舛添要一辞任理由は?元妻の片山さつきと現在の妻の子どもは?中国服とは?東大首席?
舛添要一氏は、日本の国際政治学者、政治家として知られる人物です。
もくじ
舛添要一氏のプロフィール
1948年11月29日、福岡県北九州市(旧八幡市)に生まれました。
幼少期は、父親が青果店を営む家庭で育ちました。
兄弟は5人で、舛添氏は末っ子として、長男と姉4人に囲まれました。
長姉は11歳年上で、厳しい父親の影響が強かったようです。
父親は怒ると家から追い出すほど厳格で、そんな環境が舛添氏の強い性格を形成したのかもしれません。
小学校入学前には、当用漢字をすべて書けるほど勉強熱心でした。
しかし、小学校時代は病弱で、学校を休みがちになり、出席日数が危うくなるほどでした。
中学時代には父親が亡くなり、家族の支えが大きかったでしょう。
高校時代は陸上部に所属し、インターハイに出場するほどの活躍を見せました。合わせて柔道も嗜み、筋肉質な体躯だったそうです。
こうした学生時代の部活経験は、後の健康管理や忍耐力を養う基盤となったようです。
学歴は、東京大学法学部政治学科を1971年に卒業。
学生時代に東大闘争のビラを配布し、教養学部学生協議会議長を務めたそう。
当時の資料が東大文書館に寄贈されており、若き日の反体制活動が今も残っています。
卒業後、同学科の助手となり、パリ大学現代国際関係史研究所やジュネーブ高等国際政治研究所で客員研究員を務めました。
その後、東京大学教養学部政治学助教授に就任し、1988年に舛添政治経済研究所を設立。
現代フランス政治の専門家として、数々の著書を出版し、評論家としても活躍しました。
2001年に参議院議員に初当選し、厚生労働大臣や新党改革代表を歴任。
2014年には東京都知事に就任しました。
携帯電話マニアで、場所ごとの電波状況を熟知するなど、特化した一面もあります。
花粉症に悩みながらも、ハブ酒やプロポリスで健康を維持する習慣を持ち、ナイフなどの武器に詳しいという趣味もあるとの事です。
舛添要一氏の辞任理由について
2016年6月、東京都知事として在任中、政治資金の公私混同疑惑が噴出しました。
具体的には、家族旅行の費用や美術品の購入、子供の漫画本代などに政治資金を流用した疑いが報じられました。
政治資金の私的流用問題などで21日付で辞職する東京都の舛添要一知事は20日、無言のまま都庁を後にしました。在任期間は、前任の猪瀬直樹氏に次いで短い、864日(2年4か月余り)でした。https://t.co/500w8v1mYN pic.twitter.com/2PP4zItyqA
— 読売新聞写真部 (@tshashin) June 21, 2016
さらに、公用車の私的利用や海外出張時のファーストクラス利用、別荘通いなどが次々と明らかになり、都民の批判が高まりました。
第三者弁護士の調査では、一部支出が「不適切」と判断されましたが、違法性は否定されました。
しかし、与党の自民党と公明党が不信任決議を可決する方針を打ち出し、都議会の審議が停滞。
最終的に、舛添氏は責任を取る形で6月21日付で辞任を表明しました。
この事件は、行政の透明性と公金の適正使用をめぐる大きな議論を呼び、舛添氏の政治キャリアに深刻な打撃を与えました。
辞任後、舛添氏は著書で「都庁は不思議の国だった」と振り返り、内部の抵抗や誤算を告白しています。
元妻の片山さつきさんと現在の妻の子どもについて
舛添氏は結婚3回を経験しており、複雑な家族関係が注目されます。
元妻の片山さつきさんは、自民党の参議院議員で、地方創生担当大臣などを務めました。
片山さんは1959年生まれで、大蔵官僚出身。
1986年、近藤鉄雄さんの紹介で見合い結婚し、1989年に離婚しました。
【片山さつき】舛添要一との離婚に至った理由とは…? https://t.co/ArbSU9xCS1 pic.twitter.com/xu55Jzb0KR
— ハフポスト日本版 / 会話を生み出す国際メディア (@HuffPostJapan) May 18, 2016
結婚生活は短く、片山さんは後に「暴力と愛人問題が原因」と暴露しています。
離婚調停中、舛添氏の不倫が発覚し、片山さんが直接対決する騒動もありました。
現在、2人は政治家として別々の道を歩んでいますが、関係は良好とは言えません。
舛添氏はテレビで「若い頃はかわいかったが、離婚後少しうっとうしかった」と語り、片山さんは舛添氏のスキャンダルを「公私混同の極み」と公に批判。
2016年の政治資金問題では、片山さんが「同じ画面に映ると票が減る」と元夫を酷評しました。
また、2021年のブルーインパルス騒動では、片山さんのツイートが物議を呼び、舛添氏が「理解不能」とコメントするなど、時折メディアで火花を散らしています。
レアな情報として、離婚後、片山さんの実姉が生活保護受給者だったことが報じられ、家族間の複雑な事情が浮き彫りになりました。
一方、現在の妻は舛添雅美さんで、16歳年下の一般女性です。
1990年代後半に結婚し、安定した家庭を築いています。
2人の間には、2000年生まれの長女と、3歳年下の長男がいます。
都知事時代に子供の制服をヤフオクで購入した疑惑が浮上し、話題になりました。
舛添氏は家族を大切にし、家事も手伝うタイプで、洗濯物を干すのが好きだそうです。
しかし、過去の愛人問題から、婚外子が3人いるとの報道もあり、養育費の減額争いが続いています。
雅美さんとの生活は穏やかなようですが、創価学会員との噂が一部で流れ、プライベートな側面が注目されます。
中国服とは?
中国服とは、舛添氏の政治資金問題で特に話題になった支出です。
2011年の東日本大震災の翌日に、上海で購入した高級シルク製の中国服(唐装)で、約20万円が政治資金から出ました。
舛添氏は会見で「書道の際に着用するもので、政治的使途です」と釈明。
理由は、柔道で鍛えた筋肉質の体に背広や通常の服が窮屈で、筆の動きをスムーズにするためだと説明しました。
身振り手振りで「上腕の筋肉が張って引っかかるが、中国服はつるっと滑る」と実演し、第三者調査でも「不適切ではない」と認められました。
しかし、震災翌日の緊急時になぜ買ったのか、領収書の曖昧さ(「服装」としか記載なし)が批判を呼びました。
後日、テレビで実際に中国服を着て書道を披露し、「筆が滑る」と主張しましたが、書家からは「書きづらい」との声も。
この服は書道イベントでの公務用とされ、舛添氏の趣味(書道)と政治の境界が曖昧だった点が象徴的です。
東大首席で卒業した?
舛添氏は東京大学法学部政治学科を優秀な成績で卒業しましたが、首席かどうかは不明です。
同級生に鳩山邦夫さんがおり、2人は在学中から成績を競い合っていたそう。
鳩山さんは1948年生まれで、舛添氏と同い年。
高校時代から全国模試トップクラスで、東大では首席争いを繰り広げました。
舛添氏も「首席だった」と主張し、選挙戦で鳩山さんと「オレが首席」と譲らぬやり取りがあるそう。
しかし、実際の首席はどちらでもなく別の人で、舛添氏は2位、鳩山さんは3位頃だったとの証言があります(笑)。
舛添氏は過去の取材で「鳩山さんと争ったが、首席は他者」と認めています。
2016年、舛添氏の辞任日に鳩山さんが亡くなり、運命的な縁が語られました。
このエピソードは、2人の天才政治学者のライバル関係を象徴し、舛添氏の学歴自慢の原点です。
舛添要一氏は、波乱万丈の人生を送り、現在はコメンテーターや執筆活動で活躍しています。
こうした出来事から、公人の責任と私生活のバランスが問われます。
今回はここまでです。
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