うつみ宮土理の現在と若い頃は?化粧まわしやおっかけとは?旦那や子どもは?ロンパールームとは?
もくじ
うつみ宮土理さんのプロフィール
うつみ宮土理さんは、1942年10月1日、東京都世田谷区に生まれたタレント、女優、司会者、小説家、エッセイストです。
本名は井川三重子さんで、旧姓は内海さんです。

身長は156センチ、血液型はA型です。
幼少期は、父親が造園業を営む家庭で、5人きょうだいの上から2番目として育ちました。
父親の家業は祖父母の意向に反して独立したもので、家庭の空気は複雑でした。
小学校4年生の夏、母親の内海ツルさんが突然の病気で亡くなりました。
ツルさんは父の独立を喜んでいた矢先の出来事で、家族は深い悲しみに包まれました。
この喪失をきっかけに、母親の姉である伯母の内海ハナさんが家族のもとに駆けつけました。
ハナさんは戦争で夫を亡くし、一人娘を育てながらお茶とお花を教えて生計を立てていらっしゃいました。
ツルさんの死後、ハナさんは父親と結婚し、家族の一員として5人の子どもたちを女手一つで育て上げました。
ハナさんの教育方針は厳しくも温かく、子どもたちの暗い心を明るく変えるために、毎朝の挨拶を大きな声で練習させたり、成績の良い日は抱きしめて褒めたりしました。
勉強の大切さを「泥棒が入っても盗まれないもの」と教え、家族の絆を強めました。
うつみ宮土理さんはこの環境で積極的で明るい性格を身につけました。
学歴は、世田谷区立弦巻小学校、実践女子学園中学校・高等学校を経て、1965年に実践女子大学文学部英文学科を首席で卒業されました。
学生時代に特筆すべき部活や習い事の記録は公表されていませんが、英文学の深い学びが後の活動の基盤となりました。
若い頃と現在は?
うつみ宮土理さんの若い頃は、多彩な才能を発揮し、メディア界への道を切り開きました。
大学卒業後、朝日新聞社の入社試験に合格し、英字雑誌「ディス・イズ・ジャパン」の編集部に勤務されました。
取材を通じて英語力とコミュニケーションスキルを磨き、活発な性格が評価されました。
1966年、取材の機会に訪れた面接会場がきっかけで、日本テレビの子供向け番組『ロンパールーム』の2代目お姉さん役に抜擢されました。
当時の芸名は「うつみみどり」さんで、「みどり先生」としてデビューしました。
この出演は、彼女のタレント人生のスタートラインとなりました。
以降、情報番組やバラエティ番組に進出し、女優としても活躍の場を広げました。
1974年には芸名を「うつみ宮土理」に改め、姓名判断で芸能界と結婚運に良いと選んだ字を入れました。
ドラマ『おくさまは18歳』では、「悔しいわ、悔しいわ、なんだかとっても悔しいわ」という台詞が流行語となり、視聴者の心を掴みました。
また、小説『紐育マサオ』やハウツー本『うつみ宮土理のカチンカチン体操』を執筆し、文筆家としても評価されました。
1978年には、司会者として共演していた愛川欽也さんと結婚し、おしどり夫婦として知られるようになりました。
若い頃のうつみ宮土理さんは、明るく快活なキャラクターで、子どもから大人まで幅広い支持を集めました。
2007年には韓流ドラマに魅了され、韓国・慶熙大学校語学学校に約3か月間留学し、語学と歴史を学びました。
この経験は、彼女の国際的な視野を広げました。
30代から40代にかけては、司会者として『シャボン玉こんにちは』などの長寿番組を支え、家庭と仕事を両立させる姿が、多くの女性のモデルとなりました。
現在は年齢が、80歳を過ぎてもなお、精力的に活動を続けています。
主な活動として、夫婦で建立した「キンケロ・シアター」の運営と公演が挙げられます。
2013年から毎年1~2回のコンサート形式の舞台を上演し、2025年10月3日から5日まで、東京都内で主演舞台「コメディ I L☆(ハート)」に出演されました。
劇場名は、愛称「ケロンパ」と愛川さんの「キンキン」から付けられたもので、夫の遺志を継ぐ場となっています。
また、テレビでは日本テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」の月曜日コメンテーターを2008年から務め、軽快なトークで視聴者を楽しませています。
BS11の「ケロンパのナカメへおいでよ!」も2025年1月から放送開始され、子ども向けの温かみのある内容で好評です。
散歩番組では、ゲストを迎えて街を歩く姿が、ニット帽にパーカ、ダンスパンツというカジュアルなスタイルで、若々しさを象徴しています。
2024年には、大衆演劇の門戸竜二さんの30周年公演『瞼の母』に共演し、舞台女優としての実力を発揮しました。
うつみ宮土理さんは、元気の秘訣として「自分から動かないとダメ」と語り、推し活を通じて活力を得ています。
化粧まわしやおっかけとは?
うつみ宮土理さんの「おっかけ」とは、近年注目される推し活の一形態で、特に大相撲の力士・若隆景さんを熱心に応援する活動を指します。
相撲のルールや技を深く知るわけではないものの、若隆景さんの人柄や努力に魅了され、積極的にサポートしています。
2025年秋場所の初日で若隆景さんが土俵入りした際、化粧まわしにうつみ宮土理さんのイラストがデザインされ、話題となりました。
この化粧まわしは、緑色の生地にひまわりの髪飾りをつけたやんちゃな女の子のイラストと、「若隆景」「うつみ宮土理」の文字が刺繍されたもので、1億円を超える高額なプレゼントとして贈られました。
うつみ宮土理さんは、自身のインスタグラムで「化粧まわしを若隆景さんに」と報告し、ファンから「インパクトありすぎ」「かわいい」と反響を呼びました。
化粧まわしとは、力士の土俵入りに着用する特別なまわしで、寄付者やスポンサーの名前やデザインを入れ、華やかな儀式を演出します。
うつみ宮土理さんの場合、通常のお菓子やグッズではなく、化粧まわしを選んだのは、相撲界の伝統を尊重し、力士のモチベーションを高めたいという思いからです。
若隆景さんとの出会いは、数年前のイベントで、互いの明るい性格が共鳴したのがきっかけです。
以降、試合観戦や激励のメッセージを送るなど、温かい関係を築いています。
この推し活は、うつみ宮土理さんの日常に活力を与え、82歳の頃から続けている熱愛の対象として、夫の愛川欽也さんとともに大切にされています。
相撲ファン以外からも「推し力士の化粧まわしに有名タレントの顔」というユニークさで注目を集めています。
旦那や子どもは?
うつみ宮土理さんの旦那さんは、愛川欽也さんです。
1978年、バラエティ番組『シャボン玉こんにちは』のコンビ司会を務めていた頃に結婚されました。
当時、愛川さんは前妻との離婚成立の翌日に入籍というスピード婚で、運命的な出会いでした。
二人は37年間の結婚生活を送り、おしどり夫婦として知られました。
2005年の「いい夫婦の日」では、パートナー・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、うつみ宮土理さんは愛川さんの仕事好きや食事中の表情を愛していました。
2007年の不倫報道時も、「カッコいいじゃん」と擁護するほど、強い絆がありました。
愛川さんは2015年4月15日に末期肺がんのため82歳で亡くなられました。
うつみ宮土理さんは看病を続け、死去後しばらく活動を休止しましたが、復帰後は夫の存在を心の支えにしています。
子どもについては、愛川さんとの間に長男と長女がいます。詳細な名前や職業は公表されていませんが、家族として支え合っています。
一方、愛川さんの前妻さんとの間には、長男の井川晃一さんと長女の佳村萠さんがいらっしゃいます。
うつみ宮土理さんは、義理の子どもたちとも交流がありましたが、2015年の遺産相続時には一時的な確執が報じられました。
幼少期の家族構成は、父親、育ての母である伯母のハナさん、きょうだい4人です。
ハナさんは77歳で亡くなられましたが、愛川さんが毎月お小遣いを振り込み、貯めたお金でハナさんの名義のお墓を建てました。
このような家族のエピソードは、うつみ宮土理さんの人生観を形成しています。
ロンパールームとは?
『ロンパールーム』は、1963年10月7日から1979年9月28日まで日本テレビ系列で放送された子供向け教育番組です。
アメリカの同名番組を原作とし、幼児の教育と遊びをテーマに、月曜から土曜の短時間帯でオンエアされました。
内容は「教育」「遊び」「おやつ」「絵本」の4つのコーナーで構成され、スタジオに集まった6人から10人の幼児たちが参加しました。
応募は3か月ごとに1万通以上あり、人気が高かったです。
初期は生放送でしたが、後に録画に移行し、1964年4月22日からカラー放送となりました。
テーマ曲や「腕白・やんちゃ」を意味する「Romper」から名付けられ、子どもたちの活発な姿が魅力でした。
1979年の終了は、マンネリ化やスポンサー離れ、著作権料の負担が理由です。
一時的に「新・ロンパールーム」としてリニューアルされましたが、短期間で終了しました。
うつみ宮土理さんは、1966年3月31日から1969年3月29日まで、2代目「みどり先生」として出演しました。
当時の芸名は「うつみみどり」さんで、初代の並木翠さんの後任です。
司会を務め、教育コーナーや遊びの進行を担当し、「鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせてくださいな」という名フレーズで子どもたちに親しまれました。
この出演がタレントデビューのきっかけとなり、歴代先生の中で唯一、卒業後も芸能活動を継続されました。
愛称「ケロンパ」の由来もここにあり、番組の鏡を使った魔法の挨拶が、彼女の明るいイメージを定着させました。
うつみ宮土理さんは、後年のインタビューで、子ども相手の強みを活かしたこの経験が、後の司会者人生の基盤になったと振り返っています。
番組の影響は今も続き、2023年の50周年記念イベントで「お天気坊や」が復活するなど、懐かしい記憶として語り継がれています。
今回はここまでです。
これからも、うつみ宮土理さんの活躍を期待しています。
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