キムラ緑子の旦那や子どもは?若い頃や現在は?本名やなぜ名字カタカナなの?政治は?

女優

キムラ緑子さんのプロフィール

 

女優として多彩な活躍を見せるキムラ緑子さん。

 

1961年10月15日生まれで、兵庫県洲本市出身です。

 

 

シス・カンパニー所属で、同志社女子大学学芸学部英文学科を卒業されています。

 

淡路島で育った幼少期は歌が大好きで、中学生の頃には『スター誕生!』のオーディションに挑戦し、中島みゆきさんの「時代」を歌って最終5人まで残りましたが惜しくも落選し、泣いて帰宅したそうです。

 

中学校ではテニス部に所属し、高校では剣道部で汗を流しました。

 

大学時代には友人から誘われて演劇サークルに入り、そこで演劇の魅力に目覚めました。

 

ピアノや華道、剣道などの習い事も続け、弟さんとともに家族で賑やかな日々を送っていたようです。

 

 

旦那や子どもは?

 

旦那は脚本家・演出家・俳優のマキノノゾミさんです。

 

大学時代の演劇サークルで出会い、1992年に結婚しました。しかし2005年に一度離婚しています。

 

離婚の背景には、キムラ緑子さんが仕事で東京へ進出するなど独立した生活を送っていたことがありました。

 

キムラ緑子さん本人が語ったところでは、「子はかすがい」という言葉通り、子どもがいなかったことが離婚の大きな理由だったそうです。

 

もし子どもがいたら離婚は考えられなかったと振り返っています。

 

離婚後、舞台公演で預けた猫がマキノノゾミさんに懐いたことがきっかけで再び連絡を取り合い、同居を再開。

 

2010年に復縁し、再婚しました。

 

現在は東京で一緒に暮らし、相変わらず穏やかな夫婦生活を送っています。

 

 

若い頃や現在は?

 

若い頃のキムラ緑子さんは、大学卒業後に故郷の淡路島に戻り、英語の塾講師として働いていました。

 

しかし演劇への情熱が冷めず、マキノノゾミが主宰する劇団M.O.P.に入団。劇団の看板女優として注目を集め、1990年に映画『極道の妻たち 最後の戦い』でデビューしました。

 

劇団解散後の2010年以降も舞台を中心に活動を広げ、NHK連続テレビ小説『純情きらり』や『ちりとてちん』、『ごちそうさん』などで存在感を発揮。

 

映画では『パレード』や『わが母の記』、『テルマエ・ロマエ』などに出演し、カメレオン女優と呼ばれる実力派として知られるようになりました。

 

現在も舞台やドラマ、映画のほか、別名義のドリー・キムラとして年に一度のジャズライブ「Dolly&Tanny」に出演。

 

 

テレビ朝日系列で放送の「相棒」でおなじみの大谷亮介さんと笑いと歌のエンターテインメントを披露し、チケットは即完売の人気ぶりです。

 

現在も舞台公演が続き、ますます活躍の場を広げています。

 

 

本名や、なぜ名字はカタカナなの?

 

本名は牧野緑子さん(旧姓:木村緑子)です。

 

芸名としてキムラ緑子を使い続けています。

 

名字をカタカナにした理由は、20代の頃に姓名判断に興味を持っていた時期があったからです。

 

元々漢字の木村でしたが、雑誌などで調べたところ画数がカタカナの方が良いと判断し、自分で勝手に変更したそうです。

 

舞台女優として名前が映えるよう意識した選択でもあり、今もこの芸名で親しまれています。

 

政治は?

キムラ緑子さんは近年、Instagramで政治に関する思いを率直に発信しています。

 

政府の予算委員会運営や防衛装備の導入方針に疑問を投げかけ、統一教会関連の裁判判決にも「納得いかん」とコメントするなど、社会問題への関心が強いです。

 

また、国会前での平和憲法を守るための緊急アクションなどのデモ活動が大手メディアで十分に報じられていないことに気づき、新聞社の報道部長に直接会って「国会前アクションをなんで取材してくれないんですか?圧力かかってます?」と質問したこともあります。

 

次回の集会では必ず取材してほしいと念押ししたそうです。

 

 

周囲の人々に現在の政権を支持する声はほとんど聞かないと語り、メディアや若者への選挙教育の大切さも訴えています。

 

女優としての仕事と並行しながら、こうした発信を続けています。

 

今回はここまでです。
これからも、キムラ緑子さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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