相川七瀬旦那と離婚!子どもは?髪型は?なぜ大学へ?ブラジルとは?

歌手・音楽家

もくじ

相川七瀬さんのプロフィール

 

相川七瀬さんは、1975年2月16日生まれの大阪府大阪市東淀川区上新庄出身の女性歌手です。

 

AB型で、現在50歳。1995年にシングル「夢見る少女じゃいられない」で鮮烈なデビューを果たし、ロック調の力強いボーカルで90年代を代表する存在となりました。

 

 

以降、「恋心」「BREAK OUT!」などのヒット曲を連発し、アルバム『Red』は270万枚以上のセールスを記録。

 

紅白歌合戦への出場も果たすなど、J-POPシーンを牽引してきました。

 

幼少期は、祖父が地元の神社の熱心な氏子だった影響で、神社境内を遊び場にし、お祭りの雰囲気に親しみました。

 

実家近くの神社で石柱を奉納するほどの信仰心が、後の民俗学への興味の原点です。

 

小学校は地元公立の大阪市立豊里小学校で、手芸クラブに所属し、習い事としてピアノを習っていました。

 

この頃の音楽経験が、歌手への道を自然と拓いたのかもしれません。

 

中学校は大阪市立東淀中学校に進学しましたが、ヤンキー気質が強く、派手なファッションや不良仲間との付き合いが目立ちました。

 

高校は大阪府立北淀高等学校に入学しますが、歌手の夢を追い、2年生で中退。

 

学生時代は部活動には参加せず、帰宅部でした。

 

オーディションに落ちて芸能界入りを諦めかけたものの、プロデューサーの織田哲郎さんからの熱意に後押しされ、上京してボイストレーニングを重ね、デビューを果たします。

 

こうした波乱万丈な学生時代が、彼女の歌詞に込められる「前向きな強さ」の源泉となっています。

 

 

 

旦那と離婚!

 

そんな相川七瀬さんが、2025年9月、デビュー30周年の節目に、ファンに向けて離婚を報告しました。

 

SNSで「私たちは夫婦を卒業し、家族は新しい形で仲良く元気に暮らしています」と綴り、温かい見守りを呼びかけています。

 

 

結婚は2001年、26歳の時で、相手は15歳年上の一般男性。職業は広告代理店勤務の会社員という説が有力ですが、詳細は非公表です。

 

出会いは音楽活動を通じてで、相川七瀬さん自身が「心が折れそうな時に救われた」と語るほど、包容力のあるパートナーでした。

 

離婚のきっかけは、2024年夏頃の別居生活。

 

昨夏、相川七瀬さんが自ら離婚届を提出したそうです。

 

理由は公表されていませんが、互いのライフステージの変化が背景にあるようです。

 

相川七瀬さんは歌手活動、大学・大学院での学業、子育てを両立する多忙な日々を送っており、夫婦としてより自由な関係を望んだのかもしれません。

 

過去に「夫が駆け込み寺」と称賛するエピソードもあり、円満な別れを強調しています。

 

レアな話として、夫婦は年齢差を活かし、子どものお弁当作りや家事を分担。

 

相川七瀬さんの大学進学時も、夫が朝食を担当するなど支え合っていました。

 

離婚後も「家族の絆は変わらない」との言葉から、穏やかな新章が始まっています。

 

子どもは?

 

子どもについては、3人全員が9月生まれという珍しい共通点があります。

 

長男は2001年生まれの23歳、次男は2010年生まれの15歳、長女は2012年生まれの13歳です。

 

プライバシーを守りつつ、相川七瀬さんは時折、インスタグラムで息子たちの姿を公開。

 

長男はイケメンぶりが話題で、2020年頃にニュージーランドへの留学経験があるそうです。

 

次男は、ドラマーとして活躍されており、ジュノンボーイコンテストにも参加したイケメン君。

 

 

2024年9月には、横浜のレストランで3人合同の誕生日会を開催し、「頼れるほど大きくなった」と感慨深げに投稿しました。

 

離婚後も、子どもたちは両親の元で元気に育っており、相川七瀬さんは「母親として全力」と語ります。

 

シングルマザーとして、これからも音楽と学業を武器に、子どもたちを支えていくでしょう。

 

 

髪型について

 

髪型については、相川七瀬さんのトレードマークがウルフカットです。

 

デビュー当時の赤いショートヘアは、ワイルドでロックなイメージを象徴し、多くの女性が真似しました。

 

肩下のレイヤーカットに前髪を長めに流すスタイルで、動きやすさとフェミニンさを両立。

 

最近の変化は目覚ましく、2024年6月には15年ぶりの赤髪ウルフカットにイメチェン。

 

インスタグラムで「何十年ぶりの赤髪、やっぱり赤髪だねと言われて照れます」と披露し、ファンから「夢見る少女のまま!」と絶賛されました。

 

また、2024年2月には期間限定の「レッドロングヘア」を採用し、ツアー中にゴージャスなロングスタイルを披露。

 

シャギーを効かせたセミロングやボブヘアも試しており、50歳とは思えない若々しさです。

 

レアなエピソードとして、2000年代初頭に金髪ショートを基調に、皮のライダースジャケットと合わせたワイルドルックが流行。

 

カラーセラピスト資格を持つ彼女らしく、髪色は「エネルギーをチャージする赤」を好み、気分転換に活用しています。

 

離婚報告後も、変わらぬスタイリッシュさが彼女の強さを物語っています。

 

 

なぜ大学へ?

 

相川七瀬さんの大学進学は、45歳の2020年4月、國學院大學神道文化学部入学から始まります。

 

高校中退の過去を悔やみ、2018年に高卒認定試験に合格。

 

科目履修生として2年通った末、一般入試で合格しました。

 

 

理由は、幼少期からの民俗学への情熱です。

 

祖父の影響で神社に親しみ、2011年に「赤米神事」と出会って運命が変わりました。

 

赤米は古来の神事で、種子島や対馬などで御神体として崇められる赤い稲。

 

相川七瀬さんは10年近く大使として継承活動に携わり、「祭りを通じた地域活性化」を学びたくなったのです。

 

コロナ禍でオンライン授業が中心でしたが、2024年3月に成績優秀者として卒業。

 

卒論テーマは「変わりゆく地縁の中での新しい祭りの意義」で、都心の神社減少を指摘し、再構築を提案しました。

 

現在は同大学院で民俗学を専攻し、修士論文を執筆中。

 

大学4年時に「お神輿サークル」に入会し、20歳以上の後輩と交流。

 

学び直しが「親子関係の改善」や「歌詞のひらめき」をもたらしたそうです。

 

「歌一色だった20代より、今が一番忙しいけど充実」と笑います。

 

デビュー30周年の今年、織田哲郎さんとの全国ツアーも控え、学業と音楽の両立が彼女の新境地です。

 

ブラジルとは?

 

相川七瀬さんのブラジルとのつながりは、意外なほど深いです。

 

デビュー曲「夢見る少女じゃいられない」が、現地日系社会の祭りで大人気。

 

盆踊りをアレンジした「マツリダンス」の定番曲として、2003年頃からサンパウロやパラナ州の日本祭りで使用され、数千人が踊る光景が広がりました。

 

2024年10月、初訪伯で日系団体と交流し、「地球の反対側で私の歌が生きている」と感動。

 

2025年、日伯外交関係樹立130周年にあたり、外務省から「日本ブラジル友好交流親善大使」に任命されました。

 

任期は6月から年末までで、9月にはパラナ州ロンドリーナ祭りに参加。ステージで熱唱し、地元民とダンスを披露しました。

 

 

移民史料館で神棚を見つけ、「海を渡った信仰の強さ」に感銘。

 

ブラジル日系人の盆踊りは、日本の祭り文化を進化させたもので、相川七瀬さんは「昭和の日本を感じる」と語ります。

 

デビュー30周年ツアーでも、ブラジル公演を計画中。

 

親善大使として、文化交流の架け橋となりそうです。

 

まとめ

相川七瀬さんの人生は、常に挑戦の連続です。

離婚という転機を「卒業」と前向きに捉え、子どもたちとの絆を深め、髪型の変化で自分をリフレッシュ。

大学での学びが祭り文化を豊かにし、ブラジルとの縁が世界を広げます。

50歳代となった今、ますます輝く彼女の活躍に、目が離せません。

 

今回はここまでです。
これからも、相川七瀬さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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