たむらけんじ再婚!子どもは?焼肉屋なぜ閉店?若い頃や現在は?渡米理由や文春砲で引退?

お笑いタレント・落語家

もくじ

たむらけんじさんのプロフィール

 

お笑いタレント、実業家として活躍するたむらけんじさん。

 

たむらけんじさんは、1973年5月4日生まれで、出身地は大阪府阪南市です。本名は田村憲司さんといいます。

 

 

学歴は阪南市立貝掛中学校、大阪府立和泉高校を卒業されています。

 

幼少期から野球が好きで、小学校時代には軟式野球チームでキャッチャーを務めていました。

 

元西武ライオンズの投手である谷中真二さんとバッテリーを組んだ経験もあり、父親の影響で巨人ファンだったそうです。

 

 

高校時代には、日本テレビ系列で放送された「欽ちゃんの全日本仮装大賞」に出場して合格するなど、表現力の片鱗を見せていました。

 

高校卒業後はお笑い芸人を目指し、NSC大阪校11期生として入学します。

 

1992年、19歳の頃に高校の同級生である大北貴洋さんとお笑いコンビ「LaLaLa」を結成しました。

 

1999年にコンビを解散し、以後はピン芸人として活動を続けています。

 

同期には陣内智則さん、ケンドーコバヤシさん、中川家さんなどがおり、吉本興業での活躍の基盤を築きました。

 

 

たむらけんじさんの再婚と子どもについて

 

たむらけんじさんは、1998年に一般女性と結婚し、1男2女の子どもさんをもうけました。

 

そのうち二人はすでに成人されています。

 

2011年頃から別居が報じられ、2013年7月に離婚が成立しました。

 

離婚について、たむらけんじさんは「子どもたちに毎日夫婦げんかを見せたくなかった」とコメントされています。

 

また、離婚の条件として家を建ててほしいという話があり、35年ローンで家を建てたものの、自分は一度も入ったことがないと明かしたことがあります。

 

離婚後、過去にデビュー前の鈴木紗理奈さんと交際していたことが話題になるなど、復縁の噂もありましたが、現時点ではそうした動きはありません。

 

2021年のローソンとのコラボイベントでは、「再婚資金をためたいので、買ってください。まだ相手はいませんけど」と自虐的に語る場面もありました。

 

その後、2023年5月から米国ロサンゼルスを拠点に活動する中で、30代の一般女性と再婚したことが2025年9月に報じられました。

 

お相手は旧知の友人で、交際期間は約1年です。

 

 

エキゾチックな顔立ちの美人で、さっぱりした性格と行動的なところが、細かいことを気にしがちなたむらけんじさんとの相性が良いと知人から評されています。

 

たむらけんじさん本人はスポニチの取材に対し「再婚は事実です」と認め、陣内智則さんのYouTubeチャンネル「陣内智則のネタジン」に出演して左手薬指の指輪を見せながら「結婚してん。最近な」と正式に発表しました。

 

その後、自身のInstagramでも友人であるユリサさんとの2ショット動画をアップし、再婚を報告しています。

 

お相手との出会いは10年ぐらい前という情報もあり、長年の知り合いがパートナーとなったようです。

 

新しい人生のスタートとして、周囲からも祝福の声が寄せられています。

 

 

焼肉屋の閉店理由と経営の変遷

 

たむらけんじさんといえば、焼肉経営の実業家としても知られています。

 

2006年に大阪市内に「炭火焼肉たむら」1号店をオープンしました。

 

焼肉店を始めたきっかけは、結婚とコンビ解散が重なり収入が安定しなかった時期に、義理の母さんが経営していたお店を任されたことでした。

 

2007年には2号店をオープンし、経営手腕が評価されて吉本興業からの給料を上回るほどに成長しました。

 

2008年には年商6億円を明かしています。

 

2014年には父親の実家がある徳島県にも出店し、ルーツを感じさせる展開を見せました。

 

また、ハワイにも店舗をプロデュースするなど、グローバルな試みも行いました。

 

しかし、順風満帆なばかりではありませんでした。

 

2008年に名古屋店で食中毒が発生し、客4名に症状が出たため営業停止処分を受けました。

 

たむらけんじさんは謝罪会見を開き、他の店舗も含めて一斉自粛する誠実な対応を見せました。

 

2016年には、新大阪駅新幹線改札内のフードコートで営業していた「炭火焼肉たむらのお肉が入ったカレー屋さん」を閉店しました。

 

当時、5坪という小さなスペースで年間7800万円を売り上げる人気店でしたが、契約期間の満了という「大人の事情」で撤退せざるを得ませんでした。

 

Facebookでその事情を説明したところ、吉本興業とのトラブル説が浮上しましたが、たむらけんじさんは当初から5年間の期限付きだったと明確に否定しています。

 

その後も蒲生本店などの閉店や、奈良店などの短期間での撤退がありました。

 

2024年時点では直営店3店舗、フランチャイズ1店舗に縮小し、コロナ禍後の客足回復の遅れ、原材料高騰、人件費・光熱費の上昇などで経営が厳しい状況を宮迫博之さんのYouTubeで告白しました。

 

「このままでは春まで保つか分からない」と危機感をあらわにし、従業員の生活を守るための借金返済が重荷になっていたそうです。

 

2024年11月には無期限で日本に帰国し、焼肉店の立て直しに奔走しました。

 

牛宮城のプロデューサーである本田大輝さんのチームの協力でリニューアルを実施し、2025年1月には黒字化を達成したと発表しています。

 

現在も店舗を回りながら「お客さま寄り添い作戦」を展開し、名物メニューの強化などでリピーターを増やしています。

 

17年以上続く焼肉店を守りたいという強い思いが、経営再建の原動力となっています。

 

 

若い頃と現在の様子

 

若い頃のたむらけんじさんは、さわやかな好青年という印象でした。

 

コンビ時代やピン芸人としてデビューした頃の写真からは、優しげな笑顔と爽やかな雰囲気が伝わってきます。

 

当時交際していた鈴木紗理奈さんとのエピソードからも、親しみやすい人柄がうかがえます。

 

現在は50歳を過ぎ、米国を拠点にしながら日米を往復する生活を送っています。

 

ロサンゼルスではピックルボールなどのアクティビティを楽しむ姿もInstagramで見られ、健康的でアクティブな毎日を過ごしているようです。

 

焼肉店の再建や新しいビジネスにも取り組み、50歳を過ぎてからの挑戦を続けています。

 

淀川寛平マラソンなどのイベント出演で日本に戻る機会もあり、変わらぬ明るいキャラクターでファンを楽しませています。

 

渡米の理由と文春砲の影響

 

たむらけんじさんが渡米を決めたのは、2023年5月の50歳の誕生日を機にです。

 

テレビのレギュラー番組7本を全て降板し、単身でロサンゼルスに移住しました。

 

渡米の理由は「このまま芸人を続けても生活は安泰かもしれないが、もうそれ以上はない気がした」「アメリカで新しいことをやりたい」という思いからでした。

 

きっかけは数年前のグランドキャニオン旅行で、壮大な景色を見て「自分はちっぽけだ」と感じ、思い切った行動を起こそうと思ったそうです。

 

また、ロサンゼルスを訪れた際に「ここに戻ってこないといけない」という強い直感が湧いたといいます。

 

80歳までピンピンで生きたいという健康志向や、芸人以外の人生を模索したいという気持ちが重なり、決断に至りました。

 

 

移住後は現地でイベント出演や新しい事業を展開し、「向こうで死ぬつもり」と語るほど本気で取り組んでいました。

 

しかし、移住後にダウンタウン・松本さんに関する週刊文春の報道(文春砲)で「アテンド役」を務めていたとの疑惑が報じられました。

 

これにより、日本での仕事が激減したと本人がYouTubeで告白しています。

 

 

「文春砲は西海岸まで届くんや…射程距離ながっ!」とユーモアを交えつつ、人生が狂ったと振り返っています。

 

松本さんとは長年親交があり、『松本家の休日』で共演した縁もありましたが、報道の影響は大きかったようです。

 

それでも、たむらけんじさんは前向きに活動を続け、再婚や焼肉店の再建という新たな局面を迎えています。

 

興味深い点として、NSC11期生の同期たちとの絆が今も続き、陣内智則さんのYouTubeで再婚を発表するなど、仲間とのつながりを大切にしている様子がうかがえます。

 

また、投資や暗号資産への関心、芸人以外のセカンドキャリアを支援したいという思いも、渡米後の活動に表れています。

 

たむらけんじさんは、芸人として30年近く駆け抜けた後、50歳という節目で大きな変化を選びました。

 

再婚、焼肉店の挑戦、米国での生活を通じて、常に新しい自分を追求する姿勢は、多くの人に勇気を与えています。

 

これからも、健康で充実した日々を送りながら、ファンを楽しませてくれることを期待します。

 

今回はここまでです。
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