五月みどりの元旦那や子供は?本名は!ティッシュやカマキリとは?
女優、歌手として活躍の五月みどりさん。
結婚3度、離婚も3度などと、かなり破天荒な人生を歩まれてきています。
30年以上前には、オーストラリアに別荘を購入。
きっかけはクイズ番組での優勝賞品として、オーストラリア旅行を獲得したこと。
その時、海の見える素敵な物件に遭遇、その場で衝動買いしてしまったそうです。
海外生活は、オーストラリアが初めてではありません。
アメリカ、ロサンゼルスにすんでいたことがあるそうです。
子供が結婚したことで寂しい思いをすることのないよう、いっそのこと遠く離れてしまおうと考えたということです。
またその方が逆に子供があいにきてくれるのでは?とも考えたそう。
行動力もスゴイですが、考え方も人並み外れていますね(笑)。
もくじ
五月みどりの元旦那や子供は?
先ほどもお伝えしました通り、結婚は3度ということで、元旦那といわれる方は3人いらっしゃいます。
まず初めの旦那様は…(笑)。
「新栄プロダクション」の創業者である西川幸男さんと1965年五月さんが26歳となる年に結婚。
かつては、北島三郎さんや細川たかしさん、村田英雄さん、大月みやこさん、藤圭子(宇多田ヒカルさんの母)さん、そして五月みどりさんが所属していた、老舗の大手芸能事務所です。
西川幸男さんは、2012年の12月に肺炎のため、享年87歳でお亡くなりになりました。
葬儀には1000人を超える方が、弔問に訪れたのだそうです。
生前の人望厚さがうかがえますね。
五月さんとの出会いは、公演先に向かう飛行機の中だったそうで、揺れる機体に恐怖におびえていた五月さんに
「大丈夫だから」と声をかけたのが、後ろの席に座っていた当時はマネージャとして活躍していた西川さんだったそうです。
そして、公演3日目を終えた夜に旅館へ行くと西川さんがおり、「結婚してください」とプロポーズ。
付き合ってくださいではなく、いきなりのプロポーズだったのですね。
それまで、食事も同席したことがなかったそうですが、プロポーズをきっかけに、恋愛感情が芽生えました。
西川さんに出会うまでの五月さんというと、男性不振があったため、恋愛感情を持つことはなかったそうです。
五月さんは、19歳のころ歌手デビューを果たしていますが、15歳の頃から舞台で歌っていました。
お仕事につながりあるかたに、15歳か16歳のころに、無理やりに関係をもたされたのだそうです。
悲しく、卑劣な話ですが、俗にいう「枕」という営業が本当に昔からあるのですね。
以来、男性不振に陥ってしまったそうです。
その閉ざされた心を開いてくれたのが西川さんでした。
結婚後は芸能活動をやめ、西川さんとの間に子供が二人誕生しています。
1967年に元歌手として活躍されていた水沢絵里さん。
1968年にプロゴルファーとして活躍されている西川哲さん。
元妻は女優・タレントとして活躍の菊池桃子さん(2012年に離婚)ですね。
五月さんの子供はこの二人のみで、孫は4人ということです。
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しかし、幸せな日々は続かず、1971年に離婚。
離婚理由は西川さんの前妻との間に生まれている子供との関係や価値観の違いといわれています。
他にも、五月さんに手を挙げることがあったそうで、また男性不振となってしまったことも原因ということです。
そして、1976年に面高昌義さんと結婚。
面高昌義さんというと、「うわさのチャンネル」や「カックラキン大放送」などなど人気番組を手掛けた、人気ディレクターとして活躍していました。
出会いは、五月さんがレギュラー出演していた番組のディレクターだったことがきっかけとなりました。
結婚後は住まいをロスアンジェルスへ移し、6年ほど居住。
幸せな生活をしていたのですが、ある日五月さんが買い物をしていると、2万円の小切手が切れないという出来事が起こりました。
大物歌手として活躍されている五月さんですから、たった2万円の小切手が切れないなんて!とおもったことでしょう。
この出来事で面高昌義さんが五月さんの財産を使い果たしてしまったことがわかり、気づいたときは遅く、泣く泣くロスの邸宅も売却せざるを得ない状況となっていました。
面高氏が何に使いこんでしまったのかは、教えてくれなかったそうです。
そして、1984年に離婚となりますが、離婚の記者会見には二人で登場。
「財産問題がなければ離婚はなかった」というコメントをされ、会見中には5度もキスをしていたそうです。
後にも先にもこんな破天荒な離婚会見はないでしょう(笑)。
面高氏も2006年に大動脈瘤破裂で、65歳という若さで亡くなられています。
そして、1985年に同じく歌手として活躍の立花淳一さんと結婚。
立花淳一さんの方が20歳も年下ということでも話題を集めました。
しかし結婚式当日に、立花淳一さんは多くの女性と付き合っていることがわかり、五月さんが不在の間に自宅に女性を連れ込んでいるところを五月さんの長女にみつかるといういたたまれない状況も。
そして、3度目の結婚もわずか2年でピリオドを迎えました。
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結婚は3度ですが、五月さんには内縁の夫という存在があります。
現在も添い続けてくれているその方は、3度目の離婚会見にも立ち会い、当時五月さんのマネージャーになったばかりの逸見文泰さんです。
会見を終え、くたびれた様子で「私にはもうだれもいない」とつぶやいたところ、逸見文泰さんが「僕がいます」と答えたそうです。
当時の逸見さんの心情としては、恋愛感情があったわけではなく、あくまでマネージャーという立場で答えたそうです。
この言葉をプロポーズと勘違いしたところから、現在のお付き合いにいたっているそうです。
逸見さんは、前夫立花淳一さんと同じ年齢の20歳年下君。
五月さんがいつまでも若々しくいられるのは、年下君が深い愛で支えくれているからなのかもしれませんね。
本名は!
答えからお伝えしますと、五月さんの本名は2番目の旦那の苗字を用いた「面高フサ子」さんといいます。
立花さんが、2017年現在、戸籍上最後の元旦那ということになりますが、立花姓でもなく、実の息子と同じ西川姓でもなく、面高?なんですね。
ちなみに結婚前の姓は「大野」さんです。
この先「逸見」姓に変更することはあるのかな?
ティッシュやカマキリとは?
五月さんは、絵画や着物デザイナーとして活躍歴があるほど、芸術肌です。
他にもアクリル製のティッシュボックスにお花(造花)をデコレーションするという、「フローラルクラフト」という作品も生み出しています。
五月さんが手がけたティッシュケースは、徹子の部屋にもおかれているそうで、遊んでいるパンダもあしらわれているそうです。
徹子の部屋を見るときはぜひ、五月さんの作ったティッシュケース探してみてくださいね。
そして、「カマキリ」についてですが、こちらは1975年に公開された五月さん主演の映画の題名のことのようです。
五月さんの魅力を生かした作品となっていますが、当ブログでは諸事情により、詳しくお伝えすることができません。
気になる方は検索してみてくださいね。
今回はここまでです。
これからも、五月みどりさんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!
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