金子マリ旦那無戸籍?息子は?若い頃と現在は?忌野清志郎やチャーとは?葬儀屋?

歌手・音楽家

もくじ

金子マリさんのプロフィール

 

金子マリさんは、1954年12月1日生まれの歌手でミュージシャンです。

 

本名は金子眞利さんで、東京都世田谷区下北沢出身です。

 

 

下北沢の街並みに溶け込むような、力強く魂のこもった歌声から「下北のジャニス」と呼ばれることもあります。

 

10代の頃から音楽の世界に強く惹かれていきました。

 

学歴については、私立カリタス学園女子中学・高校を卒業されているのでは?という話がネットで見られましたが、確証には至りませんでした。

 

学習院大学の軽音部でエマーソン・レイク・アンド・パーマーの曲を演奏するような音楽サークル活動に親しんでいたというエピソードが残っています。

 

旦那は無戸籍?息子は?

 

金子マリさんの元夫は、ロックシーンで知られるドラマーのジョニー吉長さんです。

 

ジョニー吉長さんは、父親がドイツ系アメリカ人、母親が日本人のハーフです。

 

1980年7月に結婚。

 

1978年に「金子マリ&バックスバニー」の2代目ドラマーとしてジョニー吉長さんが参加したことから、結婚につながっていったようです。

 

当時、ジョニー吉長さんは私生児で戸籍がなかったため、結婚中は金子姓を名乗っていました。

 

1999年に離婚。

 

ジョニー吉長さんは、ピンク・クラウドやTLGなどのバンドで活躍していましたが、2012年に63歳という若さで、肺炎のため逝去。

 

離婚後、疎遠となっていたようですが、逝去される2カ月半は、金子マリさんも看病し、最後の旅立ちには、二人の息子とともに看取ったそうです。

 

二人の息子というと、長男の金子ノブアキさんと次男のKenKenさんです。

 

金子ノブアキさんは1981年生まれで、RIZEのドラマーとして知られるほか、俳優としても活動しています。

 

父親が使っていた、形見のスティックでドラムをたたくこともあるのだそうです。

 

思い入れも深いのでしょうね。

 

ドラマ『二千年の恋』や映画への出演で注目を集め、母の金子マリさん譲りの表現力が光ります。

 

金子ノブアキさんは現在、妻でデザイナーの中村静香さんと二人のお子さんを育てながら、音楽と演技の両立を図っています。

 

次男のKenKenさん、本名金子賢輔さんは1985年生まれで、RIZEのベーシストです。

 

兄弟でバンドのリズムセクションを担う姿は、ロック界の羨望の的です。

 

KenKenさんは幼少期からベースに没頭し、下北沢の街を駆け回る活発な少年時代を過ごしました。

 

2023年にはポールダンサーのPOPOさんと結婚し、家族が増えました。

 

結婚式の前撮りでは、実家の葬儀屋前で撮影したユニークな写真が話題になりました。

 

金子マリさんは、息子たちの成長を「異世代共存共鳴」と表現し、自身のバンド活動にも彼らをゲストとして招くことがあります。

 

息子たちは、母の影響で音楽の道を選びましたが、それぞれ独自のスタイルを確立しています。

 

 

若い頃と現在は?

 

若い頃の金子マリさんは、1970年代のロックシーンを駆け抜けた情熱的なミュージシャンでした。

 

1972年、キャロルのライブでCharさんと出会い、すぐにスモーキー・メディスンを結成します。

 

このバンドは、わずか2年ほどの活動ながら、ジョイ・トゥ・ザ・ワールドのカバーなどで鮮烈な印象を残しました。

 

解散のきっかけはメンバー間の衝突でしたが、その後も友人関係は続き、再結成ライブが実現するほどです。

 

1974年には、難波弘之さんらと金子マリ&バックスバニーを結成。

 

1976年にアルバム『MARI & BUX BUNNY』でデビューし、ジャズロックの洗練されたサウンドでファンを魅了しました。

 

日比谷野音での公演では、Charさんやジョニー吉長さん、カルメン・マキさんらとの共演も果たし、若き日のエネルギーが爆発していました。

 

当時の彼女は、ステージ上でギターを弾きながら歌うスタイルで、観客を熱狂させました。

 

また、1983年のソロアルバム『MARI FIRST』では、自由奔放なボーカルが光ります。

 

現在、金子マリさんは70歳を過ぎても現役で音楽活動を続けています。

 

自身のバンド「5th Element Will」を率い、定期的にライブを行っています。

 

このバンドは、盟友の北京一さんや森園勝敏さんらと結成され、ロックのエッセンスを現代的に昇華させたパフォーマンスが特徴です。

 

2015年の還暦ライブでは、息子たちの金子ノブアキさんとKenKenさんが参加し、家族総出の感動的なステージとなりました。

 

また、2006年のアルバム『B-ethics』では、多彩なゲストを迎え、自身のキャリアを総括するような作品を発表しています。

 

音楽以外では、家業の経営に注力しつつ、下北沢の地域イベントにも積極的です。

 

地元中学校のブラスバンド部とのコラボレーション企画を主催するなど、若い世代との交流を大切にしています。

 

加齢による変化を感じさせず、変わらぬパワフルな歌声でステージに立つ姿は、ファンに感動を与え続けています。

 

 

忌野清志郎やチャーとは?

 

金子マリさんは、高校時代に「サユリバンド」というアマチュアバンドに所属しており、高校卒業後、上京。

 

買い物で立ち寄った「東急」の屋上で開催されていた、ロックバンド「キャロル」のライブを観ていたところ、たまたまそこに、ギタリストのCharさんがいたそう。

 

この出会いがきっかけで、スモーキー・メディスンが結成されました。

 

後に伝説のロックバンドと言われるほど、豪華メンバーが所属したバンドですね。。。

 

Charさんのギターと金子マリさんのボーカルが融合したサウンドは、当時のロック界に新風を吹き込みました。

 

バンド解散後も、互いのソロ活動を応援し合い、2002年の再結成ライブでは『Joy to the World』を熱唱。

 

2017年のRIZEのライブでは、Charさんが金子家と共演し、Jesseさんの曲『I’m just like you』を披露するなど、家族ぐるみの絆が深まっています。

 

2025年のCharさんの古希記念武道館ライブでも、金子マリさんがオリジナルメンバーとして参加予定で、長年の友情が実を結んでいます。

 

Charさんは、金子マリさんの歌声を「唯一無比」と評し、互いに刺激を与え合う盟友です。

 

一方、忌野清志郎さんとのつながりは、Charさんを介したものが基盤です。

 

1988年から1989年にかけ、RCサクセションのコーラスとして参加し、ツアーやレコーディングで支えました。

 

金子マリさんのハスキーな声が、RCのエネルギッシュな楽曲に深みを加えました。

 

仰天エピソードとして、札幌でのライブの際、打ち上げからホテルに戻ると、タイミング悪く停電になってしまったそう。

 

まだ幼かった二人の息子たちも一緒でしたが、ギタリストの仲井戸麗市さん(愛称:CHABO)が金子ノブアキさんを、そして、忌野清志郎さんがKenKenさんをおんぶして、部屋がある11階まで上がってくれたのだそうです。

 

当時を振り返って、金子マリさんは「ヒーヒー言いながらも、ふたりはなんだかうれしそうでした。」とコメントされています。

 

とっても素敵なエピソードですね。

 

2006年の『B-ethics』では、忌野清志郎さんがゲストボーカルで参加し、『彼女の笑顔』をカバー。

 

忌野清志郎さんの死後、追悼イベントでも金子マリさんが歌声を捧げ、ロック魂の継承を体現しています。

 

また、1990年代にはRCのマネージャー経験者との交流から、忌野清志郎さんのエピソードを共有する機会もありました。

 

こうした関係は、単なる共演を超え、音楽を通じた人生の共有です。

 

金子マリさんは、忌野清志郎さんの反骨精神を尊敬し、自身の活動に取り入れています。

 

葬儀屋?

 

金子マリさんの人生に欠かせないのが、家業の葬儀屋「金子総本店」です。

 

昭和元年創業の下北沢の老舗で、彼女は三代目として1993年から代表を務めています。

 

幼少期からこの仕事に親しみ、跡取り娘として育った経験が、音楽活動との両立を可能にしました。

 

葬儀屋の経営は、ロックの激しい世界とは対照的ですが、金子マリさんにとっては「人の死と向き合うことで、生きる喜びを再確認する」場です。

 

毎月まとまった資金が必要な事業を、ライブの収入で支える日々は大変でしたが、父の死後、家族の絆で乗り越えました。

 

下北沢南口商店街のアイコンとして、地元に根ざしたサービスを提供しています。

 

ユニークなエピソードとして、息子KenKenさんの結婚式前撮りが店先で行われたことがあります。

 

葬儀社の重厚な門をバックに、ポールダンサーの妻と笑顔でポーズを取る姿は、ロック一家らしいユーモアに満ちていました。

 

2023年に「シーナ&ロケッツ」の鮎川誠さんがご逝去された時、金子マリさんの葬儀社かと思うファンもいましたが、別の葬儀屋さんだったそうです。

 

また、地元イベントでは、葬儀屋の倉庫を活用したライブを開催したことも。金子マリさんは、「葬儀とライブは似ている。どちらも心を浄土にする仕事」と語ります。

 

現在も、音楽と葬儀の両輪で、下北沢の街を支え続けています。

 

今回はここまでです。
これからも、金子マリさんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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