田中律子の旦那や娘は?現在は鎧塚俊彦がパートナー?沖縄どこ?若い頃カズと?
もくじ
田中律子さんのプロフィール
田中律子さんは、1971年7月17日生まれの女優、タレント、歌手です。
東京都世田谷区で育ち、幼い頃から明るく活発な性格で、周囲を和ませる存在だったようです。

学歴としては、世田谷区立笹原小学校を卒業し、同区立桜丘中学校に進学しました。
高校は日出女子学園高等学校(現・目黒日本大学高等学校)から堀越高等学校の芸能活動コースに編入し、芸能界での活動を本格化させました。
幼い頃は、世田谷に住んでいましたが、自然が多かったところだったそうで、野イチゴを食べたり、ザリガニをとって遊ぶなど活発な子だったそうです。
実家は美容室を営んでおり、お店の手伝いも大好きだったそう。
芸能界入りのきっかけは、中学1年生の頃、親戚のおばさんと東京都町田市にある小田急百貨店を歩いているところをスカウトされた事でした。
アイドル時代を経てドラマや映画でブレイク。
代表作に『101回目のプロポーズ』の妹役などがあり、親しみやすい演技で多くのファンを魅了してきました。
現在はNPO法人アクアプラネットの理事長や日本サップヨガ協会の会長としても活躍し、ダイビングやヨガのインストラクター資格を活かした自然志向のライフスタイルが注目されています。
田中律子の旦那や娘は?
田中律子さんの結婚生活は、1997年にカメラマンの杉本学さんと出会い、妊娠4か月であることを発表した上で入籍したのが始まりです。
当時26歳の田中律子さんは、翌1998年に長女を出産し、家族3人で新たなスタートを切りました。
杉本学さんは写真家として知られ、田中律子さんの仕事現場でもサポートする姿が報じられるなど、最初は穏やかな夫婦関係を築いていました。
しかし、結婚から数年後、出産をきっかけに心の距離が生じ始め、夫婦間の溝が深まっていきました。
田中律子さん自身が後年振り返るように、娘さんの誕生時に夫さんが立ち会ったことが、かえって女性として見られにくくなる要因になったそうです。
日常のスキンシップが減少し、互いの価値観の違いが表面化。
13年にわたる仮面夫婦のような日々が続き、2012年2月に離婚が成立しました。
離婚後の田中律子さんはシングルマザーとして、女優業やタレント活動を続けながら娘さんを育て上げました。
娘さんは現在27歳で、田中律子さん譲りの美貌とスタイルの持ち主です。
高校時代はイギリスのロンドンやフランスのパリで学び、国際的な視野を広げました。
モデルやクリエイティブな仕事に携わることもあり、田中律子さんがインスタグラムで公開した2ショットでは、まるで姉妹のような親子関係が話題になりました。
娘さんの誕生日をロンドンで祝う投稿では、キャンドルを吹き消す姿が微笑ましく、田中律子さんも「娘っ子のお誕生日」と喜びを綴っています。
娘さんの存在は、田中律子さんの人生の大きな支えで、離婚を決意したのも娘さんの「ママは幸せになって」という一言がきっかけだったそうです。
シングルマザーとして苦労もあったものの、娘さんの成長を見守る日々は、田中律子さんにとってかけがえのない宝物です。
現在は鎧塚俊彦がパートナー?
田中律子さんの現在のプライベートは、9歳年下の彼氏との穏やかな交際が中心です。
2022年頃から報じられたこの関係は、田中律子さん自身が「53歳の恋はそばにいれたらそれでいい」と語るように、結婚を急がず自然体で続けています。
お互いの家族にも紹介済みで、娘さんとも良好な関係を築いているそうです。
一方で、パティシエの鎧塚俊彦さんとの親密な交流が注目を集め、結婚の噂が浮上したことがあります。
2025年3月、鎧塚俊彦さんがインスタグラムで「この度、わたくし鎧塚俊彦は田中律子さんと同じ道を共に歩んで行く事となりました」と投稿し、ツーショット写真を添えたのです。
菓子職人とタレントとしてお互いを高め合うという内容に、ファンは驚きと祝福の声を寄せました。
しかし、この投稿は翌日、エイプリルフールのジョークだと判明。
田中律子さんも「昨年から温めていた嘘」で、鎧塚俊彦さんの還暦祝いパーティーでの楽しいひとコマをネタにしただけでした。
実際、鎧塚俊彦さんは田中律子さんの長年の友人で、薬丸裕英さんや神田うのさんら豪華メンバーを招いたホームパーティーを頻繁に開催する仲です。
2025年10月の還暦パーティーでは、田中律子さんが「笑いが絶えない夜」と報告し、鎧塚俊彦さんの手作りスイーツを絶賛。
神田うのさんも「鎧塚俊彦さんの還暦祝いパーティーに出席」と投稿し、田中律子さんの娘さんが27歳になった成長を喜ぶ様子が微笑ましいです。
噂の原因はこうした親しい交流ですが、田中律子さんは再婚の予定はなく、現在の彼氏との関係を大切にしています。
沖縄どこ?
田中律子さんの沖縄生活は、長年の夢を叶えたものです。
約10年かけて探し当てたのは、那覇市街地から少し離れた恩納村の中古物件。
海が一望できる立地で、購入後に大胆なリノベーションを施し、「海の家」と名付けました。
開放的なデザインで、オーシャンビューの3階建てなのだそう。
自宅にはサウナと水風呂もあるとのことで、うらやましい限りです~。
テラスからはサンセットが美しく、日常的にSUPヨガやダイビングを楽しめます。
台風10号の際には、海沿いの家の現実をYouTubeでリポートし、窓ガラスにテープを貼る様子を公開。
自然の厳しさを肌で感じながらも、沖縄の魅力を存分に発信しています。
現在は東京のマンション、沖縄の海の家に加え、2024年に完成した「山の家」の3拠点生活を実現。
山の家は曽祖父から相続した土地に建てられ、赤い瓦屋根が沖縄風のアクセントです。
建設過程をインスタグラムで共有し、木の温もりあふれるリビングやキッチンが話題になりました。
恩納村を選んだ理由は、自然豊かで静かな環境が田中律子さんのライフスタイルにぴったりだったからといいます。
NPO活動の「アクアプラネット」の理事長を務めており、率先してサンゴ礁の再生に尽力されています。
NPO立ち上げのきっかけは、14歳の頃に西表島へ撮影へ行き、その際ダイビングを始めたことでした。
それから十数年後に座間味で潜った時に白いサンゴ群を見つけ、ダイビング後に船員さんから「それは、白化現象で死ぬ直前なんだよ。」と説明をうけ、ショックをうけたのだそう。
サンゴの白化を防ごうと活躍始めたのが、NPO法人立ち上げることとしました。
きれいな海を作るのはサンゴたちのおかげでもあるので、大切に守りたいですね。
沖縄デトックス協会の会長も務め、朝は海でヨガをし、夕方は地元の食材を使った料理を楽しむなど、地元の人々と交流を深めています。
3拠点のバランスを取るコツは「移動を旅のように楽しむ」ことだそうで、東京での仕事の合間に沖縄へ飛ぶフライトをリラックス時間に充てています。
山の家完成のきっかけは、3年前に父と祖母を亡くした喪失感を癒すため。
ひいおじいちゃんの土地で家族の歴史を感じながら暮らす姿は、田中律子さんの人生の深みを物語っています。
こうした多拠点生活を通じて、彼女は「80歳でビキニサーフィン」を次の目標に掲げ、アクティブに歳を重ねています。
若い頃カズと?
田中律子さんの若い頃の恋愛エピソードとして、1990年代初頭にサッカー界のレジェンド、三浦知良さん(通称カズ)との熱愛があります。
20歳前後の田中律子さんは、JALの沖縄キャンペーンガールに抜擢され、ポスターで爽やかな笑顔を振りまいていました。
一方、海外で活躍中のカズさんは日本に一時帰国した際、そのポスターを見て一目惚れ。
すぐに連絡を取り、交際がスタートしたのです。
週刊誌フライデーでマンションへの出入り写真がスクープされ、「カズをめぐる三角愛」と大々的に報じられました。
当時、カズさんは設楽りさ子さんと交際中で、二股疑惑が浮上し、田中律子さんを巡る騒動に発展。
田中律子さんは「うれしそうな雰囲気」でインタビューに応じ、カズさんの情熱的なアプローチに心を動かされたそうです。
二人の関係は、沖縄のビーチデートや東京のプライベートな時間で深まりました。
カズさんのストレートな性格と、田中律子さんの明るさがマッチし、互いに刺激を与え合う恋でした。
しかし、カズさんのプロキャリアの多忙さと、田中律子さんの芸能活動の忙しさが重なり、自然とフェードアウト。
この熱愛は、田中律子さんのアイドルから女優への転身期と重なり、プライベートの注目が仕事のモチベーションになった側面もあります。
結果的に、カズさんとの出会いは彼女の人生に鮮やかな彩りを加え、現在の自然体な恋愛観の基盤を築いた出来事のひとつと言えるでしょう。
今回はここまでです。
これからも、田中律子さんの活躍を期待しています。
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