加藤登紀子獄中婚の夫の死因や再婚は?母親や子供は娘?現在年齢は?若い頃画像!

歌手・音楽家

歌手、作詞作曲家として活躍の加藤登紀子さん。

 

1943年生まれで、出身地は中国ハルビン市。

 

 

学歴は、駒場高校、東京大学文学部を卒業されています。

 

幼い頃は、赤面症で声が低いことに悩み、将来人前に立つような活躍をするとは夢にも思ってなかったようです。

 

大学生の時にフランス人のシャンソン歌手「エディット・ピアフ」が亡くなり、多くの特番を目にしたことで、ピアフのファンに。

 

そして、自身もシャンソンを歌いたいという気持ちが芽生えました。

 

そして、昭和40年に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し、歌手デビューを果たし、現在に至ります。

 

 

 

 

もくじ

加藤登紀子獄中婚の夫の死因や再婚は?

 

加藤登紀子さんは、1972年に結婚。

 

夫は、政治活動家、有機農法を実践の農家として活躍された藤本敏夫さん。

 

1968年に研修医制度見直しを求め、学生たちが卒業式をボイコットし、安田講堂前で座り込みをした際に加藤登紀子さんも賛同。

 

すでにレコード大賞などを受賞されていた加藤登紀子さんが座り込みしたとの記事を見た藤本敏夫さんが、学生集会で歌って欲しいと加藤登紀子さんに依頼したことが二人の出会いでした。

 

加藤登紀子さんの方が、夫に一目惚れしたと言う話がネットでみられました。

 

しかし、藤本敏夫さんは学生運動をしたことで、実刑判決を受け刑務所へ入所。

 

その時、加藤登紀子さんは藤本敏夫さんの子供を身ごもっており、加藤登紀子さんは、結婚の意思を確かめるために刑務所へ出向き、結婚を決めました。

 

2002年、結婚から30年を記念する年に、肝臓がんで亡くなっています。

 

 

夫が千葉県鴨川市で農家をはじめたいと言った際には離婚の危機もあったそうです。

 

結局、加藤登紀子さんは東京で歌手活動を続け、どちらかが出向く形で、結婚生活を続け、最後まで添い遂げています。

 

御主人が亡くなった後、再婚はされていないそうです。

 

 

 

 

母親や子供は娘?

 

加藤登紀子さんの母親は、2017年に101歳という年齢で、亡くなっています。

 

大往生ですね。

 

90歳を過ぎてから、ハルビンで過ごしたことを書籍化して出版されています。

 

そして、子供についてですが、加藤登紀子には娘が3人います。

 

ちなみに、孫は7人いるそうです。

 

次女は歌手のYaeさん。

 

 

次女がお母様と同じ道へ進まれたのですね。

 

 

 

現在年齢は?

 

加藤登紀子さんは、1943年生まれですので、年齢は80歳を越えました。

 

先ほどお伝えした通り、お母様は100歳を超える大往生でしたから、加藤登紀子さんにも長生き遺伝子が受け継がれていそうです。

 

 

2024年には、デビュー60周年という輝かしい記念コンサートも行われました。

 

年齢を感じさせない、パワフルなステージを毎年開催されています。

 

 

 

若い頃画像!

 

現在も年齢を感じさせない、活躍をされておりますが、若い頃はどのような雰囲気だったのでしょうか?

 

では、さっそくご覧ください。

 

加藤登紀子さんの若い頃画像!

 

 

もっと見たい方はこちらから→加藤登紀子さんの若い頃画像!

 

加藤登紀子さんというと、ベリーショートのイメージがありましたが、若い頃は髪を伸ばしていたこともあったのですね。

 

今回はここまでです。
これからも、加藤登紀子さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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