大江千里結婚・子どもは?渡辺美里とは?声が出ない?若い頃や現在は?星野源と似てる?

歌手・音楽家

もくじ

大江千里さんのプロフィール

 

大江千里さんは、1960年9月6日生まれの日本のシンガーソングライター、ジャズピアニスト、俳優です。

 

出身は大阪府藤井寺市で、生後すぐに東京で生まれましたが、すぐに大阪に転居しています。

 

 

カトリック系の幼稚園で洗礼を受けました。洗礼名はエミルです。

 

3歳の頃からピアノを習い始めたそうですが、父親は、チェロやバイオリンを弾いたり、オペラを歌うといった趣味を持っていたそうで、幼い頃から音楽に親しみながら育ちました。

 

中学生の頃から作曲を始めたそう。

 

なんと高校生の時には、自身が講師となって自宅でピアノを教えていたそうです。

 

実家が大阪芸術大学の近くにあり、その生徒が立ち寄るレコード店で知り合った学生とバンドを組むこともあったそうで、その活動のために、ピアノ講師、新聞や郵便配達などなどバイトをしたそうです。

 

関西学院大学経済学部に入学し、軽音楽部に入部しました。

 

在学中、アマチュアバンド「トニオ・クレイガー」に参加してライブ活動を展開し、1981年にCBS・ソニーからスカウトされました。

 

大学在学中の1983年にエピックソニーからメジャーデビューしています。

 

自身のアルバム、シングル、楽曲提供したものも合わせると、数えきれないほどの作品をこれまでリリースされています。

 

 

結婚・子どもは?

 

大江千里さんは、2008年に47歳でニューヨークに移住したタイミングで結婚をされています。

 

お相手は、芸能関係者ではなく一般人で、交際期間はなんと20年といいます。

 

結婚の詳細な時期やお相手の名前、年齢、職業などは公表されていません。

 

日本国内で活動されていた頃は独身でした。

 

結婚生活は穏やかで、ニューヨークの自宅で支え合いながら過ごしています。

 

子どもについては、公式な報告が一切なく、いないとされています。

 

一部で娘の存在が取り沙汰されることがありますが、これは大江千里さんが自身のnoteで愛犬の「ぴ」ちゃんを「16歳になる娘」と表現していることから生じたのかもしれません(笑)。

 

実際には家族構成は夫婦2人きりで、愛犬を家族の一員として可愛がっています。

 

渡米後の生活が落ち着いた中で、互いの存在が心の支えになっているようです。

 

 

渡辺美里とは?

 

大江千里さんと渡辺美里さんは、1980年代に同じレーベルであるEPIC・ソニーで、同じプロデューサーのもとで活動を始めた頃から、強い絆で結ばれた関係です。

 

渡辺美里さんが高校生の頃からスタジオに遊びに来て、大江千里さんのレコーディングを見学するなど、自然と親しくなりました。

 

2人は自らを「プラチナコンビ」と呼んで、互いの音楽を高め合いました。

 

大江千里さんは渡辺美里さんに数多くの楽曲を提供しており、1985年の「悲しいボーイフレンド」、1988年の「10 years」、1989年の「すき」、1991年の「夏が来た!」、1998年の「素顔」「太陽は知っている」「Welcome」、2003年の「天使がいるのを知っているかい」、2014年の「ここから」、2019年の「すきのその先へ」など、計18曲以上に上ります。

 

これらの曲は、渡辺美里さんのキャリアを象徴する名曲として今も愛されています。

 

共演も多く、1987年の日本武道館ライブで「本降りになったら」をデュエット、1998年のデビュー15周年記念ライブでスペシャルゲストとして出演、2005年の西武ドームラストライブでも共演を果たしました。

 

2011年には東日本大震災のチャリティーライブでニューヨークの会場を共に盛り上げました。

 

2019年の渡辺美里さんの35周年記念アルバム『ID』では、「すき」の主人公のその後を描いた新曲「好きのその先へ」を大江千里さんが作詞・作曲し、再び共演しています。

 

こうした長年にわたるパートナーシップは、互いの感性を共有したからこそ生まれたものです。

 

 

声が出ない?

 

加齢による自然な声の変化や、ニューヨーク移住後の生活習慣の違い、さらには日本での露出が減ったことで生じた印象のずれが、こうした噂の原因と考えられます。

 

例えば、テレビ出演での話し声が以前より低く感じられるという声がありますが、これは声質の成熟や環境の影響です。

 

大江千里さんの父親が晩年に病気で声を失われたエピソードが本人のnoteで語られていますが、本人自身には該当しません。

 

現在も、ライブパフォーマンスやラジオ出演、楽曲制作で声を存分に使っており、2025年夏の日本ソロコンサートツアーでも問題なく歌唱されています。

 

ただ、過去に大江千里さんは、2021年に二回目に接種したコロナワクチンでアナフィラキシーショックで、一時昏睡状態だったのだそう。

 

大江千里さんの病気に関する話題についてはそのような話しかみあたりませんでした。

 

ファンの皆さんは、公式のSNSやサイトで最新の活動を確認し、安心して応援しましょうね。

 

若い頃や現在は?

 

大江千里さんの若い頃は、ポップミュージックの黄金期を駆け抜けた輝かしい時代です。

 

1983年5月にシングル「ワラビーぬぎすてて」とアルバム『WAKU WAKU』でデビューし、プロデューサーの大村憲司さんのもとで「十人十色」(1984年)などのヒット曲を連発しました。

 

キャッチフレーズ「私の玉子様、スーパースターがコトン」でブレイクし、1987年には日本武道館で単独ライブを成功させました。

 

音楽だけでなく、俳優としても活躍し、ドラマ『金八先生』や映画『それから』に出演。細身の眼鏡姿と高めの歌声で、若者から支持を集めました。

 

10代からジャズに憧れていましたが、デビューが決まった大学1年生のタイミングでポップスの道を選びました。

 

2000年には個人レーベル「Station Kids Records」を設立し、独立も果たしています。

 

一方、現在はニューヨークを拠点にジャズピアニストとして新たな章を歩んでいます。

 

2007年末に日本での音楽活動を休止し、47歳で単身渡米。

 

ジャズの名門校The New School for Jazz and Contemporary Musicに入学し、5年間の厳しい学びを経て2012年に卒業しました。

 

卒業アルバム『Boys Mature Slow』をリリースし、ジャズのスタンダード曲を独自にアレンジしてアメリカ各地で演奏しています。

 

ポップス時代の代表曲をジャズ風にセルフカバーしたアルバム『Boys & Girls』も好評です。

 

年齢的に30歳ほど差のある同級生たちとフラットに交流し、ピアノの練習に励んでいます。

 

SNSのInstagramやnoteで、愛犬との散歩や飛行機の写真、日常の思索を共有し、楽しそうに過ごす様子が垣間見れます。

 

2024年には坂本真綾さんに「抱きしめて」を提供するなど、楽曲制作も継続。

 

60代に向けて、さらにキラキラしたラブソングを生み出したいというコメントが見られます。

 

星野源と似てる?

 

大江千里さんの名前を検索すると、歌手、俳優として活躍の星野源さんと似てるという話が見られました。

 

調べてみますと、風貌が似ているという話ではなく、音楽性が似ているという話のようです。

 

大江千里さんは自身の音楽性について以下のように語っていました。

 

僕がつくった「大江千里」のコンセプトは、ノンビブラートの少し高めな甘めの声で、曲を聞いてくれる人が「自分だけに歌ってくれている」「応援してくれている」と感じられるような世界観。
若い時には誰もが経験する心に秘めた孤独や、誰にも話せない葛藤、そういった内省的な心の鍵を、僕の声と歌でこじ開けて共有するっていうのかな。そういう人たちにさりげなくエールを送る・・・

 

活動面では、音楽制作だけでなく俳優業もこなし、多才さを発揮する点が重なります。

 

曲の雰囲気も、ポップでほろ苦いラブソングが多く、80年代のポップスと現代のJ-POPを橋渡しするような共通項があります。

 

ファンの間では「星野源を見て大江千里さんを思い出す」という声が少なくなく、眼鏡姿の写真を並べると似てる雰囲気あるかもしれません。

 

こうした類似は、2人とも感性豊かなクリエイターだからこそ生まれるものでしょう。

 

今回はここまでです。
これからも、大江千里さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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