝、たき火で温めた石を懐に入れて登校したり、クラスで一番背が低かったりしたエピソードが、照美さんのユニークな性格を物語っています。
中学校は江戸川区立小岩第三中学校、高校は東京都立小岩高等学校に進学しました。
高校時代は特に目立つ部活動や習い事の記録はありませんでした。
大学受験では1年間の浪人を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。
学生時代はアナウンス研究会に所属し、4年生時には委員長を務めました。
研究会では放送の基礎を学び、将来のアナウンサーへの道を切り開きました。
1974年に文化放送に入社し、『セイ!ヤング』や『吉田照美のやる気MANMAN!』などの深夜ラジオ番組で人気を博しました。
現在はフリーアナウンサーとして、文化放送の『てるのりのワルノリ』や『伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛』などで活躍中です。
画家としても活動し、独自の作品を発表しています。
吉田照美さんはワクチンで体調不良?
吉田照美さんは2025年9月、体調不良のため入院し、活動を一時休止しました。
所属事務所の発表によると、高血圧が原因で即入院となったそうです。
入院中には尿路感染症を併発し、退院予定が1週間延期される事態になりましたが、9月19日に退院。自宅療養を経て、27日のラジオ番組『てるのりのワルノリ』で生放送復帰を果たしました。
番組内で照美さんは「血圧を測ったら即入院だよ」と振り返り、入院生活の忙しさを笑い話に変えていました。
MRIの大きな音の中でも眠ってしまうほどリラックスしていたそうです。
復帰直後の声は若返ったように力強く、聴取者からも温かい声援が寄せられました。
一方で、ネット上ではこの体調不良を新型コロナワクチンとの関連づけての憶測が広がりました。
照美さんは過去にラジオで「ワクチンは支配層の人口削減計画」と発言したことがあり、2024年頃には「四毒抜き」という健康法の動画を投稿していました。
また、2022年の動画では医師の倉持仁さんが出演し、ワクチンに関する話題が取り上げられました。
休止発表後、一部の投稿では「mRNAワクチン接種が原因では」との声が上がり、照美さん自身が反ワクチン的な立場を示唆したエピソードが引用されました。
しかし、公式発表では高血圧と感染症のみが明記されており、ワクチンとの直接的な因果関係は確認されていません。
70歳代という年齢を考慮した自然な体調変化の可能性も指摘されています。
照美さんは復帰後、「完治です!」と前向きに語り、万全の体調でマイク前に戻っています。
小俣雅子さんとキス写真?
吉田照美さんのラジオキャリアで欠かせない存在が、小俣雅子さんです。
小俣雅子さんは1952年6月19日生まれのフリーアナウンサーで、元文化放送アナウンサー。
照美さんと同じくアップフロントクリエイト所属で、エッセイストとしても活躍しています。
二人は文化放送の長寿番組『吉田照美のやる気MANMAN!』で20年間コンビを組み、絶妙な掛け合いが人気を呼びました。
1987年から2007年まで放送されたこの番組は、深夜の過激なトークで知られ、照美さんの辛口コメントと小俣さんの突飛なリアクションがリスナーを魅了しました。
金曜日のコーナー『新曲ジョッキー』では、音楽評論家ルミ・吉田さんが新曲を批評するなど、多彩な内容が話題になりました。
そんな二人の関係に、2007年頃、週刊誌で密会写真が報じられました。
内容は車内でのキスシーンを捉えたもので、不倫疑惑として大々的に取り沙汰されました。
このスキャンダルが番組終了の引き金になったとの見方もあり、当時の文化放送関係者も困惑したそうです。
写真の詳細は今もネット上で語り草となっており、「やる気MANMAN」のファンからは衝撃のエピソードとして記憶されています。
しかし、当事者からの公式コメントはなく、事実関係は曖昧なままです。
二人はその後もラジオやイベントで共演を続け、2022年の番組復刻版ではオープニングの裏話が振り返られました。
マツコ・デラックスさんもゲスト出演時、「音で分かるほどの親密さ」と評しています。
現在の小俣さんはエッセイ執筆を中心に活動し、照美さんとの絆は変わらず、ファンからは「永遠のコンビ」と慕われています。
嫁と子どもは?
吉田照美さんはプライベートをあまり明かさないことで知られていますが、1988年に結婚しています。
妻とは9年間の交際を経てのゴールで、ラジオ番組『セイ!ヤング』の公開イベントで出会いました。
当時、照美さんは深夜放送のパーソナリティーとして人気を確立しており、イベント参加者の一人が妻となったそうです。
結婚は番組開始後すぐで、照美さんのキャリアに大きな支えを与えました。
妻の詳細は非公開ですが、照美さんがラジオで「家庭を大事にしている」と語るエピソードから、穏やかな家庭像が想像されます。
子どもについては、長男が一人います。
2002年12月時点で中学1年生だったことが、過去のインタビューで明らかになっています。
現在は成人し、独立した生活を送っているようです。
照美さんは息子との交流をラジオで時折触れ、手紙の朗読コーナーでエピソードを共有したこともあります。
例えば、息子が学校の出来事を手紙に綴った話が、温かく紹介されました。
葛飾区立石出身の照美さんは、現在も地元にゆかりが深く、家族と下町を散策する姿が想像されます。
結婚生活は36年以上続き、照美さんの多忙なスケジュールを妻が支えているそうです。
2025年の入院時も、家族の支えが回復の力になったと感謝の言葉を述べていました。
プライバシーを尊重する照美さんらしい、控えめな家族像です。
ツイッターの被害者の会とは?
吉田照美さんのツイッター(X)上で話題になる「吉田照美被害者の会」とは、ラジオ番組のリスナーたちが自ら名乗るユーモラスなコミュニティです。
主に文化放送の『てるのりのワルノリ』で生まれ、照美さんの過激な罰ゲームや突飛な企画に巻き込まれた「被害者」たちが集まるネタとして定着しました。
例えば、番組のイベントチケット販売時、照美さんが「吉田照美物販被害者の会に加入を」と呼びかけ、CDやステッカーの購入を促す投稿が2025年1月にありました。
正式名称は「吉田照美被害者“友”の会」で、会長や副会長が存在するジョーク設定です。
この会の起源は、照美さんの長年のラジオスタイルにあります。
『セイ!ヤング』時代から、公開イベントでのドタバタや、罰ゲームでリスナーが「被害」を被るエピソードが多かったです。
ツイッターではハッシュタグ「#吉田照美被害者の会」が使われ、2025年9月の入院復帰時も「被害者たちが心配した」との投稿が相次ぎました。
太田英明アナウンサーも番組内で「ロバはダメだありゃダメだ」と自称被害者をからかい、笑いを誘いました。
また、『おひとりさんラジオ』ではタケヤノブコさんが「吉田照美被害者の会」入りを告白し、深夜番組の思い出を共有しています。
これは単なる被害者集団ではなく、照美さんのファンコミュニティの象徴で、過激なトークを楽しむ「友」の輪です。
2025年3月のイベントでは、チケット残り2枚の呼びかけに「会加入で参加」との声が飛び、照美さんの人柄が反映された温かい交流を生んでいます。
こうしたネタが、照美さんのラジオ人生を彩る魅力の一つです。
今回はここまでです。
これからも、吉田照美さんの活躍を期待しています。
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