椎名誠の妻と息子は?現在体調は?新刊やおすすめ本は?昭和や映画とは?
もくじ
椎名誠さんのプロフィール
椎名誠さんは、1944年6月14日、東京都世田谷区三軒茶屋に生まれました。
5人兄弟の三男として育ち、父親は公認会計士を務めていました。

幼少期は戦後の混乱期を過ごし、1950年頃に千葉県印旛郡酒々井町、そして千葉市幕張へと転居します。
幕張の小学校に通いながら、海や田園の風景に囲まれた環境で、のびのびと遊ぶ少年時代を送りました。
中学生の頃、写真雑誌で出会った一枚の写真に心を奪われ、将来の夢を写真家に定めます。
しかし、父親の死去という出来事が訪れ、強い喪失感を抱きます。
それ以降、学生生活は波乱に満ち、中学時代は不良を自認し、喧嘩に明け暮れる日々でした。
千葉市立幕張中学校を卒業後、千葉市立千葉高等学校へ進学します。
高校時代には同人誌『幕張じゃーなる』を創刊し、文学や創作への興味を深めます。
1964年、東京写真大学に入学しますが、翌年、友人の車事故で重傷を負い、中退を余儀なくされます。
その後、代々木の演劇学校に通い、脚本の勉強に励みます。
また、高校時代の同級生である沢野ひとしさんや木村晋介さんらと、江戸川区小岩のアパートで約2年間の共同生活を送り、互いの創作意欲を刺激し合う刺激的な時間を過ごしました。
学歴としては、千葉市立千葉高等学校卒業、東京写真大学中退です。
その後、脚本の勉強のために、代々木にある演劇学校で学びます。
1966年、自身が22歳の頃、百貨店及び大型流通業界誌を作成する、デパートニューズ社に入社されています。
椎名誠さんは執筆活動以外の時間の過ごし方と言えば「冒険」なんだとか。
辺境の地へ出向いたときの写真集も数冊出版されています。
いつまでも、少年のような心を持ち続けているのですね。
椎名誠の妻と息子は?
妻の一枝さんは、1945年にハルビンで生まれ、作家・エッセイストとして活躍する方です。
1968年に結婚し、椎名さんは渡辺家の籍に入りました。
二人を結びつけたきっかけはスウェーデンの探検家スヴェン・ヘディン氏が書いた「さまよえる湖」という1冊の本です。
若いころから冒険や探検にあこがれ、夢を持っていた椎名さん。
「さまよえる湖」が一番の愛読書だったそうですが、身近な友人に話しても誰も知らなかったそうです。
ある日、友人の紹介で喫茶店で会うことになった女性と本の話題になり、「さまよえる湖」の話をすると、「私も大好きです」との返事が。
身近な男友達でも興味がなかったのに、まさかこの女性が好きだなんてと始めは嘘をついていると思ったそうです。
他にも同作家の「西域探検紀行全集24巻」をすべて読んだという話をきいても、始めは信じられなかったそうです。
かなり親しくなり、女性の自宅伺うと、そこには椎名さんが読みたくても高価で購入できなかった「西域探検紀行全集24巻」がすべて本棚に収まっていたそうです。
このことが一気に二人の距離が近くなるきっかけとなりました。
当時、椎名さんは流通業界の雑誌編集長として多忙を極めていましたが、一枝さんの支えが大きな力となったそう。
一枝さんは身長153センチの小柄な体格ながら、中学時代に山岳同好会、高校では山岳部に所属し、「ヤマンバ」や「チベット」というあだ名で親しまれていました。
軍国教育に反発した母親の影響で教師を辞め、旋盤工場で働くという反骨精神の強い家庭で育ちました。
そんな一枝さんは、チベット関連の著書を多数執筆し、自身の旅体験を基にした作品で知られています。
夫婦は冒険家としての肩書もあり、奥様はチベットを中心に活動、一方椎名さんは、アメリカ圏を中心に冒険活動をされているようです。
共有する時間は少ないようですが、夫婦の関係は対等で、互いの創作活動を尊重し合うパートナーシップが魅力です。
息子である岳さんは、1973年生まれの長男です。
プロボクサーとして活躍した後、米国で写真を学び、現在は写真家として活動しています。
椎名さん自身が学生時代に柔道を嗜んでいた影響か、岳さんもスポーツマンとして育ちました。
岳さんは結婚しており、子どももいるので、椎名誠には孫がいることになります。
子育ての時期に仕事に没頭しがちだった椎名さんは、後年を振り返り、家族との時間を大切にすべきだったと自省するエッセイも残しています。
椎名誠さんには娘もおり、長女の葉さんは1970年生まれで、翻訳家・エッセイストとして活躍。
葉さんの活躍は、両親の影響を色濃く受け継いだものと言えます。
さらに、米国ニューヨーク州およびニュージャージー州の弁護士資格をお持ちの才媛です。
椎名さん一家は、旅や創作を通じて結ばれた、自由奔放で支え合う家族像を描き出しています。
現在体調は?
現在、椎名誠さんは年齢が80歳を過ぎ、病み上がりの時期を過ごしています。
2021年6月に新型コロナウイルスに感染し、救急搬送されるほどの重症を経験しました。
退院後も後遺症の倦怠感や息苦しさが長引き、いつもの活発な活動が制限される日々が続きました。
連載エッセイ『失踪願望。』シリーズでは、感染後の闘いをユーモアを交えながら綴り、失踪願望のような逃避心を吐露するほどでした。
しかし、徐々に回復の兆しを見せ、日常の小さな喜びを大切にしています。
過去には35年間にわたる不眠症に苦しみ、『ぼくは眠れない』でその苦闘を明かしました。
睡眠薬の使用や夜更かしの習慣が、創作の源でもあったのだそう。
現在も、熱が下がらない日もあれば、原稿執筆に集中できる日もあり、回復に向けた努力を続けているそうです。
雑魚釣り隊の野外活動も一区切りつきましたが、椎名さんの好奇心は衰えず、健康管理として軽い散策や家族との語らいを心がけ、読者からの励ましに支えられています。
椎名さんのように、病をネタに変える強靭さが、ファンを魅了し続けています。
新刊やおすすめ本は?
椎名誠さん、御年80歳をすぎておられますが、現在も執筆活動を続けられています。
他にも新聞紙面や月刊誌などの連載のお仕事がみられ、とても勢力的な活動が見られます。
時にはトークショーやサイン会なども開催されているようで、ファンとしても、直接、椎名誠さんにあえるのは楽しみなイベントですね。
1988年「犬の系譜」で吉川英治文学新人賞、1990年「アド・バード」で日本SF大賞を受賞他にも数多くの受賞歴のある椎名誠さん。
椎名誠さんの新刊というと、病み上がり後の日常を鮮やかに描いたものが中心です。
2025年9月発売の『中学生あらくれ日記』は、自身の学生時代の荒くれぶりをユーモラスに回想したエッセイです。
不良を目指した中学生活のエピソードが、現代の若者にも響く内容となっています。
また、2025年11月発売の『続々 失踪願望。病み上がり乾杯編』は、2023年7月から2024年9月までの日録を収録した一冊です。
コロナ後遺症の闘いから、世にも奇妙な迷子体験「迷走記」まで、椎名さんの不屈の精神が光ります。
病状の絶不調を乾杯で締めくくるような、椎名さんらしい軽妙さが満載です。
おすすめ本としては、家族をテーマにした『岳物語』とその続編『続・岳物語』が挙げられます。
息子・岳さんのボクサー時代を、父親の視点から温かく描いた私小説で、子育ての喜びと後悔が交錯します。
読後感が心地よく、家族の絆を再確認したくなる一冊です。
旅好きには『インドでわしも考えた』が最適です。
インドの喧騒の中で人生を哲学する紀行エッセイで、椎名さんの好奇心が爆発しています。
カレーの秘密やターバンの謎に迫る体当たり取材が、笑いと発見に満ちています。
また、『わしらは怪しい探検隊』シリーズは、辺境の旅をコミカルに綴った定番。
チームでの冒険が、日常の息抜きにぴったりです。
SFファン向けには、日本SF大賞受賞作『アド・バード』が、おすすめです。
未来の鳥人間が登場する独創的な世界観が、椎名さんの多才さを示しています。
これらの作品は、椎名さんの人生観を多角的に味わえるでしょう。
昭和や映画とは?
椎名誠さんと昭和のつながりは、文体革新の象徴である「昭和軽薄体」にあります。
この文体は、1970年代末から1980年代にかけて、椎名さんが自ら名付けたもので、日常の話し言葉を饒舌に文章化するスタイルです。
嵐山光三郎さん、南伸坊さん、糸井重里さんらと並び、狭いサークルの話題を軽やかに広げるのが特徴。
デビュー作『さらば国分寺書店のオババ』で花開き、ベストセラーとなりました。
村松友視さんや伊丹十三さんの影響も指摘されますが、椎名さんのそれは業界誌記者時代のデッサン力を崩した独自のもの。
昭和の軽薄さ、つまり遊び心と反骨を体現し、現代の「おじさん構文」とは一線を画す教養とユーモアの産物です。
『哀愁の町に霧が降るのだ』などの青春記で、この文体が昭和のノスタルジーを呼び起こします。
椎名さんの少年時代、幕張の海辺で過ごした昭和の記憶が、こうした軽快な表現の基盤となっています。
一方、映画との関わりは、監督・原作の両面で深く、椎名さんの多才さを物語ります。
デビュー前から8ミリや16ミリで自主制作に取り組み、1991年に映画製作会社ホネ・フィルムを設立。
監督作の代表は『白い馬』(1995年)で、日本映画批評家大賞最優秀監督賞を受賞し、フランス・ボーヴェ映画祭グランプリ、ポーランド子ども映画祭特別賞を獲得しました。
馬との絆を描いた感動作です。
『たどんとちくわ』(1998年)では、日常の小さな冒険をコミカルに、『ぱいかじ南海作戦』(2012年)は、南海の島を舞台にしたユーモア満載の長編です。
また、原作提供作として、山田洋次監督の『息子』(1991年)は倉庫作業員の親子愛を、『白い手』(1990年、神山征二郎監督)は感動のドラマを、『怖がる人々』(1994年、和田誠監督)はオムニバス形式で人間の弱さを描きました。
『中国の鳥人』(1998年、三池崇史監督)は、チベット僧の飛行夢をテーマに、妻の一枝さんの専門性を活かした作品で、本木雅弘さんの主演が話題となりました。
短編ドキュメンタリー『神島でいかにしてめしを喰ったか…』(1974年)のような初期作から、焚き火術のビデオまで、椎名さんの映画愛は尽きません。
昭和の軽薄体が文学で花開いたように、映画では視覚的な冒険心が輝き、両者が融合した独自の世界を築いています。
今回はここまでです。
これからも、椎名誠さんの活躍を期待しています。
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