伊東四朗は生きてる?サウナ閉じ込めに?息子と娘も俳優?小松政夫とは?電線マン・モヤっと・ニン!とは?
もくじ
伊東四朗さんのプロフィール
伊東四朗さんは、1937年6月15日生まれのコメディアン、俳優、タレント、テレビ司会者です。
本名は伊藤輝男で、所属事務所の「オルテ」は本名の「てるお」を逆さ読みしたものに由来します。
東京都台東区台東(旧・東京市下谷区竹町)出身で、身長166cm、血液型はO型です。
実家は洋服屋で、父親は仕立て職人でした。
5人きょうだいの4番目で、兄2人、姉1人、妹1人がいます。
幼少期は3歳で流行歌を歌うほど音楽に親しみ、父親の影響で平家の末裔という家系の話を聞かされながら育ちました。
小学生の頃は秀才の兄に強制的に英語を勉強させられ、12歳で兄がリーダーを務めるアマチュア劇団の舞台に頼まれてデビューし、芝居に熱中するようになりました。
学歴は東京都立市ヶ谷商業高等学校卒業です。
高校卒業後は就職を希望し、数多くの面接を受けましたが、目付きや人相を理由に不採用が続き、伝手を頼って製薬会社に就職しました。
しかし、すぐに辞めて演劇の道へ進み、早稲田大学に入学して生協で働きながら演劇に通いました。
1958年に軽演劇の石井均率いる劇団「笑う仲間」に参加し、1962年に三波伸介さん、戸塚睦夫さんと「てんぷくトリオ」を結成して本格的に芸能界で活躍を始めました。
現在も日本喜劇人協会の相談役を務め、ドラマや舞台で精力的に活動しています。
2025年5月には第50回菊田一夫演劇賞特別賞を受賞し、芸歴66年を超える大御所として幅広い世代に愛されています。
伊東四朗は生きてる?
伊東四朗さんは、現在も健在で、テレビや舞台で活躍を続けています。
88歳を迎え、2025年6月には路上で熱中症により突然倒れた経験を告白し、「頭はしっかりしているのに体が全く動かない」と語り、猛暑日の多さを背景に「熱中症を甘く見ちゃいけません」と注意を促しました。
過去にネット検索で「急死」というキーワードが関連づけられることがありましたが、これは元プロ野球選手の伊藤四郎さんの逝去を指すもので、漢字の違い(「東」対「藤」、「朗」対「郎」)による誤解です。
伊東四朗さんは今も変わらずユーモラスな方で、クイズ番組の司会やドラマ出演を通じて元気な姿を見せています。
サウナ閉じ込めに?
伊東四朗さんは、1960年代から1970年代にかけての若い頃に、サウナでドアが開かなくなり、約20分間閉じ込められた経験があります。
当時のサウナは布のような生地が詰まったドアで、押しても引いても開かず、体当たりを繰り返しましたが力が出ませんでした。
完全に死を覚悟し、最後の力を振り絞って体当たりしたところ、ようやく脱出できたそうです。
この出来事は、2025年12月の赤坂サウナ火災のニュースを受けて本人が語ったもので、「1回、考えた方がいい」と命の危険を振り返っています。
サウナ内の高温多湿な環境でパニックになりながらも、冷静に脱出を試みたエピソードは、伊東四朗さんのタフさを物語っています。
息子と娘も俳優?
伊東四朗さんの息子は、次男の伊東孝明さんが俳優として活躍しています。
伊東孝明さんは1971年5月4日生まれで、東京都出身、身長175cm、O型です。
所属事務所はオスカープロモーションで、ドラマ「転がしお銀~父娘あだ討ち江戸日記~」や「西村京太郎サスペンス 探偵左文字進/16年目の訪問者」に出演し、父子共演も実現しています。
特に人気ドラマ「おかしな刑事」シリーズでは、伊東四朗さん演じる鴨志田新一と共演し、凸凹父娘コンビの物語に絡む役で注目を集めました。
長男は一般人で、芸能界とは無縁です。
一方、娘さんについては、実の娘はいないという情報です。
ドラマ「おかしな刑事」で羽田美智子さんが演じる岡崎真実が娘役として登場するため、混同されることがありますが、実際には娘さんはいらっしゃいません。
伊東孝明さんは既婚で、2017年に「徹子の部屋」で伊東四朗さんと親子で出演し、孫からの手紙を紹介するなど、家族の絆を語っています。
小松政夫とは?
伊東四朗さんと小松政夫さんは、1970年代を中心に共演した盟友で、戦友のような関係でした。
小松政夫さんは植木等さんの弟子として知られ、伊東四朗さんとは1970年代後半のバラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で人気を博しました。
伊東四朗さんが「電線マン」、小松政夫さんが「しらけ鳥」として「電線音頭」や「しらけ鳥音頭」を披露し、息の合ったコンビ芸で視聴者を沸かせました。
番組ではキャンディーズとの共演も話題になり、1970年代を代表するギャグとして記憶されています。
一時期、「おジョーズ」というコンビ名で正式に組むことを検討したこともありましたが、実現しませんでした。
小松政夫さんは2020年12月7日に78歳で逝去し、伊東四朗さんは訃報にぼう然自失となり、「オレより先に逝くなんて馬鹿野郎」「また元の師弟関係に戻って植木さんの付き人として走り回ってほしい」と涙目で追悼しました。
2023年の「徹子の部屋」では、小松政夫さんとの思い出を振り返り、「コンビじゃないの?と言われたこともあった」とさみしさを語っています。
2011年には小松政夫さんが日本喜劇人協会の会長に就任し、伊東四朗さんも喜劇界を支え合う間柄でした。
電線マン・モヤっと・ニン!とは?
伊東四朗さんの代表的なキャラクターとギャグとして、「電線マン」「モヤっと」「ニン!」があります。
「電線マン」は、1976年から1977年にかけてのバラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で生まれたもので、伊東四朗さんが演じる胡散臭いインチキおじさん「ベンジャミン伊東」が率いる「デンセンマン」です。
小松政夫さん、スクールメイツ・ジュニアと一緒に「デンセンマンの電線音頭」を歌い、♪チュチュンがチュン チュチュンがチュン 電線にっ♪というコミカルな歌詞と踊りで大流行しました。
フィンランド民謡を基にしたこの音頭は、佐竹商店街での実演も行われ、子供たちがこたつ上で真似するほど人気でした。
「モヤっと」は、クイズ番組「超逆転!天才クイズ」や「IQサプリ」で使われたもので、答えを間違えると「モヤっとボール」が飛んでくる仕掛けです。
伊東四朗さんが司会や解答者として出演し、間違えるたびに「モヤっと!」と叫ぶギャグが視聴者の笑いを誘いました。
他にも数多くのクイズ番組で知識の幅広さを発揮しています。
「ニン!」は、伊東四朗さんのつぶやきギャグの一つで、いたずらっぽいコメディーを披露した後に「ニン!」と締めくくり、なんだか許してしまうような魅力があります。
他のギャグに「どーか一つ」もあり、これは、ダチョウ倶楽部さんが考えたものではなく、伊東四朗さんのオリジナルです。
これらの要素は、伊東四朗さんのユーモアを象徴し、若い頃のコメディアン時代から今に至る人気の基盤となっています。
今回はここまでです。
これからも、伊東四朗さんの活躍を期待しています。
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