中村梅雀の妻や元嫁は?娘や息子は?家系図や父は?歌舞伎やめたの?ベース上手?
もくじ
中村梅雀さんのプロフィール
中村梅雀さんは、日本の演劇界を代表する俳優の一人です。
1955年12月12日、東京都武蔵野市に生まれました。本名は三井進一さんで、血液型はAB型です。
歌舞伎役者の家系に生まれたこともあり、幼少期から芸能の世界に親しみながら育ちました。
5歳頃から芝居や日本舞踊、三味線、書道などの習い事を始め、自然と舞台の道に進む基盤が築かれました。
母親がピアニストだった影響で、クラシック音楽にも早くから触れ、低音の響きに魅了されるようになります。
学校生活では、東京都立荻窪高等学校に進学し、桐朋学園短期大学演劇専攻を卒業しました。
学生時代は演劇に没頭する一方で、12歳頃からベースギターに興味を持ち、中学生の頃にはバンド活動を始めました。
部活動としては演劇部に所属し、舞台の稽古に励む日々が続きました。
中村梅雀さんの妻や元嫁は?
30代前半に一般女性の方と結婚されました。
具体的な名前や詳細なプロフィールは公にされていませんが、1995年頃に離婚されています。
離婚の理由は、当時の多忙な仕事と家庭のバランスの難しさによるものとされていますが、中村梅雀さんはインタビューで「家庭に感謝している」と振り返るコメントをされています。
離婚後も互いに尊重する関係が続いているようです。
一方、現在の妻は女優の瀬川寿子さんです。2006年に再婚され、25歳の年齢差があります。
瀬川寿子さんは、中村梅雀さんが所属していた劇団前進座の養成所出身で、2002年頃に付き人として出会いました。
当初は舞台のサポート役として支え合い、自然と心を通わせるようになります。
中村梅雀さんはブログで「50年生きてきて最高の人に出会った」と語り、純粋な愛情を綴りました。
再婚のきっかけは、瀬川寿子さんの優しさと献身的な姿勢にあり、互いの年齢差を越えた絆が今も強いです。
夫婦の日常は、音楽や舞台の話題で盛り上がり、互いに刺激を与え合う関係のようです。
中村梅雀さんは、妻の存在が「心の支え」だと繰り返し述べています。
娘や息子は?
中村梅雀さんには、2人の娘さんがいます。息子さんはおりません。
前妻との間に長女が生まれ、2015年時点で25歳頃という話がみられました。
離婚後も娘さんとの関係は良好で、中村梅雀さんは「今でも続いている」と明かしています。
娘さんは父親の再婚を温かく見守り、妹の誕生時には「2人で歩いたら、私の娘と思われるわね」と笑顔で祝福したそうです。
娘さんは一般の方で、芸能界には進んでいませんが、中村梅雀さんは「ライブを一緒にやりたい」と夢を語っています。
次女は、現在の妻・瀬川寿子さんとの間に2015年8月に誕生しました。
生まれた当時、中村梅雀さんは59歳でした。ブログで「生んでくれてありがとう、生まれてきてくれてありがとう」と喜びを綴り、家族の待望の赤ちゃんとして迎え入れました。
中村梅雀さんは、娘さんのために長生きし、将来一緒に楽器を演奏したいと語ります。
家系図や父は?
中村梅雀さんの家系は、歌舞伎役者の名門として知られています。
屋号は成駒屋で、曾祖父から4代続く芸能一家です。
家系図を簡単にまとめると、曾祖父は初代中村梅雀さん(後の二代目中村翫右衛門)。
浅草柳盛座の座頭として活躍し、歌舞伎の基盤を築きました。
祖父は三代目中村翫右衛門さんで、劇団前進座の創立メンバーとして新劇運動に貢献。
戦後の「赤平事件」にも関わり、演劇界の革新者でした。
父は四代目中村梅之助さんで、テレビ時代劇『遠山の金さん捕物帳』や『伝七捕物帳』で人気を博した名優です。
1985年の大河ドラマ『真田太平記』では、中村梅之助さんが徳川家康役、中村梅雀さんが秀忠役で親子共演を果たしました。
父親の中村梅之助さんは、厳しくも温かな人柄で知られています。
9歳で初舞台を踏み、子役時代から映画や舞台で活躍。
息子の中村梅雀さんには、歌舞伎の厳しさを教え込みましたが、退団時には「苦しさがわかるから」と理解を示しました。
2013年に亡くなられましたが、中村梅雀さんは父の十手を大切に保管し、伝七役を引き継ぐ際に喜びを語りました。
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母親はピアニストで、クラシック音楽の影響が中村梅雀さんのベーシストとしての原点です。
兄弟は、幼少期に弟を1日で亡くし、妹が死産だったため、事実上一人息子として育ちました。
家系図からは、芸の継承と革新の精神が受け継がれていることがわかります。
歌舞伎やめたの?
中村梅雀さんは、歌舞伎役者の家系に生まれ、1965年10歳の時に新橋演舞場『勧進帳』で太刀持ち役として初舞台を踏みました。
1980年に劇団前進座に入座し、同年12月に二代目中村梅雀を襲名。
歌舞伎から現代劇まで幅広いレパートリーをこなし、1995年の大河ドラマ『八代将軍吉宗』で徳川家重役を演じて注目を集めました。
しかし、2007年に51歳で前進座を退団しています。
これは「やめた」というより、フリーの俳優として新たな道を選んだ転機です。
退団の背景には、先輩との確執や経済的な苦労がありました。
実力主義の前進座で、父親の影響もありプレッシャーが強く、26年間の在籍中は常に厳しい視線にさらされました。
退団後、歌舞伎の舞台にはほとんど立っていませんが、役者としての基盤は変わらず、テレビや映画で活躍を続けています。
歌舞伎を完全に廃業したわけではなく、血筋の誇りを胸に、現代の表現を追求していらっしゃるようです。
ベース上手?
中村梅雀さんのもう一つの顔は、ベーシストです。
12歳でベースを始め、中学生時代にジャズ・フュージョンバンドを結成。
松原正樹さんや安田裕美さんらと共演し、作曲も手がけました。
母親のピアノ演奏から低音に惹かれ、幼少期の三味線を改造してエレキ三味線でビートルズのベースラインを弾くなど、独学で腕を磨きました。
ジャコ・パストリアスの熱狂的なファンで、2009年にジャコが使用したブラック・フェンダー・ジャズベースを入手。
所有するベースは74本、ギター18本、アンプ11台と、コレクションの規模はプロ級です。
演奏技術は本格的で、ゴーストノートやスラップ、コードアプローチを自在に操ります。
坂本冬美、中村梅雀のベースとコラボに「心地いい」と大絶賛 新歌舞伎座で特別公演開幕 https://t.co/r3sZx4bySd #芸能ニュース #ニュース pic.twitter.com/d7we0eKXEO
— スポーツ報知 (@SportsHochi) February 3, 2023
2017年に初ソロアルバム『Bright Fortune』をリリースし、オリジナル曲9曲を含む12曲を収録。
The Whoのジョン・エントウィッスルに捧げた曲では、ロックのダイナミズムを表現しました。
ライブでは井上銘さんらミュージシャンと共演し、2025年6月にはデビュー60周年記念ライブをブルーノート東京で開催予定です。
ノンストップ!での演奏では、ZEMATISのベースでチョッピングを披露し、視聴者を驚かせました。
中村梅雀さんは「DNAの半分が音楽家」と語り、俳優業の合間に音楽を追求。
ジャズフェス『インペリアルジャズ2025』への出演も決まり、ベースの腕前はますます冴えわたっています。
この二刀流の才能が、中村梅雀さんの永遠の魅力を支えています。
中村梅雀さんの人生は、伝統と革新の狭間で輝くものです。
家族の温かさ、芸能一家の誇り、多才な表現力。それらが織りなす軌跡は、これからも多くの人を魅了し続けるでしょう。
今回はここまでです。
これからも、中村梅雀さんの活躍を期待しています。
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