山崎努の若い頃や現在は闘病中?妻や息子は?娘は宇宙飛行士?隣家が火事?山下智久とは?

俳優

もくじ

山崎努さんのプロフィール

 

山崎努さんは、1936年12月2日、千葉県東葛飾郡松戸町で生まれました。

 

年齢は90歳間近というベテラン俳優です。

 

 

身長は170センチ、血液型はA型です。幼少期は、

 

父は友禅染の職人だったそうですが、戦争から戻り、1年半後、36歳という若さで亡くなってしまいました。

 

家族は母親と妹の二人となり、家系が苦しく、子供の頃から新聞配達などバイトをし、学費も自身で稼いでいたそうです。

 

小学生の頃から、父親の不在を埋めるように、自分自身を父親の目線で演じるような癖がついたといいます。

 

学生時代は、中学卒業後、さまざまなアルバイトをこなしながら、東京にある上野高校を卒業しています。

 

19歳の頃、俳優への強い憧れを抱き、俳優座養成所に入所します。

 

1959年3月に養成所を卒業し、同年4月には芥川比呂志さんの誘いで文学座の研究員となりました。

 

劇団「雲」創立から参加し、1975年に退団後、独立しています。

 

俳優になろうと思ったきっかけは、高校時代、俳優志望の同級生がおり、一緒に俳優の試験を受けようと誘われた事でした。

 

高校は夜間部であったため、昼間にバイトをし、高校2年生になる頃にはまともに学校へも行かず、映画館で映画を見ていたこともあり、自然と俳優の知識が蓄えられていたのか、山崎努さんは合格、誘った友人は不合格となってしまいました。

 

友人の声掛けがなければ、山崎努さん出演の数々の名作は生まれていなかったのかもしれませんね??

 

 

山崎努さんの若い頃

 

山崎努さんの若い頃は、1960年、23歳の時に岡本喜八監督の映画『大学の山賊たち』で映画デビューを果たします。

 

同年、三島由紀夫さんの戯曲『熱帯樹』で舞台デビューも飾り、文学座での研鑽を積まれました。

 

叔母さんから「俳優なんてなったら、ろくな男になれないよ」と厳しい言葉をかけられたこともありましたが、そんな逆境が逆に創作意欲を掻き立てたようです。

 

1963年には、劇団雲の結成に参加し、自由な表現を追求されました。

 

1975年の劇団分裂を機に独立し、以降は映画や舞台で独自の演技スタイルを確立していきます。

 

黒澤明監督の『七人の侍』や『天国と地獄』への出演は、当時の若手俳優として大きな転機となりました。

 

叔母さんの言葉を胸に、常に自分を客観視する習慣が、変幻自在な役柄を可能にしました。

 

こうした若い頃の積み重ねが、後の名演を生む土台となりました。

 

 

現在は闘病中?

 

70歳代半ば過ぎくらいから、俳優業を引退される方も多い中、山崎努さんはまだまだ俳優魂は燃え尽きることなく、2022年に不祥事を起こし、芸能活動を自粛している香川照之さんにも一緒に作品を作ろうとSNSを通じてメッセージを送っています。

 

しかし、2024年2月に食道がんのステージ4と診断され、闘病生活を経験されました。

 

胆のう炎の精密検査でがんが発覚し、医師からは「生存率は10から15パーセント」と厳しい言葉を告げられました。

 

一時は胃ろうでしか食事が摂れず、入院と治療を繰り返しましたが、声帯を温存する手術を選択され、現在は回復に向かわれています。

 

2025年に入り、インタビューや電話メッセージでの出演も再開され、声の変化を心配する声もありましたが、徐々に日常を取り戻されています。

 

闘病中も、家族の支えが大きかったそうです。

 

この経験を、自身の自伝的な対談で振り返られ、がん告知のリアルを語られています。

 

ご高齢ながら、役作りへの情熱は衰えず、最近の作品では感情の機微を深く表現されています。

 

 

妻や息子は?

 

山崎努さんの妻は、元宝塚歌劇団星組の黛ひかるさんです。

 

黛ひかるさんとの出会いは、1962年にNHKで放送されたドラマ「アラスカ物語」での共演でした。

 

ドラマの脚本を担当していた石原慎太郎氏が仲人を務めたそうです。

 

結婚以来、60年近くにわたり支え合い、夫婦の絆は深いものがあります。

 

黛ひかるさんは、宝塚時代に華やかな舞台を踏まれましたが、結婚後は家庭を優先され、夫の俳優活動を陰で支えてきました。

 

2021年頃、黛ひかるさんが骨折をされ、山崎努さんが老老介護をされる姿が報じられました。

 

互いに高齢ながら、日常の家事や通院を分担し、強い信頼関係で乗り越えられています。

 

息子さんはおられず、娘さんが2人いらっしゃいます。

 

子育て時代は、仕事の合間を縫って家族を大切にされ、娘さんたちが嫁ぐ際の感慨を、インタビューで語られています。

 

黛ひかるさんとの生活は、互いの健康管理を第一に、静かな日常を過ごされています。

 

娘は宇宙飛行士?

 

山崎努さんの娘さんは2人いらっしゃいますが、宇宙飛行士の方はいらっしゃいません。

 

次女の山崎直子さんは、女優として活躍されています。

 

山崎直子さんは、父の山崎努さんと同じく、舞台や映画で存在感を発揮し、キリンビールのCMで父娘共演を果たされました。

 

『半沢直樹』などのドラマにも出演され、家族の芸能界つながりを象徴します。

 

長女さんも独立され、2人とも結婚されています。

 

一方、宇宙飛行士の山崎直子さんは別人で、旧姓角野さん、1970年生まれのJAXA元宇宙飛行士です。

 

名前が同じため混同されることがありますが、山崎努さんのご家族とは無関係です。

 

隣家が火事?

 

1992年11月12日、山崎努さんのご自宅近くで隣家の火事が発生しました。

 

当時56歳だった山崎努さんは、火災の煙に気づき、すぐに消火活動に加わられます。

 

家の中から悲鳴が聞こえたため、水をかぶって炎の中に突入し、逃げ遅れた老夫婦を抱えて救出されました。

 

過去にそのようなシチュエーションの作品があったとのことで、火の中に飛び込むことは何も怖くなかったそうです。

 

作品では、なにかあっても周囲の人がすぐ火を消してくれるでしょうが、実際の出来事となると、火の中に飛び込むなんて本当に何事もなくてよかったですね。

 

この勇敢な行動は、「火事場のバカ力だね」とご自身で振り返られるほどですが、周囲からは英雄的なエピソードとして語り継がれています。

 

消防の到着前に人命を助けられたこの出来事は、山崎努さんの人柄を物語るものです。

 

事件後、近隣住民との絆も深まり、静かな住宅街での生活を続けられています。

 

山下智久とは?

 

山崎努さんと山下智久さんは、2006年のTBSドラマ『クロサギ』で初共演を果たしました。

 

当時、山下智久さんは単独主演作として緊張されていた中、山崎努さんが先輩として厳しくも温かく指導されました。

 

「バカ俳優」と叱咤激励する言葉が、山下智久さんの心に残り、俳優としての成長を促しました。

 

以降、2012年の『最高の人生の終り方 ~エンディングプランナー~』、2022年の『正直不動産』で再共演され、約10年ぶりの現場でも互いのセンスを称賛されています。

 

山崎努さんは、山下智久さんのリズム感と人間性の成長を喜ばれ、「立派な男になった」とTwitterで綴られています。

 

山下智久さんも、「めちゃくちゃ怖いな」と当初の印象を語りつつ、現在は深い絆を感じられています。

 

この関係は、師弟のような信頼に基づき、ドラマを超えたシーンを生み出しています。

 

山崎努さんの人生は、幼少期の苦難から始まり、闘病を乗り越え、家族や後輩とのつながりを大切にされています。

 

現在も、演劇への情熱は変わらず、これからの活躍が楽しみです。

 

今回はここまでです。
これからも、山崎努さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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