石原慎太郎死去!田中角栄を天才と?現在病気?嫁や弟は?実は息子が5人!
作家、政治家として活躍の石原慎太郎氏。
2022年1月、89歳ですい臓がんのため、亡くなりました。
歯に衣着せぬ発言に物議を醸すこともありましたが、老老介護が問題となっている現在を考えると、これほどパワフルな80歳代を過ごされた方は貴重な存在と思っていました。
政治家としては、1968年自身が36歳となる年に参議院議員となり、1972年には衆議院議員、そして1999年には東京都知事、2012年にはまた衆議院議員になるという変遷をたどっています。
そして2015年、政治家としての活躍は引退することを表明。
現在は執筆を中心とした活躍にシフトしています。
無くなる間際まで、物書き魂が尽きることはなかったようで、永眠後も3冊の本が出版予定です。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
もくじ
石原慎太郎は田中角栄を天才と?
2016年1月、石原慎太郎氏は「天才」という題名の本を出版されました。
石原氏が「天才」とうたっている人物とは昭和の大物政治家である、故)田中角栄氏のことです。
(正式には「田中角榮」と書くそうです。)
若かりし頃、石原氏は田中角栄氏に対し敵対する立場だったようです。
田中角栄氏が初めて内閣総理大臣に就任した1972年「日中国交正常化」の合意を果たします。
時の総理大臣の行動に反し、石原氏は日中の国交正常化には反対の立場で活動を繰り広げていました。
その後、田中氏が1976年に受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の疑いで逮捕されるといういわゆる「ロッキード事件」で政治家として失脚することとなった際にも、同情の弁は見られませんでした。
では、田中氏の経歴・思想に対し、現在も反する立場でいるのかというと、そうでもないようです。
2011年3月に起こった「東日本大震災」。
当時、石原氏は東京都知事に就任していました。
早くに都の消防・レスキュー隊員を出動させる対応をし、隊員たちの活躍に涙しながら強い感謝の意を唱えました。
この時、石原氏は「田中角栄氏が健在だったら…」と、コメントされています。
都知事引退の際にも「田中氏が健在でいろいろ相談できていたら、もっとできることがあったと思う。」という趣旨のコメントも見られます。
石原氏は長年政治家として活躍する中で、様々なことを感じ、多少なりとも田中氏に対する心情の変化があったことが感じられます。
石原氏が田中角栄氏になりかわり、「俺」という言葉で書かれた「天才」。
気になる方はぜひ、ご覧くださいね。
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現在は病気?
2013年、日本維新の会の共同代表として活躍している頃、風邪をこじらせたということで、入院。
予定の2週間を過ぎても退院しないことから、何かしら重い病気なのでは?と心配されました。
年齢が年齢なだけに肺炎?とも噂されましたが、退院後の会見で軽い脳梗塞だったことを表明されています。
入院期間は約1か月。
もちろんただ横になっているわけがありません(笑)。
入院中に小説を2本書いたそうです。
さすがですね。
退院後のコメントは「どうせ、早く石原なんか死ねばいいと思ってるだろ。そうはいかねぇぞ。オレが死んだら、日本は退屈になるゼ!」でした(笑)。
嫁や弟は?
1955年、23歳になる年に、石原氏は結婚。
今の時代で考えると、やや若いうちに結婚されているのですね。
お嫁さんとなった方は、石原典子さん。
石原典子さんがお嫁さんとなる前の職業が気になります。
調べてみますと、なんと高校生なんです。
石原典子さんは、1938年生まれ。
1955年に結婚ということは、当時の典子さんの年齢は17歳なんです。
ずいぶんとお若くして結婚を決めたのですね。
結婚を決めた理由は、今でいう「ブティックホテル」のようなところから出てくるところを親戚にみられ、結婚するのか問い詰められ、面倒になり結婚を決めたんだそうです(笑)。
6歳の差はありますが、幼なじみだったということで、もともとお互いを深く知った仲だったのでしょうね。
息子を4人出産したのち、慶応大学へ入学されています。
本も数冊出版されているということもあり、大変向上心のある奥様のようですね。
弟は昭和の偉大な人物!
弟は、俳優・歌手として活躍された、石原裕次郎さんです。
多くのファンに惜しまれながら、52歳という若さで亡くなられています。
病名は「肝細胞癌」でした。
今でも昭和の名俳優・歌手として大きな存在感のある方ですね。
実は息子が5人!
石原さんの子供といえば、4人ですよね。
写真向かって左から順に、長男が衆議院議員の石原伸晃(のぶてる)氏。
次男がタレントで気象予報士の石原良純氏。
三男が衆議院議員の石原宏高氏。
そして四男が芸術家の石原延啓(のぶひろ)氏です。
そして、5番目の息子はといいますと、石原氏に隠し子がいたことが判明。
石原氏が49歳頃にお付き合いしていたそうで、お相手は銀座で接客業をされていた方なのだそうです。
認知はされており、養育費として毎月20万円ほど支払っていたそうです。
石原氏の身分からすると、やや少ない感じがします。
5人目の息子とは幼少期に逢うことはなく、息子が30歳となって初めてあったのだそうです。
父親よりも弟の裕次郎氏に似ているイケメン男児ということです。
個人的に思っている、「昭和からの大物政治家には、隠し子あり」という印象がまた高まりました。
今回はここまでです。
これからも、石原慎太郎氏の活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!
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