飯星景子の父や母は?現在結婚は?合同結婚式に参列したの?インスタはある?

ジャーナリスト・教育者・コメンテーター

タレント、作家として活躍の飯星景子さん。

 

1963年生まれで、出身地は大阪府高槻市。

 

 

 

学歴は、追手門学院大手前高校、桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻を卒業されています。

 

追手門学院大手前高校卒業された主な有名人というと、古くはアナウンサーとして活躍の福留功男さん、近年では、女優の黒木華さんや、プロサッカー選手の柿谷曜一朗選手が卒業されています。

 

飯星景子さんは、高校では演劇部に所属。

 

1981年の演劇コンクールでは全国大会まで残り、最優秀賞を受賞。

 

飯星景子さん自身もその作品の中で、一人で4役を演じ切るなどで、個人演技賞を受賞したそうです。

 

4役のセリフを覚えたり、演技分けたりすることは大変だったことでしょう。

 

学生の頃から演劇の才能があふれていたのですね。

 

 

 

 

もくじ

飯星景子の父や母は?

 

飯星景子さんの父親は、元読売新聞社会部記者で、後に作家として活躍された飯干晃一(いいぼしこういち)さん。

 

 

飯干晃一さんの代表作の一つというと、「仁義なき戦い」。

 

なかなか役に恵まれなかった菅原文太さんの俳優人生を変えたといわれる映画「仁義なき戦い」の原作を執筆されています。

 

 

そして、飯星景子さんの母親についてです。

 

色々調べてみましたが、もしかしていらっしゃらないのでは?と思うほど、情報がありませんでした。

 

唯一出てきたのが、有田芳生さんのこのツイート。

 

 

お母様は表に出ることはなく、旦那様と娘を支えてきたのでしょうね。

 

 

 

 

現在結婚は?

 

飯星景子さんは、現在ご結婚されていないそうです。

 

過去に結婚歴はあり、1988年にIT関連のお仕事をされている方と結婚されていますが、翌年離婚されているそうです。

 

飯星景子さんの結婚について、多くの方が知りたいことは、次の項目の事と思われます。

 

合同結婚式に参列したの?

 

2022年7月、元総理大臣の安倍晋三氏が銃撃され、この世を去るというショッキングな事件が起こりました。

 

容疑者として捕まった男性の供述として、男性の母親が自身や祖父の財産など多額のお金を統一教会(2015年に「世界平和統一家庭連合」という名称に変更)に渡していたことで、家庭が崩壊。

 

統一教会のイベントに安倍晋三氏が祝福の挨拶として、ビデオレターのような形で参加するなど、統一教会と安倍晋三氏につながりがあると感じ、恨みを募らせ銃撃に至ったという主旨の話をしていたそうです。

 

この銃撃事件により、統一教会は再び注目を集め、過去に入信の経歴のある飯星景子さんの名前も急浮上しました。

 

飯星景子さんと統一教会関連の流れというと、1991年の夏ごろから髪を短くしたり、改名したり、仕事をどんどん降板し、お世話になった事務所を退所。

 

娘の変化に気づいた父親が問いただしたところ、統一教会に関わっており、信仰の一つに「イサク献祭」というものがあり、自分の大切にしているものを捨てることが重要と父に告げたそうです。

 

父親に勘当されても渡米し、宗教活動を続けていましたが、1992年の10月に父親は記者会見を開きました。

 

 

記者会見中には時に涙を流しながら「娘が心の飢えを持っていたのを見抜けなかったのが残念」と語る場面もありました。

 

「戦いに勝つ自信はありますか?」という記者の質問には、

 

「もちろんですよ。当然の話です。統一教会のすべてを勉強し説得します。私は残りの半生をかけても統一教会と闘います。景子が戻ってきても闘い続ける。(娘には)ドアは開かれている。」

 

という強いメッセージを伝えました。

 

父親が自分のために記者会見を開いたことを知人から聞き、急遽帰国し、父親から説得を受けました。

 

しかし、まだ飯星景子さんは教会からのマインドコントロールが解けておらず、さらには自身がその宗教を選んだというプライドも邪魔して、父親の話が心の奥底まで届きません。

 

マインドコントロールについて、飯星景子さんは以下のように語っています。

 

「スポイトで一滴ずつ赤い染料を落とします。今日一滴入れただけでは色は変わりません。では1か月後はどうですか?少しピンクかもしれない。でも毎日入っているうちにピンクが普通だと思うようになるんですよ。それがいつの間にか真っ赤なお風呂になっていて、でも本人はもうそれがお風呂の色だと思うようになってしまっている、そういう感じです。」

 

そしてある日、父親に「ドライブに行かないか?」と誘われます。

 

父親からの誘いに、「ドライブなんて絶対ウソ。後で嘘をついたとなじってやる。」という想いを心に秘め、目的地に到着。

 

そこにはカウンセラーがいました。

 

 

 

 

最終的に宗教と決別を自身で決めることができたのは、統一教会のすべてを勉強した父親の説得でも、カウンセリングの結果でもありませんでした。

 

このドライブの目的地で父親が下を向いたまま、「会ってもらいたい人がいるんだ」って言ったそうです。

 

これまで見てきた、知識が豊富で強く偉大な父親のかげはそこにはありませんでした。

 

実際の年齢よりも10歳も20歳も年老いてしまったお爺さんのような、今までで見たことない弱々しい父親が目に映り、「あぁ私のせいでこんなに父が苦しんでいる」っていうのが身にしみて分かったそうです。

 

その時初めて、すべての鎖が解けていったそうです。

 

1993年に飯干晃一さんは「われら父親は闘う―娘・景子を誘いこんだ統一教会の正体」という本を出版されました。

 

そして飯星景子さんが統一教会から脱会した4年後、飯干晃一さんは心筋梗塞によりこの世を去っています(享年71歳)。

 

飯星景子さんは、「父は、私の尊厳と人権を守ってくれた。」とコメントされています。

 

前置きがかなり長くなってしまいましたが、飯星景子さんは結果的に合同結婚式には参列されていないそうです。

 

入信してすぐに合同結婚式が行われる予定だったために、翌年参加予定だったそうですが、その前に脱会されたということです。

 

 

 

 

インスタはある?

 

飯星景子さんはインスタは開設されていないようです。

 

公式ブログで情報発信されています。

 

ブログの題名は「ケイコママのバクダン酒場」という面白い名前です。

 

基本的に映画を観た感想を綴っていましたが、2019年以降更新が見られません。

 

インスタやツイッターなど、更新が簡単なSNSでまめに情報発信してくれるといいですね。

 

今回はここまでです。
これからも、飯星景子さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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