与謝野馨死去!後継者は甥や息子?家系図には与謝野晶子が?

2022年4月15日政治家・財界人・実業家

政治家として活躍された与謝野馨氏。

 

1979年に政界入りを果たしました。

 

政治家になる前は、日本原子力発電株式会社に勤務。

 

その後、元総理大臣の中曽根康弘氏の秘書を経て政界へ入ります。

 

日本原子力株式会社の入社も、母親と中曽根康弘氏が知人であったことから、秘書に選ばれたといわれています。

 

原子力発電の推進を政策として進める上で、中曽根氏が与謝野氏を必要な人物として育てていたというはなしがあります。

 

任期中には文部大臣、通商産業大臣、金融・経済関連の内閣府特命担当大臣、拉致問題担当大臣、財務大臣など、数々の重役を務めています。

 

他にも、政務調査会長や官房長官など、2012年の政界引退まで主要ポストにつきました。

 

 

 

 

もくじ

与謝野馨死去後継者息子

 

2017年5月24日、与謝野馨氏死去とのニュースが流れました。

 

享年78歳ということです。

 

生前の活躍を思い出しながら、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

与謝野馨氏の死去により、後継者が気になるところです。

 

息子さんがいらっしゃるようですが…?

 

っ子の方は、2017年2月の千代田区長選に立候補を表明した与謝野信(よさのまこと)氏。

 

耳の大きさの似た感じが、っ子とはいえ、同じ家系にいるという印象を受けます。

 

与謝野信氏はフランスのメガバンクである「ソシエテ ジェネラル」の勤務経験がありました。

 

仕事内容としては、商品開発や運用部門に所属されていたということです。

 

小池百合子氏推薦の候補者に大差をつけて落選。

 

現在は、ドイツ証券に復職したという話です。

 

そして、息子は、2人いるそうです。

 

 

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2012年の馨氏の病気のために政界引退されたときに、世襲されているのか?と思いましたが、それはなかったようです。

 

長男の方は何をされているのか不明ですが、次男の方は勤務先が東京海上日動にお勤めの方のようです。

 

今後、甥っ子のみならず、息子たちも馨氏の知名度により政界入りを果たす日がくるのでしょうか?

 

政界引退の直接の要因は咽頭がん病気といわれています。

 

話すことが出来なくなったため、仕事が筆談で行われなければならなくなったことのようです。

 

しかし、「気管食道シャント法」という手術を行ったことで、なんと声を取り戻したのだそうです。

 

医学の進歩って素晴らしいですね。

 

与謝野氏の様々なガンと闘ってきました。

 

はじめは悪性リンパ腫の一つの「濾胞性リンパ腫」というガンでした。

 

その時の年齢はまだ若干39歳。

 

衆議院議員として初当選してからまだ一年も経過していませんでした。

 

それから2000年には直腸がんを患い、翌年2001年には前立腺がんと病魔が襲います。

 

そして2006年に政界引退のきっかけとなる咽頭がんとなり、平均余命は3年弱と宣告されたそうです。

 

その際には、家族あての遺書も作成したそうです。

 

余命宣告をうけてから、10年以上もガンに勝ち続けていたのですね。

 

しかし、2017年5月24日訃報。

 

享年78歳でお亡くなりになりました。

 

心よりお悔やみ申し上げます。

 

 

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家系図には与謝野晶子がいる?

 

昭和前期に活躍されていた歌人、与謝野晶子氏。

 

与謝野晶子氏の旦那は、与謝野鉄幹氏。

 

この二人は、馨氏のおじいさん、おばあさんにあたります。

 

馨氏の家系図には詩人のお二人の名前があるのですね。

 

馨氏は祖父母が設立した「文化学院」の院長及び理事を務めていました。

 

与謝野姓は日本で60名ほどしかいない希少な姓名。

 

その由来は、京都府の与謝郡与謝村からきているそうです。

 

ひいおじいさんに当たる人物出身地ということで、明治に施行された「平民苗字必称義務令」により「細見」姓から「与謝野」改名。

 

出身地の「与謝」という地名を選んだそうです。

 

与謝野氏の選挙区であった東京都第一区は、自民党所属の山田美樹氏が当選されています。

 

その後、与謝野氏の親族が後継者とはならなかったのですね。

 

今回はここまでです。

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