大空幸星の生い立ちは?父親と母親は?朝鮮学校とは?Ⅹは?大島麻衣とは?
もくじ
大空幸星氏のプロフィール
大空幸星氏は、1998年11月26日生まれです。
愛媛県松山市出身で、郁文館グローバル高校、慶應義塾大学総合政策学部を卒業。

現在は自由民主党所属の衆議院議員として、東京15区を担当し、慶應義塾大学在学中にNPO法人「あなたのいばしょ」の創設したことでも知られています。
このNPOは、望まない孤独をなくすことを目的に、24時間365日無料のチャット相談サービスを日本で初めて提供するなど、若者のメンタルヘルス支援に力を入れています。
大空幸星氏は幼少期から家庭環境の変化に直面し、それが自身の活動の原動力となっています。
学生時代は剣道部に所属し、集中力と忍耐力を養いました。
また、高校生の頃にニュージーランドへの留学経験があり、異文化の中で自己を見つめ直す機会を得ました。
これらの経験が、後の社会起業家としての基盤を築いています。
大空幸星の生い立ちは?
大空幸星氏の生い立ちは、家族の崩壊と孤独の連続でした。
物心ついた頃から両親の仲が悪く、日常的に激しい口論が絶えませんでした。
小学校低学年では、そんな家庭の緊張感の中で育ち、徐々に心を閉ざすようになります。
父親の厳格な性格が家を支配し、母親は次第に家を空けることが多くなりました。
この頃、大空幸星氏は父親の影響で音楽に親しみ、家にあった古いレコードを繰り返し聴くことで心の安らぎを見出しました。
吉田拓郎やYMOの曲が、幼い彼の心に深く刻まれました。
小学校5年生の時、ついに両親の離婚が決着します。母親が突然家を出て行き、大空幸星氏は父親との2人暮らしを強いられます。
しかし、父親の変化した様子に戸惑い、毎日のように衝突を繰り返しました。
学校へ行くのが怖くなり、不登校状態に陥ります。
この時期、食事も喉を通らず、拒食症のような症状が出て、体重が急激に減少しました。
周囲の大人たちは心配していましたが、家族内の問題が解決しないまま時間が過ぎていきました。
中学校入学を機に、東京で暮らす母親のもとへ移ります。
再婚した母親と義父の家で生活を始めますが、両親の仕事が忙しく、家に帰るのは深夜ばかり。
夕食は一人で済ませ、学校帰りにコンビニで買ったおにぎりをかじる日々が続きました。
この孤独感が、後の活動の原点となります。
高校時代、大空幸星氏はニュージーランドへの1年間の留学を決めます。
英語がほとんど話せない状態で現地に飛び込み、ホストファミリーの温かさに触れます。
現地の学校ではサッカー部に入り、チームメイトとの絆を築きました。
異国での失敗と成功を繰り返す中で、他人を信頼する大切さを学びます。
帰国後、大学進学を果たし、慶應義塾大学総合政策学部で政策立案を専攻します。
在学中、自身の経験を活かし、2019年にNPO法人「あなたのいばしょ」を設立。
大学1年生ながら、ボランティアを募り、チャット相談の基盤を整えました。
2020年には文部科学省から補助金を得てサービスを拡大。
コロナ禍の孤独を助けたとして、メディアで取り上げられます。
卒業後、政治の道へ進み、2021年の衆院選で初当選。
26歳での最年少代議士として注目を集めました。
こうした生い立ちは、決して恵まれたものではありませんでしたが、大空幸星氏を強くし、社会を変える原動力となりました。
父親と母親は?
大空幸星氏が、小学校5年生の頃、母親が失踪。
母親は過去にも長く家にいないことがあったため、大きな驚きや母を恋しく思う気持ちはそれほどなかったそうです。
しかし、その後、父親が暴力を振るうようになり、父親の暴力が怖くて夜眠れなくなり、結果的に不登校になってしまいました。
自らこの世を去る選択が何度も頭をよぎり、気持ちが落ち込み、中学1年生の1学期から入院。
退院時、母親が迎えに来てくれ、東京で一緒に暮らすようになりましたが、母親は再婚しており、両親とも共働きで、中学時代は母親にほとんど会うことがなかったそうです。
進学した郁文館グローバル高校は、1年間の留学プログラムがあり、高校2年生の頃にニュージーランドへ留学。
留学中はホームシックになる仲間もいたそうですが、大空幸星さんはホストファミリーに温かく迎えられとても楽しかったそう。
逆に帰国後、留学先に対して、逆ホームシック状態だったといいます。
その後、母親が体調を崩し、仕事ができなくなり、そのタイミングで再婚相手とも離婚。
大空幸星さんは、バイトを3つ掛け持ちしながら、家計を支えていた時期があったといいます。
過酷な辛い日々に、留学先から帰国の2か月後に、自らこの世を去る選択が頭をよぎったと言います。
学校辞めます・・・というメールを先生に送ったら、翌朝その先生が家の前まで来ていたそうです。
先生が自分のことを心配してくれているというのは、当時の大空幸星さんにとって、心の大きな支えとなっていたそうです。
中には運や奇跡に恵まれず、理不尽な重荷を背負ったまま生きざるを得ない人もいる。そんな社会を変えたい、という思いが、NPO立ち上げの原動力になった。
という自身の過去を振り返ったようなコメントがみられます。
自身の実体験もあり、子供たちの悩みを理解したり、受け止める力を人並み以上に持ち得ているのでしょう。
余談ですが「大空幸星」という名前は本名なのだそう。
母親が再婚したことで、結果的に良い感じになったと、自身の本名についてコメントされています。
悩める人達に見つけてもらえる希望の星として活躍し続けて欲しいですね。
朝鮮学校とは?
大空幸星氏は、2023年にTOKYO MXの番組「堀潤モーニングFLAG」に出演し、朝鮮学校の高校無償化対象除外問題についてコメントしました。
補助金の使われ方について、「子どもたちへの直接的な支援になっていないのが問題で、朝鮮学校の経営が下手くそすぎる。経営が厳しいのなら、授業料を上げればよい。」という主旨の話をし、議論を呼びました。
この発言は、朝鮮学校の歴史的背景や差別問題を十分に考慮していないとして、視聴者や支援団体から強い批判を受けました。
大空幸星氏は放送後、発言の意図は「子どもの教育機会の平等」を訴えたものですが、言葉選びが不適切だったと認め、朝鮮学校の生徒たちが直面する課題について学ぶ姿勢を示しました。
以降、NPOの活動を通じて、多文化共生の重要性を強調するようになります。
この一件は、大空幸星氏の政治家としての発信力が試される出来事となり、以降のコメントでは慎重さを増しています。
Ⅹは?
大空幸星氏のⅩ(旧Twitter)アカウントは、@ozorakokiです。
2021年のアカウント開設以来、フォロワー数は数万人を超え、政治活動の拠点となっています。
投稿内容は、日常の街頭演説スケジュールから政策提言まで多岐にわたり、例えば「東京15区の教育格差解消に向け、給食の拡充を」と具体的な公約を共有します。
NPO関連の孤独防止キャンペーンも頻繁に発信し、若者からのリプライが活発です。
アカウントの特徴は、率直な語り口です。
2024年の衆院選では、比例復活当選の喜びを「支えてくれた皆さんに感謝」とシンプルに綴り、選挙中の戸別訪問疑惑についても事務所が迅速に否定。
過去の炎上投稿を振り返り、「言葉の重みを学ぶ」と反省を述べました。
また、プライベートな一面として、愛媛の地元グルメを紹介する投稿があり、じゃこ天の思い出を「上京時の感動」とユーモアを交えて語ります。
政治家としてだけでなく、人間味あふれる内容が支持を集めています。
現在、党内の外交部会副部会長としての活動もここで報告され、日中関係の毅然とした対応を訴えるものが目立ちます。
Ⅹは大空幸星氏の「声なき声を届ける」ツールとして、欠かせない存在です。
大島麻衣とは?
大空幸星氏と大島麻衣さんは、2023年の読売テレビ「そこまで言って委員会NP」での共演がきっかけで話題となりました。
テーマは「デート代は男性が奢るべきか」。
大島麻衣さんが「女の子は奢ってもらわないとデートと思わない」と主張したのに対し、大空幸星氏は「それは男女の話ではなく、年齢の話です。大島さん35歳ですよね。僕が20代で奢るのはおかしい」と切り返しました。
この発言は、ジェンダー論争を超えた年齢差の視点を取り入れ、スタジオを沸かせましたが、一部で「女性蔑視」との批判を招きました。
大島麻衣さんは元AKB48の人気メンバーとして知られ、結婚後のママタレントとしても活躍中です。
一方、大空幸星氏はZ世代の視点から「奢りは上下関係ではなく、互いの敬意」と補足。
放送後、両者はSNSで軽く交流し、笑い話として振り返りました。
このやり取りは、世代間の価値観の違いを象徴し、ネット上で「大空氏の論破が痛快」との声が広がりました。
以降、共演はありませんが、大空幸星氏はジェンダー平等の政策を推進する中で、この経験を「多様な意見を尊重する重要性」と位置づけています。
大島麻衣さんとのエピソードは、大空幸星氏のトークスキルを象徴する一幕です。
今回はここまでです。
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