由紀さおり・安田祥子の若い頃や現在は?夫や子どもは?志村けんや上沼恵美子との仲は?

2026年1月5日歌手・音楽家

もくじ

由紀さおりさんのプロフィールと生い立ち

 

由紀さおりさんは、歌手や女優として長年活躍されています。

 

本名は安田章子さんで、1948年11月13日生まれです。

 

 

出身地は群馬県桐生市ですが、神奈川県横浜市鶴見区で育ちました。

 

学歴は洗足学園中等部・高等部を卒業後、洗足学園短期大学英文科を修了しています。

 

この学歴からも、お嬢様らしい育ちがうかがえます。

 

幼少期の由紀さおりさんは、音楽に囲まれた環境で過ごしました。

 

お父様は飛行機を作る工場の工場長を務めていました。

 

 

 

小学校1年生の頃からコロムビアレコードの専属童謡歌手としてデビューし、小学校から中学3年生までひばり児童合唱団に所属していました。

 

童謡歌手としてコンサートや少女雑誌で活躍し、童謡卒業後はCMソングを300曲以上担当するなど、早くから音楽の道を歩み始めました。

 

学生時代は部活や習い事として合唱団活動が中心で、姉の安田祥子さんとともに童謡の世界で注目を集めていました。

 

安田祥子さんは由紀さおりさんの姉で、1941年9月9日生まれです。

 

出身は神奈川県川崎市で、東京芸術大学大学院修士課程を修了しています。

 

幼少期は由紀さおりさんと同じくひばり児童合唱団に所属し、童謡歌手としてコロムビアで活躍しました。

 

姉妹の他に兄が一人おり、東京工業大学卒業後、マサチューセッツ工科大学で学んだ優秀な方です。

 

 

由紀さおり・安田祥子の若い頃や現在は?

 

由紀さおりさんの若い頃は、童謡歌手としてスタートし、1969年に「夜明けのスキャット」が大ヒットして一躍有名になりました。

 

この曲はミリオンセラーとなり、日本レコード大賞歌唱賞を受賞するなど、歌謡界で華々しい活躍を見せました。

 

姉の安田祥子さんとは子供の頃から一緒に童謡やCMの仕事をしてきましたが、姉妹仲は悪かったそうです。

 

音の表現に関する考え方が違い、対立することが多かったと言われています。

 

安田祥子さんは仕事の歌が気に入らないと前向きになれないタイプでしたが、由紀さおりさんは「とりあえずやってみてから考えよう。好きになるかもしれない」と柔軟な姿勢だったそうです。

 

ケンカはたくさんしたものの、姉妹ユニットで紅白歌合戦に10回以上出場するなど、プロとして共演を重ねました。

 

由紀さおりさんはソロで13回紅白に出場しています。

 

若い頃の由紀さおりさんは目がパッチリとした可愛らしい容姿で、清楚な歌声が人気を集めました。

 

姿勢が良いため年齢を感じさせず、70歳を過ぎても若々しい印象です。

 

安田祥子さんの若い頃も、童謡歌手として姉妹で活動し、クラシック界へ進みました。

 

1966年にデビューし、ソプラノ歌手として声楽の道を極めました。

 

現在は声楽家として活躍を続け、由紀さおりさんとの童謡コンサートを長年開催しています。

 

2024年頃にはパリ公演も成功させ、新曲の披露やメドレーでファンを魅了しました。

 

姉妹は1986年から童謡コンサートを続け、国内外で公演を行っています。

 

由紀さおりさんは2011年に米ジャズオーケストラ「Pink Martini」とのコラボアルバム『1969』をリリースし、五十数か国で発売されるなど、国際的な活動も広げました。

 

現在も歌手、タレント、女優、ナレーターとして多忙で、2022年にはベッドから落ちて鎖骨を骨折するアクシデントがありましたが、手術を避け自然治癒を選び、回復しています。

 

安田祥子さんは絵画や書道を趣味に持ち、穏やかな生活を送りながら音楽活動を継続中です。

 

姉妹のデビューから数えると70年近くのキャリアとなり、童謡や唱歌で多くの人を楽しませています。

 

 

夫や子どもは?

 

由紀さおりさんの夫については、2度の結婚歴があります。

 

1969年にCM音楽プロデューサーの大森昭男氏と結婚しました。

 

高校時代にプロポーズされ、短大卒業の20歳で結婚。

 

大森氏は由紀さおりさんより一回り年上でした。

 

しかし、結婚生活は7年続き、その後7年半の別居を経て1982年に離婚となりました。

 

離婚の理由として、多忙によるすれ違いが挙げられます。

 

「夜明けのスキャット」が大ヒットし、「手紙」も成功して紅白出場や賞受賞が続いた頃、夫婦の溝が深まったそうです。

 

このヒット曲を手掛けた作曲家がいずみたくさんで、大森氏の仕事のライバルだったことも関係したようです。

 

結婚5年目に大森氏から「子供が欲しい」と言われましたが、由紀さおりさんは「今仕事を休んだら歌手として生き残れない」と不安を感じ、心の距離が広がりました。

 

37歳で子宮筋腫を患い、41歳で子宮内膜症併発により子宮を摘出することになってしまったため、子どもはおりません。

 

50代で再婚した相手は、アメリカ在住の日本食レストランのプロデューサー、柴冨哲也氏です。

 

重度の筋腫手術後、友人の紹介で出会い、再婚で自信を取り戻しました。

 

母親がアメリカ拠点の結婚に反対していたため、母親亡き後に結婚しましたが、日本での仕事が離れられず遠距離婚となりました。

 

2006年に離婚しています。

 

安田祥子さんの夫は、元在日オーストリア通商代表部代表のマックス・R・フォン・エスターライヒ氏です。

 

子供については公表された情報はありません。

 

 

志村けんや上沼恵美子との仲は?

 

由紀さおりさんと志村けんさんの仲は、コントでの共演を通じて良好でした。

 

志村けんさんの「バカ殿様」コントで、由紀さおりさんが10代と年齢を詐称し、志村さんが激怒して刀を振り回すネタが有名です。

 

このコントは複数回放送され、由紀さおりさんのコミカルな演技が光りました。

 

志村けんさんが2020年に亡くなった際、由紀さおりさんは追悼の言葉を述べ、最後の会話を明かしています。

 

「ねえ、志村さん、へヘへへってやってよ」とお願いしたそうですが、叶いませんでした。

 

由紀さおりさんは志村けんさんの笑いへの献身を「正気と狂気を行ったり来たりする孤高の人」と評し、若き日の志村さんがドリフの笑いをどう作るか悩んでいたエピソードも語っています。

 

「志村どうぶつ園」などで共演し、志村さんの気分が柔らかくなったと感じていたそうです。

 

全体として、プロフェッショナルな信頼関係が築かれていました。

 

由紀さおりさんと上沼恵美子さんの仲は、紅白歌合戦でのエピソードからあまり良くないようです。

 

上沼恵美子さんが紅組司会を務めた際、由紀さおりさんにパイプ椅子を横向きにされて無視されたり、感じ悪い態度を取られたそうです。

 

歌手紹介で上沼恵美子さんが「こちら坂本冬美さん。こちら藤あや子さん。こちら伍代夏子さん。こちら香西かおりさん。こちら長山洋子さん。こちら、姥の方?」と失礼な表現をし、由紀さおりさんが「はい、よろしく。なんてことを」と応じたやり取りがありました。

 

上沼恵美子さんのYouTubeで、紅白出場者の嫌いな人として由紀さおりさんの名前を挙げたという話もあります。

 

これらの出来事から、仲は良好とは言えません。

今回はここまでです。
これからも、由紀さおりさんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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