長谷川初範の嫁と子供は?若い頃と現在は?誰と似てる?ウルトラマン80は?実家はスーパー?

俳優

長谷川初範さんは、1955年6月21日生まれの俳優で、現在70歳代となっています。

 

北海道紋別市出身のA型で、身長173センチ、体重71キロの体格です。

 

 

幼少期から映画に親しみ、両親の影響で幼稚園児の頃から一人で映画館に通い、邦画や洋画を繰り返し観賞していました。

 

小学生の時に出会ったアメリカ映画のショパンの曲が心を揺さぶり、音楽への興味も芽生えました。

 

「初範」という名前の音読みは「ショパン」と読めることから、芸名を「長谷川ショパン」にしていた時期もあります。

 

ちょっとお笑いタレント見たいな名前でしたね(笑)。

 

実家は裕福でしたが、父親からは小遣いを一切与えられず、自力で生活を学ぶ厳しい環境でした。

 

いじめをきっかけに8歳から剣道を始め、小学4年生で北海道代表として全国大会に出場するほどの実力者でした。

 

学生時代は剣道三段の腕前を磨きながら、レスリングやスキー、英会話、マーシャルアーツにも取り組み、多彩なスポーツマンとして活躍しました。

 

高校1年生の時にはロータリークラブの交換留学生として、アメリカのオレゴン州ニューポート高校に1年間留学。

 

現地ではレスリング選手として活躍し、芸術分野のコンテストで陶器部門の2位を獲得するなど、創造性も発揮しました。

 

帰国後、米国南カリフォルニア大学への進学を検討していましたが、家庭の事情で断念。

 

1975年に今村昌平監督が校長を務める横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の演劇科に入学し、俳優の道を歩み始めました。

 

在学中にはスカウトされ、舞台やテレビの仕事に携わり、早い段階で注目を集めました。

 

 

もくじ

長谷川初範さんの嫁と子供は?

 

長谷川初範さんの妻は、同じ北海道出身の一般の方です。

 

結婚生活は40年以上に及びます。

 

長谷川初範さんは、息子さんの誕生を機に、家族のために手作りの別荘をプレゼントしたエピソードもあり、夫婦の絆の深さがうかがえます。

 

息子さんは1984年生まれです。

 

東京藝術大学の大学院で先端芸術を専攻し、世界中の祭事や伝統文化を研究する道を選びました。

 

父親の影響を受けつつ、独自の創造性を追求する姿は、長谷川初範さんご自身も誇らしく思っておられるようです。

 

長谷川初範さんは、息子さんが赤ちゃんの頃、区役所に連れて行き、手続きを一緒に済ませるなど、子育てに積極的に関わった元祖イクメンの一面も持っています。

 

 

若い頃と現在は?

 

長谷川初範さんの若い頃は、華々しいデビューと苦難の連続でした。

 

1975年に専門学院に入学した直後、スカウトされて舞台『ええじゃないか』で主演級の役を任され、躍動感あふれる演技で今村賞に貢献するなど、才能を早くから発揮しました。

 

1978年のドラマ『飢餓海峡』で本格デビューを果たし、1979年の『熱愛一家・LOVE』ではレギュラー出演を重ね、1980年には『ウルトラマン80』で全国的な人気を博しました。

 

しかし、家庭の変動が影を落とします。

 

高校卒業直後に両親の離婚と実家の倒産が重なり、裕福だった生活から一転、4畳半の狭いアパートで貧乏暮らしを強いられたそう。

 

また、25歳頃に重度の喘息を発症し、2年間は俳優業を制限せざるを得ませんでした。

 

治療中は佐山聡さんのタイガージムに通い、格闘技で体力を回復させるなど、強い精神力で克服。

 

こうした試練を乗り越え、1980年代後半には芸名を「長谷川ショパン」に改名するほど、音楽的なイメージも強めました。

 

スポーツ面では、剣道三段、杖道初段、居合道一級、空手、修斗参加など、武道の達人ぶりを発揮。

 

2002年にはマウイマラソンを完走し、ロサンゼルス上空でスカイダイビングに挑戦する冒険心も見せました。

 

66歳の頃を「最も充実した時期」と振り返るように、先入観にとらわれず新しい役に挑む姿勢が魅力です。

 

2023年にはドラマ『スタンドUPスタート』『科捜研の女』、映画『クレイジークルーズ』に出演。

 

2024年は舞台『メイジ・ザ・キャッツアイ』で4役をこなし、『ヒストリーボーイズ』で校長役を演じました。

 

2025年には『雲霧仁左衛門ファイナル』『誘拐の日』『宙わたる教室』など、テレビドラマに相次いで登場予定です。

 

喘息克服後の健康管理を徹底し、80歳まで俳優を続けたいという目標を掲げ、役者道をまい進されています。

 

 

誰と似てる?

 

長谷川初範さんの端正でダンディーなルックスは、さまざまな著名人と重ねて語られることがあります。

 

特に、ベテラン俳優の宇津井健さんとは、落ち着いた眼差しと洗練された佇まいが似ていると指摘されます。

 

宇津井さんのような深い人間味を湛えた表情が、長谷川初範さんの渋い役柄に通じる部分です。

 

また、内野聖陽さんとの類似もファンの間で話題に上ります。

 

内野さんの知的でクールな印象が、長谷川初範さんの知的な役どころ、例えば教師や刑事役に重なるそうです。

 

お笑いコンビタカアンドトシのトシさんとは、若い頃の柔らかな笑顔と目元の優しさが似ているという声が多く、ウルトラマン時代を振り返る際に特に言及されます。

 

さらに、犯罪評論家の佐々木成三さんとの比較も興味深いところで、知的な眼鏡姿が共通点です。

 

ウルトラマン80は?

 

長谷川初範さんにとって、『ウルトラマン80』はキャリアの転機となった作品です。

 

1980年にTBS系で放送されたこの特撮ドラマで、主人公の矢的猛役を演じ、ウルトラマン80に変身する姿で全国の子供たちを魅了しました。

 

矢的猛は、M78星雲から来たウルトラマンが地球人の教師としてUGM(ウルトラガード)に所属する設定で、教育者としての使命感が強く描かれました。

 

長谷川初範さんは、当初は作品の詳細を知らずにオーディションを受け、プロデューサーから「ウルトラマンだよ」と明かされた瞬間を鮮やかに思い出されます。

 

教師役が自身のキャラクターにぴったり合っていたため、引き受けたそうです。

 

番組は全50話で、初期の教育テーマが中心でしたが、途中からアクション重視にシフト。

 

長谷川初範さんは、変身シーンの緊張感や、怪獣との戦闘で鍛えられた体力を活かし、迫力ある演技を披露しました。

 

共演者の萩原佐代子さんや石田えりさんとは、45年経った今も語り合い、普遍的な日本人像を表現した点に誇りを持っています。

 

2007年の『ウルトラマンメビウス』では客演で再登場し、円谷プロダクションからの熱いラブレターのようなオファーに感動したそうです。

 

ウルトラ兄弟への加入については、「エリート集団に入らず独自の道を歩むのもいい」との独自解釈を述べ、作品の精神を体現。

 

放送当時のブレイクは、喘息発症前のピークを象徴し、今もファンから愛される代表作です。

 

実家はスーパー?

 

長谷川初範さんの実家は、確かにスーパーマーケットを営む商店でした。

 

北海道紋別市に位置する「マート〆一」は、祖父が開業した小さな食料品店を父親が拡大し、道東地方でトップクラスの売上を誇る大型店に成長しました。

 

裕福な家庭環境の中で育った長谷川初範さんは、幼い頃から店の手伝いをしながら、地元の活気を感じていました。

 

父親は地元の名士として知られ、商店街の中心人物でした。

 

しかし、長谷川さんが高校生になったころから、経営の雲行きが怪しくなってきたそうです。

 

でも、高校時代には、長谷川さんを一年間アメリカへ留学させてくれたそうです。

 

その後、両親の離婚と事業の倒産が相次ぎ、家族は一変。

 

父親は債権者への支払いを優先し、家族への支援を一切絶ちました。

 

倒産の原因は詳細に語られていませんが、当時の地方経済の厳しさが背景にあったようです。

 

一方で、母親はカメラ好きで、留学前にリコーのカメラを渡すなど、息子の夢を静かに支えました。

 

お金はなくなってしまっても、幼少期から初範さんに様々な経験をさせたことから、その後、俳優として大成功され、立ち直ることができたのでしょうね。

 

今回はここまでです。
これからも、長谷川初範さんの活躍を期待しています。
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