風見しんご娘が事故死?嫁と次女は?若い頃と現在は?小泉今日子とは?
もくじ
風見しんごさんのプロフィール
風見しんごさんは、1962年10月10日生まれの俳優、タレント、歌手、ダンサーです。
広島県広島市西区己斐で生まれ育ち、身長は169センチ、血液型はA型です。

本名は大下義博さんで、幼少期は地元で町工場を営む父親の影響を受け、ものづくりに親しみながら過ごしました。
芸名の由来は、1973年から74年ころ放送されていた「仮面ライダーV3」の主人公である「風見志郎」からきているそうです。
学生時代は成蹊大学工学部に進学し、エンジニアを目指していましたが、中退して芸能界へ転身します。
風見しんごの娘が事故死?
風見しんごさんの長女、えみるさんは2007年1月17日、当時小学5年生の10歳で、交通事故により帰らぬ人となりました。
事件は、えみるさんが学校へ通う朝の通学路で起きました。
自宅からわずか100メートルほどの交差点で、青信号で横断歩道を渡っていたところ、右折する車に衝突され、即死に近い状態で病院に運ばれました。
この事故は、普段車が通らないはずの安全な道で発生したため、周囲を驚かせました。
風見しんごさんは、当時44歳。
家を出たばかりの娘の身体に、2トントラックのタイヤが、のっていたそうです。
居合わせた10数人でトラックを持ち上げ、娘を引出し救急車で病院へ搬送。
一時的に心拍が回復したそうですが、奇跡は起こることなく、えみるさんは命を落としました。
えみるさんが、「ケンカが嫌い」だったという意思を尊重し、風見さんは加害者側を強く責めるような話はしなかったそうです。
裁判では、被告に危険運転致死傷罪が適用され、一審で懲役5年の実刑判決が下されました。
高裁でもこの判決が支持され、厳罰化の流れとなりました。
風見しんごさんは、事故直後からメディアの取材を控え、家族の悲しみを静かに抱え込みました。
しかし、10年が経過した2017年頃から、徐々に心境を語り始めます。
娘の死を「産声のない天使たち」と表現し、書籍で初めて詳細を明かしました。
えみるさんは、明るく活発な性格で、父親の仕事現場にもよく遊びに来ていました。
事故の前日には、家族で夕食を囲み、笑顔で過ごしていたそうです。
この悲劇を機に、風見しんごさんは交通安全啓発活動に積極的に取り組みます。
毎年、小学校での講演やイベントに参加し、自身の経験を基に子どもたちに注意喚起を呼びかけています。
例えば、2022年には東京の小学校で、事故の詳細を語りながら「一瞬の油断が命を奪う」と強調しました。
何気ない日常に突如として起こってしまった、悲しい事故。
最愛の娘との突然の別れ。
本当にあってはならない話ですね。
この出来事は、風見しんごさんの人生に深い影を落としましたが、同時に前向きな活動の原動力となっています。
18年が経った今も、時折涙がこみ上げるという心境を、最近のインタビューで明かしています。
嫁と次女は?
風見さんのお嫁さんとなった方は、タレントとして活躍されていた荒井晶子さん。
旧姓は荒井尚子さん、現在本名は、大下尚子さんといいます。
1994年には「ミス日本」に選考される経歴がある、とても美しい方です。
風見しんごさんと妻の出会いは、1980年代後半に知り合い、1990年代初頭に結婚しました。
妻は一般女性で、風見しんごさんの芸能活動を支える内助の功が大きい存在です。
風見しんごさんが書籍で語ったように、尚子さんは事故直後、泣きじゃくる夫を静かに見守り、「一緒に乗り越えよう」と声をかけたそう。
次女は、事故当時3歳でした。
姉のえみるさんが亡くなった後、次女は不思議な行動を見せます。
姉の服を自分で着て、鏡の前でポーズを取ったり、家族の前で「えみる」と名乗ったりしたのです。
なぜそう答えるのか聞くと、「えみるちゃんがいなくなってから、お父さんお母さんが悲しんでいるから、「えみる」になれば悲しまなくなるから。」と答えたそうです。
また、9歳を過ぎても、他の姉妹が楽しそうに遊んでいる光景をみると、激しく泣いていたそうです。
この様子に、風見しんごさん夫妻は涙を堪えながらも、娘の魂が守ってくれていると感じました。
次女は成長するにつれ、姉の存在を自然に受け入れ、家族の太陽のような明るさで皆を照らします。
現在は成人を超え、米国の大学で演劇を学んでいらっしゃいます。
14歳の頃からアメリカのハイスクールに進学し、英語に慣れた日常を送ってきたのだそう。
事故から1年後の2008年、尚子さんは男児を妊娠しました。
しかし、胎児がダウン症であることが判明し、死産という形でこの子も失いました。
風見しんごさん夫妻は、連続する喪失に絶望の淵に立たされましたが、次女の存在が支えとなりました。
妻と娘は、2016年頃からロサンゼルスに移住し、現地生活をスタート。
コロナ禍で一時的に離れ離れになりましたが、風見しんごさんが2023年に渡米してからは、家族3人で再び一つ屋根の下に暮らしています。
妻は現地でパートタイムの仕事をし、次女は学業に励んでいるとの事です。
風見しんごさんは、妻の強さと娘の優しさに、日々感謝の念を抱いているそうです。
若い頃と現在は?
風見しんごさんの若い頃は、1980年代の芸能界を駆け抜けたエネルギッシュな時代です。
1982年、19歳のときに萩本欽一さんの番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」でデビュー。
オーディションでブレイクダンスを披露し、即座に注目を集めました。
翌1983年には、シングル「僕 笑っちゃいます」で歌手デビュー。
軽快なメロディーとダンスがヒットし、オリコンチャートで上位を記録します。
当時の風見しんごさんは、ヌンチャクを交えた独自のブレイクダンスでステージを沸かせ、グループ「BEAT ON PANIC」では化粧姿でパフォーマンスを繰り広げました。
バーニングプロダクション所属として、ドラマやバラエティにも進出。広島弁の親しみやすいキャラクターが、幅広いファン層を獲得しました。
1980年代後半には、俳優業にシフト。連続ドラマで主人公を演じ、アクションシーンをこなす姿が人気を呼びました。
結婚後も、精力的に活動を続けていましたが、2007年の長女の事故を境に、心境の変化が生じました。
それでも、2010年代に入り、交通安全の啓発や父親介護の経験を活かしたトーク番組出演が増え、新たな魅力を発揮します。
父親の介護中、風見しんごさんは「人生の支えになった」と振り返り、家族の絆をテーマにしたエッセイも執筆しました。
現在、風見しんごさんはロサンゼルス在住。
2022年末に日本での芸能活動を一区切りし、2023年1月から語学留学を始めました。
還暦を機に、妻と次女との時間を優先した決断です。
現地では、英語を学びながら、地元のコミュニティイベントに参加。
時折、日本からリモートでトーク番組に出演し、ブレイクダンスのレクチャーも行っています。
ロサンゼルスの生活は新鮮で、スーパーで大きな肉の塊を買うことに驚いたり、広大な公園で散策したりと、ゆったりとした日常を楽しんでいる様子が伺えます。
現在も交通安全の講演も続け、オンラインで子どもたちにメッセージを送っています。
若い頃の情熱を失わず、現在は家族中心の穏やかな活動を展開中です。
小泉今日子さんとは?
風見しんごさんと小泉今日子さんは、1980年代のアイドルブームを共に駆け抜けた同期生です。
両者ともバーニングプロダクションに所属し、デビュー当時から切磋琢磨する関係でした。
小泉今日子さんが1982年に歌手デビューしたのに対し、風見しんごさんはタレントとして同時期にブレイク。
同じ事務所の先輩後輩として、イベントや収録で顔を合わせる機会が多かったです。
当時のインタビューでは、風見しんごさんが小泉今日子さんのクールなイメージを「憧れの存在」と語り、互いのパフォーマンスを参考にしていたエピソードが残っています。
共演も数多く、2014年のドラマ「続・最後から二番目の恋」では、風見しんごさんが小泉今日子さんの同期として友情出演。
軽妙な掛け合いが視聴者を楽しませました。
この作品では、風見しんごさんのコミカルな役柄が、小泉今日子さんの主人公を際立たせ、ファンから好評を博しました。
また、80年代の音楽シーンでは、風見しんごさんのダンスナンバーと小泉今日子さんのポップソングが並んでチャートを賑わせ、時代を象徴する存在となりました。
風見しんごさんは、後年のトークで「今日子さんの存在が、僕の芸能人生の原動力の一つ」と振り返っています。
こうした絆は、事務所の結束を表すもので、現在も互いの活躍を温かく見守る関係が続いています。
風見しんごさんの渡米後も、SNSなどで小泉今日子さんの新作を応援する投稿が見られ、変わらぬ友情を感じさせます。
今回はここまでです。
これからも、風見しんごさんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!
記事のポチっと拡散感謝です~(*´ω`*)












ディスカッション
コメント一覧
私も7年前に息子を事故でなくしました。
本当に、乗り越えられるわけがなく、
彼と天国で会った時が、ゴールと思います。
私たちの気持ちを誰もわかるはずがなく、
でも、長男くんが、がんばれ、とひとこといいに
この世に来てくれたっていうのは、ほんとうにそう。。
彼らが先に天国にいったのは意味があるのですよね。
私ももう一人ほしいけど、もう41歳。。できるかな。。
安定した生活ではないけど、いま、ハワイで
旅行会社を経営しております。
子供を失った人はわたしたちだけじゃないけど
私はこんなに愛してた私の息子をつれていった神を
かみさま、とはよべないなぁ。。
ふざけるな。。って
でも、逆に、もう怖いものがなくなったのは事実。
だって死んだら子供に会える?
でも、新しいお子様がいたらそれはまた違うのかな?
私もまた新しい命に会えるようにがんばります。
ハワイにも遊びにきてください。
さえこ
さえこ様
当ブログへお越しいただきありがとうございます。
悲しみ深い内容のコメントに、正直、なんと返信をしたらよいのか悩んでおりました。
無宗教に近い仏教徒なので、神や仏が本当にいるのかそれほど信心深さはないのですが、
さえこさんのコメントは、自分にとっては、ひとつの導きがあったような感じがします。
私も、41歳の主婦です。
子供は2人。
昨年の5月に妊娠検査薬にて陽性反応があり、
40歳を過ぎての子供に喜んでおりましたが、
病院へ伺うと、繋留流産していることがわかりました。
一度も心臓が動いているわが子を見ることができず、
いまだに、なぜもっと早く気づいてあげることができなかったのかと悔やんでおりました。
近所の産婦人科を通るたびに、悲しい思いがこみ上げる一年でした。
子供を失った状況は違うのですが、さえこさんからのコメントをみて、
もう一人のわが子に逢いたい気持ちが再び湧いてきました。
つらい出来事を思い出しつつ、コメントいただいた事、非常に感謝いたします。
現在は、ハワイにお住まいなのですね。
自身は、キングスランドのタイムシェアを持っています。
実際には、ハワイ島へは行かず、ラグーンやグランドワイキキアンで、
2週間ほどの滞在をしていました。
経済的な問題もあり、現状ハワイ旅行からは遠ざかっておりますが、
もし、行く予定がたったなら、さえこさんに会ってみたいです。
必ず、お店に立ち寄りますね。
さえこさんに出会えたことに感謝です。
ありがとうございました。
噂の芸能情報管理者より
追記)ただいま非常に驚きにふるえています。
「パイナップルツアーズ」のHPを拝見していましたら、発見!
さえこさん出演していた、「ハワ恋」リアルタイムで放送見てました!
主人と大騒ぎです。
勝手ながら親近感がわいております。
ハワイへ行く人には必ず「パイナップルツアーズ」紹介します。