河相我聞若い頃や現在は?ラーメンは?父親や嫁・息子は?身長や本名は?
もくじ
河相我聞さんのプロフィール
河相我聞さんは、日本の俳優として長年活躍を続けているマルチタレントです。
1975年5月24日生まれで、埼玉県蕨市出身、血液型はA型で、俳優のほかナレーター、タレント、司会者、ミュージシャンとしてマルチに活躍されています。

幼少期は、母親と兄との3人暮らしで、父親はたまに訪れる程度の生活でした。
家庭環境は決して裕福ではなく、母親が仕事で多忙だったため、幼い頃から家事を一人でこなすことが多かったです。
学校ではいじめにあうこともあり、不登校になる時期もありました。
そこで親から「学校に行かないなら働きなさい。」と言われ、劇団「日本児童」に入団。
子役として日本テレビ系列で放送のドラマ「あぶない刑事」やカルビーのCMに出演していました。
いじめられた頃はとてもつらかったでしょうが、結果的に劇団入りとなり、現在の活躍につながったのですね。
中学時代は、ほぼ一人暮らしのような状態で自立心を養い、1991年に中学3年生の時にTBSドラマ『天までとどけ』のオーディションに合格、次男・信平役でレギュラー出演。
これが俳優デビューのきっかけとなり、一気に注目を集めました。
学歴については、高校には進学せず中卒でしたが、2017年に高卒認定試験に合格し、その後日本芸術専門学校を卒業しています。
学生時代は演劇に没頭する一方で、家庭の事情から早い段階で大人びた経験を積んでいました。
若い頃や現在は?
河相我聞さんの若い頃は、爽やかな美青年として多くのファンを魅了しました。
10代後半から20代前半にかけては、『天までとどけ』をはじめとするホームドラマでブレイクし、アイドル的な人気を博しました。
1990年代は、清楚で優しいイメージの役柄が多く、視聴者から「理想の弟」や「親しみやすい青年」として支持されました。
しかし、プライベートでは19歳の時に長男が誕生するなど、早い段階で大人としての責任を負うことになります。
当時は事務所の意向もあり、子どもの存在を公表せずに活動を続け、苦労を重ねました。
20代後半になると、役の幅を広げ、ミュージシャンとしてもドラムを担当するなど、多彩な才能を発揮。
ドラムを始めたきっかけは、自身が17歳の頃、地元のやんちゃな人に「一週間後にライブでドラムを叩け、できなければ…」と半脅しのような声掛けをされたからなのだそう。
始めたきっかけどうあれ、それが趣味となり、時にお仕事として収入を生むこともあるなんて、素敵な話ですね。
ブログやエッセイ執筆にも挑戦し、自身の経験を綴ることで内面的な成長を遂げました。
現在、50歳を過ぎた河相我聞さんは、ベテラン俳優として安定したキャリアを築いています。
近年はナレーションや司会業が中心で、テレビ番組の裏方としても活躍中です。
2022年には、水谷豊監督からのオファーでドラマに出演し、演技力の高さを再確認されました。
また、ドローンの民間資格を取得し、趣味として息子たちとドライブに出かけ、家族写真を撮影するなど、プライベートを充実させています。
ブログは特に人気で、日常のユーモアあふれるエピソードがネット上で話題に。
かつての美青年から、味わい深い大人の魅力へと移行した姿が、むしろ好感を呼んでいます。
音楽活動も細々と続け、ライブ情報が時折アップされるなど、精力的に取り組んでいます。
若い頃の華やかさから、今は家族や自身の内省を大切にする落ち着いた日々を送っているようです。
ラーメンは?
もともと料理好きだった河相我聞さん。
バラエティーなのでも料理の腕前を見せていました。
2004年、明星食品からカップラーメンのプロデュースを依頼されたことがきっかけで、俳優業の傍ら、ラーメン修行をします。
そして、2005年に「ラーメン我聞」を出店。
勘で味を決めたオリジナルラーメン「エビ味噌とんこつ」が看板メニューでした。
その後、四国・名古屋にも展開。
独特の風味が評判を呼び、わずか2年で5店舗に拡大するほどの人気店となりました。
河相我聞さん自身も厨房に立ち、接客やホール業務をこなす姿が話題になりました。
しかし、2007年に突然全店閉店。
理由は所属事務所の経営危機で、ラーメン店の利益を借金返済に充てたいなど事務所と金銭分配でもめたからなのだそう。
廃業後、フランチャイズ契約のトラブルから損害賠償請求を受けるなど、苦い経験を味わいましたが、これを機にラーメンへの情熱はさらに深まりました。
現在もラーメン愛は健在で、全国の名店を巡り、独自の視点で味わいをブログで語っています。
自宅では化学調味料を使わず、簡単な材料で無化調ラーメンを手作りする姿も披露。
エビ味噌の風味を再現しようとする試行錯誤が、ファンに親近感を与えています。
ラーメン店経営の成功と挫折を通じて、河相我聞さんは「味のセンスは料理人の中でもトップクラス」と評されるほどの知識を身につけました。
こうしたエピソードは、彼のチャレンジ精神を象徴するもので、今もラーメンを通じて新しい発見を楽しんでいるようです。
父親や嫁・息子は?
河相我聞さんの家族構成は、複雑でユニークな背景を持っています。
父親は明治生まれの人物で、70歳という高齢で河相我聞さんが生まれました。
玩具店などを経営する実業家で、貧しい家庭を切り盛りする中で、息子の名前「我聞」を自ら命名。
母親は仕事に追われ家を空けることが多かったため、河相我聞さんは幼い頃から父親との時間を大切に過ごしました。
父親と母親は正式に籍を入れていませんでしたが、認知はされていました。
実兄は父親が60代の時に生まれた方で、埼玉医大を卒業し、附属病院の外科医となったそうです。
兄弟の年齢差が大きく、河相我聞さんは「父の晩年の子」として特別な存在でした。
他にも40歳ぐらい年上の異母姉がおり、さらに異母兄弟がいるようです。
父親はすでに他界しており、河相我聞さんはエッセイで「父の人生から学んだ教訓」をしばしば綴っています。
妻については、劇団時代に出会った一般女性と、1999年に結婚しました。
19歳の時に生まれた長男の存在を機に交際を再開し、正式な家庭を築きましたが、2000年代初頭に別居。
最終的に離婚に至りました。
結婚生活は約10年続き、プライベートの苦労が多かったようです。
一方、息子たちとの関係は非常に強い絆で結ばれています。
長男の沙羅さんは1994年6月27日生まれで、身長178cm。
ちょうど河相我聞さんが人気急上昇したため、事務所から「結婚は3年待ってほしい」と言われたため、内縁状態だったそう。
当時、嫁や子供と月に1,2度ほどしか会えなかったそうです。
しかし、人気も高まると、マスコミがプライベートを追い始めます。
それにより、隠し子騒動となりましたがすぐに認め、翌年1999年に結婚となりました。
次男の唯円さんは2002年1月5日生まれで、本名は河相唯円ですが、芸名として「竜跳」を使い、モデルや俳優の道を模索中です。
長男はオフィス北野に、次男はスターダストプロモーションにそれぞれ所属したそう。
別々の事務所ですが、どちらも眼力のある、イケメンですね。
河相我聞さんは離婚後、シングルファーザーとして2人を育て上げ、母親が所有する埼玉県内の空き家を活用しながら、家族旅行や日常のブログで温かなエピソードを共有しています。
逆に大変だった子育てエピソードもみられ、次男が高校へ絶対行かないというから、押しつけはいけないと思い、父親である我聞さん自身も高校受験してみたり
またまた次男さんが、お父さんだって中学生の頃から一人暮らししていたんだから、自分も一人暮らししたいと言い出したので、長男とともに現在は子供だけで二人で暮らしをさせたり…
現在は、息子たちも大人になり、ドローン撮影の趣味を一緒に楽しむ姿は、父親としての喜びを表しています。
身長や本名は?
河相我聞さんの身長は177cmです。
このスラリとした体格は、若い頃の美青年イメージを支え、ドラマでの爽やかな役柄にぴったりでした。
現在も変わらず、健康的なスタイルを保ち、ナレーション業務では安定感のある声を活かしています。
本名も「河相我聞」で、芸名ではありません。
珍しい名前は父親が付けたもので、「我聞(がもん)」は「私の聞くところによると」という意味から来ており、人生の教訓を大切にする願いが込められています。
血液型A型の几帳面さが、ブログ執筆やラーメン作りの細やかさに表れているようです。
こうした基本プロフィールは、彼のキャリアを支える基盤となっており、ファンからは「変わらぬ魅力」と評されています。
河相我聞さんの人生は、華やかな芸能界の裏側に潜む苦難を乗り越え、家族愛と情熱で彩られています。
これからも、多面的な活躍が期待されます。
今回はここまでです。
これからも、河相我聞さんの活躍を期待しています。
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