真矢みき旦那や子供は?国分太一やマツコとは?現在の年齢と若い頃は?黒木瞳とは?
もくじ
真矢みきさんのプロフィール
真矢みきさんは、1964年1月31日、広島県広島市に生まれました。
女優として幅広い分野で活躍する一方、元宝塚歌劇団花組トップスターとしても知られています。
本名は西島美季さんで、身長166cm、血液型はO型です。
所属事務所はオスカープロモーションで、旧芸名は真矢みきさんでした。
幼少期は父親の転勤族の影響で、中学卒業までに8回転校を経験し、内向的な性格だったそうです。
中学1年生の頃から、大地真央さんへの憧れを抱き、宝塚歌劇団を目指すようになります。
学歴としては、1979年に宝塚音楽学校に入学し、1981年に同歌劇団の67期生として入団しました。
元宝塚花組のトップスターとして輝きましたが、宝塚音楽学校での成績は同期39人中で37位。
始めから優等生だったわけではなかったようです。
人生でいつ、努力が花開くのかはわからないものですね。
学生時代は大阪府豊中市立第二中学校を卒業しており、宝塚音楽学校ではバレエやピアノなどの基礎が未経験だったため、最初は苦労を重ねたそうです。
それでも、日舞を習いたいという思いからコドモアテネに通うようになり、宝塚への道を切り開きました。
真矢みきさんの旦那や子供は?
真矢みきさんの私生活で注目されるのは、2008年12月の結婚です。
相手は8歳年下のバレエダンサーで俳優の西島数博さんです。
馴れ初めは、舞台での共演がきっかけで、6年間の友人関係を経て恋人になり、昨年末にプロポーズを受け入れました。
2009年には明治神宮でささやかな挙式を挙げ、夫婦として歩み始めました。
西島数博さんは、バレエ界で活躍する傍ら、舞台俳優としても知られ、2016年には真矢みきさんと初の夫婦共演を果たしています。
結婚当時、真矢みきさんは44歳で、夜中のトーク番組で西島さんの存在を知ったのが出会いの始まりだったそうです。
プロポーズの言葉を聞き逃してしまったエピソードも、微笑ましい思い出として語られています。
夫妻の間には子供はいません。
結婚から15年以上が経過していますが、仕事と家庭を両立しながら、互いのキャリアを尊重する関係を築いています。
他に家族として「メルシー」という男の子のわんこがいるそうです。
名前の由来は旦那様が大好きな言葉からつけたそうです。
国分太一やマツコとは?
真矢みきさんと国分太一さんの関係は、主にテレビ番組での共演から生まれました。
2015年から2018年まで放送されたTBSの朝の情報番組『白熱ライブ ビビット』で、両者はMCとしてタッグを組みました。
この番組は、真矢みきさんにとって改名後の初仕事で、堀尾正明さんとともに進行を担いました。
国分太一さんはTOKIOのメンバーとして、軽快なトークで番組を盛り上げ、真矢みきさんの女優らしい視点が加わることで、多角的な議論が展開されました。
共演中には、酒を酌み交わして打ち解けたエピソードもあり、オンエア外での交流が深まったようです。
一方で、番組内で真矢みきさんのコメントがスルーされる場面があったとの指摘も一部でありますが、両者の関係はプロフェッショナルな共演者として成り立っていたと思います。
一方、真矢みきさんとマツコ・デラックスさんのつながりは、CMやバラエティ番組での共演が中心です。
2011年の口臭ケア商品『キシリクリスタル』のCMでは、真矢みきさんがキャンディ警部役でマツコ・デラックスさんを追い詰めるシーンが話題になりました。
別撮りでの撮影だったものの、両者の個性的な演技が化学反応を起こし、視聴者に印象を残しました。
また、過去のテレビ番組で共演した際には、互いのキャラクターがぶつかり合うようなトークが展開され、視聴者を楽しませました。
マツコ・デラックスさんの入院時に、真矢みきさんがめまい経験談を共有するなど、共演者としてのエピソードが散見されます。
両者の関係については、さまざまな憶測が飛び交うこともありますが、仕事を通じたプロフェッショナルなつながりが基盤のようです。
真矢みきさんは、こうした共演を「刺激的な出会い」と振り返っているコメントがみられました。
現在の年齢と若い頃は?
真矢みきさんは、2025年現在、60歳を過ぎています。
2024年に還暦を迎えても、女優としての活動を精力的に続け、舞台やドラマで存在感を発揮しています。
年齢を重ねるごとに、理想の上司像やカッコイイ女性有名人としてのランキングで上位をキープし、好感度の高さを証明しています。
2017年には高等学校卒業程度認定試験に合格し、学び直しの姿勢も見せました。
プライベートでは、夫婦の時間を大切にしつつ、武道館コンサートや写真集のリリースなど、多彩なプロジェクトに取り組みます。
若い頃の真矢みきさんは、宝塚歌劇団入団時の17歳で、すでに華やかな世界に飛び込みました。
1981年の入団当初は、基礎が未経験だったため劣等生扱いされ、退団を考えるほど苦しんだそうです。
しかし、『ベルサイユのばら』でのオスカル役で注目を集め、1995年に花組トップスターに就任。
『風と共に去りぬ』や『エデンの東』などの大作で、男装の麗しい演技を披露しました。
宝塚時代は、厳しい上下関係の中で鍛えられ、内向的な性格を克服していきました。
1998年の退団後、女優転身は苦労の連続で、2003年の映画『踊る大捜査線 THE MOVIE 2』でオーディションに合格するまで、復活の糸口を探しました。
この頃のエピソードとして、転校続きの幼少期が「友達作りの難しさ」を教えてくれ、宝塚での人間関係構築に活きたそうです。
若い頃の情熱は、今も変わらず、年齢を重ねた深みを加えています。
黒木瞳とは?
真矢みきさんと黒木瞳さんは、宝塚歌劇団の67期生として同期生です。
1981年の入団時、両者は音楽学校で同じクラスに所属し、掃除当番が一緒だったという思い出を共有しています。
黒木瞳さんは月組トップ娘役として活躍した後、1985年に退団しましたが、真矢みきさんは花組でトップスターまで上り詰めました。
同期の絆は強く、2012年の映画『ウタヒメ 彼女たちのスモーク・オン・ザ・ウォーター』で、卒業以来の初共演を果たしました。
この作品では、修学旅行の余興以来の再会を喜び、互いに「みきちゃん」「昭子」と呼び合う親しげな様子が話題になりました。
また、宝塚音楽学校時代、真矢みきさんが授業中に黒木瞳さんの似顔絵をこっそり描いたエピソードもあり、10代の頃の無邪気な友情がうかがえます。
退団後も、好感度調査で理想の上司像として一緒にランクインするなど、互いのキャリアを認め合う関係です。
黒木瞳さんの家庭的な一面と、真矢みきさんの舞台女優らしい情熱が、互いを刺激し続けています。
こうした同期のつながりは、真矢みきさんにとって、宝塚時代の宝物ですね。
真矢みきさんの人生は、転機を何度も迎えながらも、常に前向きな姿勢で輝きを増しています。
宝塚から女優へ、そして家庭人としてのバランスを保ちながら、これからも多くのファンを魅了し続けるでしょう。
今回はここまでです。
これからも、真矢みきさんの活躍を期待しています。
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