石原慎太郎は田中角栄を天才と?現在病気?嫁や弟は?実は息子が5人!
作家、政治家として活躍の石原慎太郎氏。
年齢はすでに80歳代の半ばとなっています。
変わらず、歯に衣着せぬ、発言に物議を醸すこともありますが、老老介護が問題となっている現在を考えると、これほどパワフルな80歳も貴重な存在と思います。
政治家としては、1968年自身が36歳となる年に参議院議員となり、1972年には衆議院議員、そして1999年には東京都知事、2012年にはまた衆議院議員になるという変遷をたどっています。
そして2015年、政治家としての活躍は引退することを表明。
現在は執筆を中心とした活躍にシフトしています。
80歳を過ぎても、物書き魂が尽きることはないようですね。
では、本題です。
石原慎太郎は田中角栄を天才と?
2016年1月、石原慎太郎氏は「天才」という題名の本を出版されました。
石原氏が「天才」とうたっている人物とは昭和の大物政治家である、故)田中角栄氏のことです。
(正式には「田中角榮」と書くそうです。)
若かりし頃、石原氏は田中角栄氏に対し敵対する立場だったようです。
田中角栄氏が初めて内閣総理大臣に就任した1972年「日中国交正常化」の合意を果たします。
時の総理大臣の行動に反し、石原氏は日中の国交正常化には反対の立場で活動を繰り広げていました。
その後、田中氏が1976年に受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕されるといういわゆる「ロッキード事件」で政治家として失脚することとなった際にも、同情の弁は見られませんでした。
では、田中氏の経歴・思想に対し、現在も反する立場でいるのかというと、そうでもないようです。
2011年3月に起こった「東日本大震災」。
当時、石原氏は東京都知事に就任していました。
早くに都の消防・レスキュー隊員を出動させる対応をし、隊員たちの活躍に涙しながら強い感謝の意を唱えました。
この時、石原氏は「田中角栄氏が健在だったら…」と、コメントされています。
都知事引退の際にも「田中氏が健在でいろいろ相談できていたら、もっとできることがあったと思う。」という趣旨のコメントも見られます。
石原氏は長年政治家として活躍する中で、様々なことを感じ、多少なりとも田中氏に対する心情の変化があったことが感じられます。
石原氏が田中角栄氏になりかわり、「俺」という言葉で書かれた「天才」。
気になる方はぜひ、ご覧くださいね。
現在は病気?
2013年、日本維新の会の共同代表として活躍している頃、風邪をこじらせたということで、入院。
予定の2週間を過ぎても退院しないことから、何かしら重い病気なのでは?と心配されました。
年齢が年齢なだけに肺炎?とも噂されましたが、退院後の会見で軽い脳梗塞だったことを表明されています。
入院期間は約1か月。
もちろんただ横になっているわけがありません(笑)。
入院中に小説を2本書いたそうです。
さすがですね。
退院後のコメントは「どうせ、早く石原なんか死ねばいいと思ってるだろ。そうはいかねぇぞ。オレが死んだら、日本は退屈になるゼ!」でした(笑)。
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