斉藤暁の元妻と息子は?結婚は?狛江・郡山とは?若い頃や現在は?トランペット上手?
もくじ
斉藤暁さんのプロフィール
斉藤暁(さいとうさとる)さんは、1953年10月28日生まれの俳優です。
福島県郡山市出身で、身長は165センチ、体重は77キログラム、血液型はO型です。

所属事務所はオフィスPSCで、特技として殺陣と福島弁を挙げています。
本名は斉藤理さんです。幼少期は、郡山市の実家で父親と母親、兄と4人家族として育ちました。
実家は地元の電気工事店を営んでおり、幼い頃から元気に外を走り回って遊ぶ活発な子供だったそうです。
家族の温かな環境の中で、のびのびと過ごされたようです。
学歴については、中学はどこを卒業されたのかは不明ですが、器械体操部に入っており、バック転、バック宙が出来たそうです。
高校は、福島県立郡山工業高等学校の電機科を卒業しています。
偏差値は47から49程度の学校で、父親の願いもあり、家業を継ぐための進学でした。
学生時代は、中学2年生の頃に吹奏楽部に入部し、そこでトランペットを始めました。
当時は部活動を通じて楽器に親しみ、基礎を身につけていったそうです。
高校では電機科の授業に励みながら、将来の道を模索する日々を送られました。
こうした学生時代の経験が、後の俳優業や趣味のトランペット演奏に繋がっているようです。
元妻と息子は?
斉藤暁さんは、1977年頃結婚されたようです。
嫁との出会いは、地元である福島県のアマチュア劇団に一緒に所属していた仲間でした。
その後、劇団「自由劇場」のオーディションに合格し、一緒に上京。
斉藤さんの下積み時代を奥様が家計を支えていたそうです。
2人の息子を授かりましたが、離婚後は親権は奥様が持ち、それぞれ独立した生活を送っています。
元妻の文恵さんは、心臓病で亡くなられており、訃報は次男から知らされ、長男から葬儀への出席を断られ、参列できませんでした。
斉藤暁さんはその後も息子さんたちとの関係を修復しようと努力されたそうです。
長男と次男の名前は公表されていませんが、長男はスペイン在住なのでは?という話が見られます。
一方、次男は、2005年の21歳頃、シアトル留学中という話が見られますが、現在は日本国内で一般的な職業に就き、子供が二人誕生しているそうですので、斉藤暁さんはおじいちゃんとなっています。
現在は和解し、次男さんと二世帯住宅で一緒に暮らしています。
斉藤暁さんは孫を溺愛するおじいちゃんとして、穏やかな日常を楽しんでいるようです。
離婚後、奥様がしっかり愛情込めて二人の息子を育ててくれたおかげなのでしょうね。
結婚は?
斉藤暁さんの結婚の詳細は、23歳の頃に地元福島の女性と結ばれました。
上京を控えたタイミングで、劇団での出会いがきっかけです。
結婚後、郡山市で最後に2人で芝居を上演し、その後上京されました。
2人の息子を授かり、17年間の結婚生活を送りましたが、斉藤暁さんの俳優業の不安定さと収入の少なさが理由で破綻し、息子さんが小学校4年生の頃に離婚しました。
離婚理由について、斉藤暁さんは「収入がないものですから、愛想つかされて」と振り返っています。
離婚から20年後、文恵さんが亡くなった際は、葬儀で最期のお別れができなかった悔いが残りましたが、それでも家族の記憶を温かく語られています。
現在は再婚しておらず、独身の生活を続けています。
狛江・郡山とは?
斉藤暁さんにとって、郡山市は生まれ育った故郷です。
福島県の中心都市で、実家が電気工事店を営む場所として、幼少期から学生時代までを過ごしました。
高校卒業後、一時家業を手伝いましたが、父親の電気工事店を手伝いましたが、電柱に登る仕事の怖さに耐えかね、友人の紹介で地元テレビ局に就職。
照明や大道具、ディレクターを4年間務めましたが、生放送中のライト故障というハプニングを乗り越えながら、ストレス解消にアマチュア劇団へ。
気軽な気持ちで劇団「自由劇場」のオーディションを受け、見事合格したという波乱万丈な社会人スタートを切っています。
2011年の東日本大震災では実家が倒壊する被害を受けました。
当時、東京で俳優業に励む中、家族の安否を確認するのに数日かかり、心身ともに追い詰められたそうです。
それでも、斉藤さんはすぐに地元へ駆けつけ、ボランティア活動に身を投じました。
被災者支援のチャリティイベントでトランペットを演奏し、募金を呼びかける姿は、地元住民から「暁さんがいてくれて心強い」と大きな励ましとなりました。
震災から数年後、2019年には福島県二本松警察署の一日警察署長に任命され、交通安全啓発活動を通じて「福島の誇りを胸に生きる」と語り、子供たちに故郷の魅力を伝えるイベントを開催。
また、同年には福島県安達太良山の観光大使に任命されました。
こうした活動は、単なる恩返しを超え、被災地の人々が「また立ち上がろう」と前を向くきっかけになったと報じられています。
特に、2022年のアニメ映画『とんがり頭のごん太-2つの名前を生きた福島被災犬の物語-』で声優を務めた際は、福島弁を活かした演技が監督から「これぞ故郷の声」と絶賛され、試写会で涙を流す観客の姿が話題に。
斉藤さん自身、「僕にもできることがあるんだ」と振り返るこのエピソードは、逆境をバネにした強さが胸を打ちます。
一方、狛江市は東京都多摩地域のベッドタウンで、斉藤暁さんの現在の住まいです。
在住のきっかけは上京後の生活基盤ですが、特にお気に入りの点は、多摩川の河川敷でトランペットの練習ができる環境です。
ある日、河川敷で練習中に通りかかった高校生に声をかけられ、狛江市吹奏楽団のメンバーとしてスカウトされました。
以降、市民吹奏楽団で積極的に演奏に参加し、地域に溶け込んでいます。
郡山の故郷情緒と狛江の日常的な安らぎが、斉藤暁さんの人生を支えています。
若い頃や現在は?
若い頃の斉藤暁さんは、故郷郡山市でアマチュア劇団員として活動を始めました。
高校卒業後、父親の電気工事会社を兄と継ぎましたが、2年で辞め、家出同然に地元劇団に入団します。
画家で友人の猪熊克芳さんに上京を勧められ、23歳で東京へ移り、劇団「自由劇場」に入団しました。
当時は福島訛りが抜けず、先輩から「田舎のシェイクスピアか」と罵倒される厳しい日々でしたが、オンシアター自由劇場を経て、1986年に大谷亮介さん、余貴美子さんと共に「東京壱組」の創立メンバーとなり、約20年間舞台で活躍しました。
1990年代に入り、テレビドラマへの出演が増え、1997年の『踊る大捜査線』で秋山春海副署長役を演じ、スリーアミーゴスとしてブレイクします。
以降、『科捜研の女』で日野和正役を長年務め、映画や舞台でも欠かせない名脇役として知られるようになりました。
現在は、俳優業を中心に精力的に活動しています。
2025年6月には「斉藤バンド」として狛江のオルテシアでライブを開催し、プライベートな音楽活動も充実しています。
NHKの『ひよっこ』での安部善三役や、アニメ映画『とんがり頭のごん太-2つの名前を生きた福島被災犬の物語-』での声優出演など、多彩なジャンルで活躍中です。
銭湯好きとしても知られ、仕事の合間にリラックスする時間を楽しんでいます。
70歳を過ぎているとは思えないパワフルさで、舞台『Romeo and Juliet』やCMなど幅広い分野で存在感を発揮しています。
トランペット上手?
斉藤暁さんのトランペット演奏は、プロ級の腕前として高く評価されています。
中学2年生で吹奏楽部に入り、楽器を始めましたが、社会人になって一時中断しました。
28歳頃に再開し、以降仕事の合間にコンサートやジャズフェスティバルに参加するようになります。
狛江市吹奏楽団のメンバーとして、地域の演奏会で活躍しています。
2016年頃には「斉藤バンド」を結成し、作詞・作曲からボーカル、トランペット演奏までを一人でこなすスタイルでライブを行います。
還暦記念のオリジナル曲『ビューティ安達太良』は、故郷の安達太良山を歌ったもので、CD化もされています。
この曲の演奏映像はYouTubeで公開され、情感豊かなトランペットソロが話題になりました。
プライベート以外でも、2007年の『さんまのSUPERからくりTV』企画バンド『サザエオールスターズ』でトランペットを担当し、2015年の映画『マエストロ!』ではホルン演奏を披露しました。
2018年のドラマ『科捜研の女 Season18』でのトランペットシーンは、リアルな技術が視聴者から絶賛され、SNSで拡散されました。
特技として公式プロフィールにトランペットを挙げ、趣味を超えた本格的な演奏力は、俳優業の傍らで磨かれ続けています。
バンドライブでは、故郷の名峰をテーマにした楽曲を情感たっぷりに吹き、観客を魅了します。
こうした活動を通じて、トランペットは斉藤暁さんの人生に欠かせない一部となっています。
今回はここまでです。
これからも、斉藤暁さんの活躍を期待しています。
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