諏訪太朗は精神科医師?草刈正雄と親友?ウルトラマン・若い頃は?嫁は声楽家!

俳優

もくじ

諏訪太朗さんのプロフィール

 

諏訪太朗(すわたろう)さんは、1954年8月9日生まれの日本の俳優です。

 

東京都練馬区で育ち、身長は168センチメートル、所属事務所は夢工房で、1977年から活動を続けています。

 

 

本名は丸山太郎さんで、旧姓は諏訪です。

 

学歴は関東学院大学文学部社会学科を中退されています。

 

父親は詩人の諏訪優さんで、幼少期の頃から文学的な環境に囲まれて過ごされたようです。

 

中退後、すぐに演劇の世界へ飛び込み、1976年に新演劇人クラブ・マールイの研究生となり、翌1977年の舞台『オイディプス王』でデビューを果たされました。

 

演劇企画集団の五月舎で、俳優の内藤剛志さんと出会いました。

 

その後、内藤剛志さんに誘われ、長崎俊一さんが脚本・監督を手掛けた自主製作映画「闇打つ心臓」に出演。

 

その映画では、他にも共演者として、女優の室井滋さんがいました。

 

自主製作映画というだけあって、撮影費用や衣装代も自分たちで持ちだしだったそうで、バイトで稼いだお金をつぎ込んでいたそうです。

 

なぜ、役者の道に進んだのかというと、学生時代に観た映画『仁義なき戦い』で、その迫力ある人間ドラマに強く心を動かされたのだそう。

 

1970年に公開された、増村保造監督の「でんきくらげ」と加藤泰監督の「緋牡丹博徒 お竜参上」を見て、邦画のすばらしさに気づき、当初は映画監督志望でした。

 

しかし、色々突き詰めると、映画監督より役者の方が楽だなと思い、役者の道に進んだそうです?

 

今や、一度出演すると、同じ監督に何度も出演依頼されてしまう、名バイプレーヤの一人であり、やはり、人並み以上に演技について研究されたのでしょうね。

 

 

諏訪太朗さんは精神科医師?

 

諏訪太朗さんは、もちろん精神科医師ではありません。

 

俳優として長年活躍されており、医療従事者としての経歴は一切ありません。

 

大学時代に社会学科を専攻されていたものの、精神医学や医療関連の勉強をされた形跡はなく、卒業後も演劇や映画の道を歩まれています。

 

調べてみますと、京都大学医学部附属病院精神科神経科に同姓同名の医師がいるようで、ネットに記載がありました

 

同姓同名で有能な方がもう一人いらっしゃったのですね。

 

草刈正雄さんと親友?

 

諏訪太朗さんと草刈正雄さんは、長年の親友です。

 

2004年にTBS系列の衛星基幹で放送の、「ケータイ刑事 銭形泪(ぜにがたるい)」で、諏訪太朗さんがゲスト出演したのをきっかけに仲良くなったそう。

 

草刈正雄さんは、芸能界での友達は「勝野洋と諏訪太朗、この2人くらいしかいません。」と、公言されています。

 

草刈正雄さんこれまで数多くの作品で、多くの共演者がいる中で、たった二人しかいない友人の一人が諏訪太朗さんってすごい話ですね。

 

たとえば、草刈正雄さんの自宅で過ごす時間が多く、諏訪太朗さんは家族ぐるみの付き合いをされています。

 

草刈正雄さんが家ではほとんど動かず、お好み焼きだけを作って満足されるというエピソードが、諏訪太朗さんから明かされています。

 

月イチのペースで訪れるほど気軽で、ビールからマッコリへ移行するような、くつろいだ飲み会が恒例のようです。

 

この友情は、共演作『ケータイ刑事』シリーズでの出会いがきっかけの一つですが、それ以前から演劇界のつながりで知り合い、互いのプライベートを共有する関係に発展しました。

 

草刈正雄さんが「面倒くさい男」と自認されるのを、諏訪太朗さんが温かく受け止める姿は、25年以上の付き合いが育んだものです。

 

こうした親密さは、草刈正雄さんのブログで写真付きの乾杯シーンが公開されるほどで、ファンからも羨望の的となっています。諏訪太朗さんの人柄が、草刈正雄さんのようなベテラン俳優を引きつける理由でしょう。

 

 

ウルトラマン・若い頃は?

 

諏訪太朗さんの若い頃は、戦隊ものや、仮面ライダー、そしてウルトラマン作品のシリーズに出演し、印象的な活躍をされています。

 

デビュー直後の1977年頃、20代前半の頃は舞台を中心に活動されていましたが、1980年代に入ると映画やテレビの脇役が増え、特撮の世界にも足を踏み入れました。

 

ウルトラマン関連では、1999年の『ウルトラセブン1999最終章6部作』で防衛軍参謀役を演じられています。

 

この作品は、諏訪太朗さんが45歳頃のタイミングですが、若い頃の勢いを思わせる凛とした演技が光ります。

 

防衛軍の指揮官として、危機に直面する人類の苦悩を体現し、シリーズの重厚な雰囲気を支えました。

 

それ以前の若い頃、つまり30代までの特撮出演は散発的ですが、1980年代の自主制作映画や小規模作品で、SF要素の強い役をこなされています。

 

たとえば、長崎俊一監督の初期作品で、未来社会を舞台にした人間ドラマに参加し、そこから特撮の特殊メイクやアクションに親しみを得ました。

 

ウルトラマンシリーズ全体では、後年の『ウルトラマンマックス』や『ウルトラマンオーブ』でもゲスト出演されていますが、若い頃の基盤は舞台『オイディプス王』でのデビュー作に遡ります。

 

当時の諏訪太朗さんは、ギリシャ悲劇の重みを背負い、身体表現を磨かれました。

 

この経験が、ウルトラマン作品での「人類の守護者」に対する視線を、単なるアクションではなく、哲学的な深みで描く基盤となっています。

 

特撮ファンからは、若手時代から変わらぬ存在感が評価され、最近の『爆竜戦隊アバレンジャー 20th 許されざるアバレ』でも、横田役で再びヒーロー作品に貢献されています。

 

シリーズが変わると、また違う配役で出演するなんて、監督や演出家からの信頼が厚いのでしょうね。

 

 

嫁は声楽家!

 

諏訪太朗さんの妻は、声楽家の丸山育子さんです。

 

結婚年は公表されていませんが、長年連れ添うパートナーとして、互いのキャリアを支え合っています。

 

丸山育子さんは、クラシック音楽の分野で活躍するプロの声楽家で、オペラやリサイタルを中心に歌唱活動をされています。

 

諏訪太朗さんの本名が丸山太郎さんであることから、丸山家のマスオさんとなったのですね。

 

丸山育子さんの活動は、ソロ公演だけでなく、合唱団や教育分野にも及び、諏訪太朗さんの多忙なスケジュールを静かに見守る存在です。

 

このような支えが、諏訪太朗さんの安定したキャリアを支えています。

 

諏訪太朗さんは、70歳を目前にしても精力的に作品に携わり、特撮から任侠映画までをこなすベテランです。

 

こうした多面的な魅力が、ファンを魅了し続けています。

 

今回はここまでです。
これからも、諏訪太朗さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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