タモリの嫁と子どもは?年齢・認知症なの?赤塚不二夫とは?なぜサングラス?資産は?

お笑いタレント・落語家

もくじ

タモリさんのプロフィール

 

タモリさんは、日本のお笑い界を代表する大御所として、長年にわたり多くの視聴者を楽しませてきました。

 

本名は森田一義さんで、1945年8月22日、福岡県福岡市南区に生まれました。

 

 

身長は161センチ、血液型はO型です。

 

現在年齢は80歳代というベテラン芸能人ですが、その独特のユーモアセンスと深い知識で、司会者としても抜群の存在感を発揮しています。

 

幼少期のタモリさんは、複雑な家庭環境の中で育ちました。

 

父親の森田義雄さんは祖父の養子として家業の靴屋を継いでいましたが、母親の和子さんとは離婚し、タモリさんは祖父母のもとで暮らすようになります。

 

このような背景から、幼い頃からラジオに親しみ、独自の想像力を養いました。

 

特に、福岡のローカル番組『北京半歩』で流れる中国語の挨拶を真似する遊びが好きで、これが後のモノマネ芸の原点になったと言われています。

 

小学校は福岡市立南里小学校に通い、学級委員長を務めるほど人前に出るのが得意で、近所の神社で一人芝居を披露し、近所の人々を笑わせていたそうです。

 

中学校は福岡市立城南中学校、高校は福岡県立明光学園高等学校に進学します。

 

高校時代は特に目立った部活には入らず、読書やラジオ鑑賞に没頭していました。

 

大学は早稲田大学第二文学部史学科に進みましたが、中退しています。

 

学生時代はモダン・ジャズ研究会に所属し、ジャズの即興演奏に魅了されました。

 

サックスを吹くのが趣味で、時には徹夜でセッションに興じ、将来の芸能活動に繋がる感性を磨きました。

 

この頃、経済的な理由からアルバイトを掛け持ちし、苦労を重ねた経験が、後年のトークの深みを生んでいます。

 

タモリさんの嫁について

 

タモリさんの奥様は、2歳年上の一般女性です。

 

奥様は1943年生まれで、タモリさんが25歳の頃、1970年に結婚しました。

 

当時、タモリさんは早稲田大学中退後、朝日生命保険の外交員として働いていましたが、春子さんは同じ会社の先輩OLでした。

 

馴れ初めは職場での出会いで、タモリさんの独特なユーモアに春子さんが惹かれ、交際が始まったそうです。

 

春子さんは美人で知的な女性で、芸能界の華やかな世界を好まず、陰でタモリさんを支え続けています。

 

結婚当初はタモリさんの収入が不安定だったため、春子さんが家計を切り盛りし、質素な生活を送っていたそうです。

 

現在も夫婦仲は良好で、春子さんはタモリさんのスケジュールを細かく管理し、健康面でのサポートを欠かしません。

 

近年は春子さんの体調が心配される声もあるようです。

 

子どもについて

 

タモリさん夫妻には子どもがいません。

 

公の場では甥や姪のエピソードを語ることがありますが、自身の子どもについては一切触れていません。

 

一部で娘が2人いるという噂が流れましたが、これは誤情報で、根拠はないものです。

 

若い頃に「子どもができたらジャズミュージシャンに育てたい」と語ったことがありましたが、実現しなかった分、芸能界の後輩たちを可愛がる「タモリ親分」として知られています。

 

 

タモリさんの年齢と認知症の噂について

 

タモリさんは1945年生まれで、2025年に80歳を迎えました。

 

高齢ながら、精力的にテレビ出演を続けていますが、最近の番組で自身の健康について率直に語り、注目を集めました。

 

2025年9月にNHKで放送の『知的探求フロンティア』で、タモリさんは「人の名前が出てこないし、やったことを忘れてる」と明かし、認知症の兆候が「全部ある」と告白しました。

 

具体的に、「冷蔵庫を開けた理由を忘れる」といった日常の物忘れを挙げ、同級生にも認知症の人がいることを振り返りました。

 

この発言は視聴者に心配の声をもたらしましたが、タモリさん自身はユーモアを交えて受け止め、「切れ味が悪くなった」と笑い飛ばしました。

 

実際、80歳という年齢を考えると、こうした症状は加齢による自然な変化の可能性が高く、正式な診断は受けていないようです。

 

やはりタモリさんには健康で、今後もメディアに出演し続け、楽しませて欲しいと願うファンは多いことでしょう。

 

 

タモリさんと赤塚不二夫さんの関係は?

 

タモリさんと赤塚不二夫さんの関係は、芸能史に残る特別な絆です。

 

赤塚不二夫さんは漫画家の巨匠で、タモリさんの芸能界デビューを支えた恩人です。

 

 

出会いは1960年代後半、タモリさんが上京直後で、貧乏生活を送っていた頃です。

 

赤塚さんの自宅に居候し、数年間を共に過ごしました。

 

タモリさんは赤塚さんのベンツを無断で乗り回し、赤塚さんがビールを買ってきてくれるほど気楽な関係でした。

 

赤塚さんはタモリさんを「弟子以上、親友未満」と評し、二人でバカなギャグを連発する日々を送りました。

 

1980年代には「赤塚会」という宴会を定期的に開催し、所ジョージさんやTHE ALFEEの坂崎幸之助さんらを招いて飲み明かしました。

 

赤塚さんが2014年に亡くなった際、タモリさんは弔辞で「本当に優しい方で、シャイな人だった」と追悼。

 

仮想葬儀のギャグを一緒にやった思い出など約8分にわたって弔辞を述べましたが、その用紙は白紙だったというエピソードがあります。

 

紙を見て読む必要がないほど、伝えたことがたくさんあったのでしょうね。

 

 

タモリさんが常にサングラスをかける理由は?

 

デビュー当時、浅井慎平さんから「顔に特徴がないからインパクトを出せ」とアドバイスされ、1970年代初頭から着用を始めました。

 

細い目をコンプレックスに感じていた面もあり、キャラ作りの一環として定着したのです。

 

一部で「右目を幼少期の事故で失明し、義眼を隠すため」という噂が流れましたが、これはデマなのだそうです。

 

実際、タモリさんは両目とも正常で、過去の番組で「サングラスなしだと目が細くて恥ずかしいだけ」と本音を漏らしています。

 

プライベートでは時折外すそうですが、公の場ではトレードマークとして欠かせません。

 

このスタイルが、タモリさんのミステリアスな魅力を高めています。

 

タモリさんの資産について

 

推定総資産は50億円から100億円を超えるとされ、芸能界屈指の富豪です。

 

主な収入源は長寿番組の司会料で、『笑っていいとも!』だけで31年間に約150億円を稼いだと試算されます。

 

ピーク時の年収は10億円近くに達しました。

 

不動産では、東京都目黒区の豪邸(推定3億5000万円、地下に防音オーディオルーム完備)を所有し、静岡県に別荘や土地を複数保有。

 

福岡の実家近くでは駐車場経営も手がけています。

 

他にもヨットクルーザーを趣味で所有し、海上でのジャズ鑑賞を楽しむそうです。

 

 

派手な生活を好まないタモリさんですが、堅実な投資で資産を増やし、後輩の面倒を見る「義理人情」の人柄が、富の源でもあります。

 

タモリさんの人生は、ユーモアと知性の結晶です。

 

今回はここまでです。
これからも、タモリさんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

記事のポチっと拡散感謝です~(*´ω`*)