浅田美代子と長嶋茂雄や小泉純一郎・さんまとは?吉田拓郎との子供は?若い頃と現在は?香典とは?

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もくじ

浅田美代子さんのプロフィール

 

浅田美代子さんは、1956年2月15日、東京都港区に生まれました。

 

血液型はB型で、女優、タレント、元アイドル歌手として長年活躍されています。

 

 

幼少期は、祖父の代から麻布で自動車修理工場を営む裕福な家庭で育ちました。

 

両親と弟の4人家族で、両親の勧めもあり、東京女学館小学校の受験に挑みましたが、不合格に終わります。

 

しかし、中学校の再受験で合格し、東京女学館中学校・高等学校へ進学されました。

 

学生時代は、授業をサボって保健室で過ごすようなお転婆ぶりも見せ、夜は親御さんが寝静まった後にこっそり抜け出して遊ぶこともあったそうです。

 

高校2年生の夏、街頭でスカウトされ、芸能界入りのきっかけとなります。

 

高校は、学校の芸能活動禁止規定により、中退されています。

 

当初、両親は芸能活動に反対されましたが、ドラマ「時間ですよ」のオーディションで約2万5千人の応募者の中から選ばれ、進路を決めました。

このオーディションに受からなかったら、二度と芸能活動の話をしないようにと言われていました。

 

しかし、見事約2万5000人の応募の中から合格し、芸能界入り。

 

そして、同年1973年に「赤い風船」で、第15回日本レコード大賞新人賞を受賞し、歌手としても知名度を上げました。

 

2024年には、芸能界活動なんと50周年を迎えましたが、輝かしいデビューを飾っていたのですね。

 

 

浅田美代子と長嶋茂雄や小泉純一郎・さんまとは?

 

浅田美代子さんと長嶋茂雄さんとの関係は、過去にさまざまな噂が取り沙汰されてきました。

 

長嶋茂雄さんはプロ野球界のレジェンドとして知られ、浅田美代子さんとは年齢差もありますが、1980年代頃に不倫関係や隠し子の存在が囁かれることがありました。

 

例えば、長嶋茂雄さんが脳梗塞を発症した際に、愛人宅での出来事として浅田美代子さんの名前が関連づけられる話や、巨額の手切れ金が支払われたというエピソードがネット上で広がりました。

 

また、隠し子がプロ野球選手として活躍しているという憶測も飛び交いました。

 

しかし、これらの話はすべて根拠のないゴシップで、公式な記録や当事者からの発言で確認された事実は一切ありません。

 

浅田美代子さん自身もこうした噂を否定する立場を取られており、二人の間に特別な私的なつながりはなかったと考えられます。

 

むしろ、浅田美代子さんは野球ファンとして長嶋茂雄さんの功績を尊敬する一般的な関係だったようです。

 

一方、小泉純一郎さんとの関係は、近年特に再婚説が話題になっています。

 

小泉純一郎さんは元首相として政治史に名を残す人物で、浅田美代子さんとは音楽や芸能界を通じての出会いがあったとされます。

 

2023年頃、浅田美代子さんのインスタグラムに投稿された誕生日パーティーの写真に小泉純一郎さんの姿が写り、親しげな様子がファンの間で注目を集めました。

 

これがきっかけで、熟年再婚の噂が急速に広がり、隠し子が4人もいるという過激な話まで飛び出しました。

 

しかし、これも事実無根です。

 

小泉純一郎さん本人は妻との性格の不一致を理由に離婚を宣言した過去がありますが、浅田美代子さんとの結婚や交際については一切触れていません。

 

実際、二人は長年の友人関係で、互いのイベントに顔を出したり、プライベートで食事を共にする程度の親交です。

 

そして、明石家さんまさんとの関係は、浅田美代子さんにとって最も親密でエピソード豊かなものです。

 

1992年から2014年まで、フジテレビのバラエティ番組『さんまのからくりTV』で22年間レギュラー出演され、番組の顔として欠かせない存在でした。

 

さんまさんと浅田美代子さんの天然ボケで、共演のたびに爆笑の渦を巻き起こしました。

 

例えば、ゴルフコンペで池にボールが入りそうになると「海〜!」と叫び、さんまさんに「埼玉県に海はないよ」とツッコまれても「ちょうど108つ、煩悩の数じゃない?」と返す姿は、視聴者を魅了しました。

 

また、2008年の『FNS27時間テレビ』ではさんま軍団の一員としてクイズに挑戦し、突然立ち上がって紳助さんに「道路やったら轢かれてんで!」と絡む場面も生まれました。

 

プライベートでも、さんまさんは浅田美代子さんの母親の葬儀に駆けつけ、深い友情を示しています。

 

二人は仕事を超えた本物の絆で結ばれ、浅田美代子さんはさんまさんを「どんな場面でも落ち着いていて、うろたえない人」と慕っています。

 

 

吉田拓郎との子供は?

 

浅田美代子さんと吉田拓郎さんの結婚生活は、1977年から1984年までの7年間に及びましたが、二人の間には子供が生まれませんでした。

 

1975年頃、ドラマ『なつかしき海の歌』での共演をきっかけに交際が始まり、当時21歳の浅田美代子さんは吉田拓郎さんの魅力に惹かれました。

 

吉田拓郎さんももともと浅田美代子さんのファンだったそうで、1974年頃に吉田拓郎さんが、浅田美代子さんに曲を提供することが、さらに二人の距離を縮めるきっかけとなったようです

 

吉田拓郎さんはすでに前妻の四角佳子さんとの間に娘さんがいましたが、浅田美代子さんとの関係は不倫として周囲を騒がせ、樹木希林さんや内田裕也さん夫妻が吉田拓郎さんを詰問する一幕もありました。

 

結婚後、浅田美代子さんは芸能界を引退し、主婦業に専念されます。

 

子供を望む気持ちは強く、吉田拓郎さんも「子供が生まれたらお互いが変わる」と語っていましたが、残念ながら授かりませんでした。

 

1983年、吉田拓郎さんの森下愛子さんとの不倫報道が表面化し、浅田美代子さんは気丈に否定を試みましたが、翌1984年に性格の不一致を理由に協議離婚に至ります。

 

離婚の理由はほかに、主婦としての浅田さんの天然すぎる行動に、吉田拓郎さんが疲れてしまったとも言われています😅

 

離婚後も、浅田美代子さんは子供に関するエピソードを公に語らず、独身生活を全うされています。

 

 

若い頃と現在は?

 

若い頃の浅田美代子さんは、1973年のデビューから一躍アイドルとして輝きました。

 

TBSのドラマ『時間ですよ 第3シリーズ』で「お手伝い役」として登場し、劇中歌の『赤い風船』が大ヒット。

 

オリコン年間10位を記録し、50万枚近くを売り上げ、第15回日本レコード大賞新人賞を受賞されました。

 

キャッチフレーズ「ソニー・エンジェル」で親しまれ、『寺内貫太郎一家』や『時間ですよ 昭和元年』などの人気ドラマで活躍。

 

シングル10枚をリリースし、『ひとりっ子甘えっ子』や『わたしの宵待草』などがオリコンBest10入りしました。

 

NHKの歌手オーディションでは、通常1〜2回のところを5回目で合格する苦労もありましたが、

 

1974年にはリサイタルライブを開催するほど人気を博しました。

 

ピアノやテニスが趣味で、自動車のメカニズムにも詳しく、好奇心旺盛な一面が魅力でした。

 

しかし、結婚を機に1977年に引退し、1983年の復帰後はドラマ『くれない族の反乱』や『101回目のプロポーズ』で再び脚光を浴びます。

 

映画『釣りバカ日誌』シリーズでのコミカルな役柄も好評でした。

 

NHKの朝ドラ『あんぱん』でヒロインの祖母役を演じ、オフショットが「樹木希林さんに似ている」と話題に。

 

2024年の『ユーミンストーリーズ』や『ザ・トラベルナース』、2025年の『私の夫は冷凍庫に眠っている』など、ドラマ出演が続きます。

 

映画では『朝が来る』で日本映画批評家大賞助演女優賞を受賞し、2019年の『エリカ38』では45年ぶりの主演でロンドン・イーストアジア映画祭の審査員特別賞を獲得されました。

 

インスタグラムでは、世界的シェフのNOBUさんとの再会写真を投稿し、「ロサンゼルスが大好き」と世界を飛び回る日常をシェア。

 

2025年2月には転倒による左腕の骨折を公表し、「ご心配おかけしてごめんなさい」とファンに感謝を伝え、回復ぶりを報告されています。

 

2021年の書籍『ひとりじめ』では樹木希林さんとの思い出を綴り、コンサートで『赤い風船』を披露。

 

動物愛護活動にも取り組み、2014年の「TOKYO ZERO」キャンペーンで犬猫の殺処分ゼロを訴えました。

 

天然エピソードも健在で、探偵役のドラマ撮影後、「犯人誰なの?」とトリックを理解できず、付き人に解説を求める姿が今も笑いを誘います。

 

浅田美代子さんは「ケセラセラ」で生きる姿勢を貫き、50周年記念イベントでは転んだ顔をメイクで隠してステージに立つタフさを見せつけています。

 

香典とは?

 

浅田美代子さんの「香典」とは、母親の葬儀で明石家さんまさんが持参した香典を投げ返した有名なエピソードを指します。

 

さんまさんは仕事の都合で早めに会場に到着し、号泣する浅田美代子さんの姿を見て、普段の茶化しを控え、黙って香典を渡しました。

 

しかし、浅田美代子さんは涙ながらに「さんまさんは何でもお金で解決しようとするのね!」と叫び、香典を投げ返してしまいます。

 

その場にいた実弟が「美代子!そういうもんじゃないだろう!」と叱り飛ばす事態に発展しました。

 

浅田美代子さんは「だって、さんまさん、いつでも〝振り込み王子〟とかいって、なんでも金で解決してきたから」と返答したそうです。

 

お葬式なのに、周囲にいた方たちも悲しみが和らいだことでしょう。

 

他にも、仲間たちとの食事に浅田美代子さんを誘うことになり、明石家さんまさんが「来週の火曜日あいてる?」と聞いたところ、

 

浅田美代子さんは、「来週の火曜日って、何曜日?」と聞き返したという天然エピソードがあります。

 

これらの話は、二人の絆を象徴する逸話として、ファンに長く語り継がれています。

 

今回はここまでです。
これからも、浅田美代子さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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