萩本欽一の現在は?嫁と息子は?ビートたけしとの仲は?ファミリーや若い頃画像!

2022年4月12日お笑いタレント・落語家

コメディアン、タレントとして活躍の萩本欽一さん。

 

1941年生まれで、出身地は東京都台東区。

 

 

 

学歴は、台東区立御徒町中学校、私立駒込高校を卒業されています。

 

2015年、自身が73歳になってから認知症予防にも大学へ通いたいと思い、予備校に通った後に社会人入試枠で、駒沢大学仏教学部に入学。

 

 

2019年に自主退学とあるので、残念ながら卒業には至らなかったようですね。

 

子供の頃は父親がカメラの製造販売の会社を経営していたため、裕福に育ちましたが、その後倒産。

 

一転して、貧しい生活となり、早く両親を楽にしてあげたいと思っていたそう。

 

中学生となり、「デン助」というキャラクターで一躍有名となっていたコメディアンの大宮敏充さんに弟子入りを志願しますが、今後お笑いとして活躍するにしても知識はあった方が良いので、高校は卒業したほうが良いと断られています。

 

高校時代は学費と生活費の為、アルバイトを掛け持ちしていますが、映画館にも通って大好きなチャップリンの映画を見ていたそうです。

 

そして、高校卒業後にコメディアンを目指し、浅草にある「東洋劇場」に入りました。

 

東洋劇場をやめた後は自身で「劇団浅草新喜劇」を旗揚げ。

 

人気も浮き沈みしながら、結局、劇団浅草新喜劇を解散。

 

「東洋劇場」時代にともに劇場の幕間でコントをやっていた坂上二郎氏に一度だけ一緒にコントをやろうと言われ、1966年伝説のコントユニット「コント55号」が結成されました。

 

 

一日限りのはずが、あっという間に人気が急上昇し、「コント55号」と名前のついたレギュラー番組が各テレビ局で放送され、さらに人気は爆発。

 

1970年代に入り、それぞれで活躍する事も増え、萩本欽一さんは日本テレビ系列で放送された「スター誕生!」や、フジテレビ系列で放送の「オールスター家族対抗歌合戦」などでの司会や、「欽ドン!」「欽どこ」他、ホームコメディなどなど数多くの番組に登場しました。

 

萩本欽一さんが1週間に出演しているレギュラー番組の視聴率を足すと100%になる事が多かったことから「視聴率100%の男」という異名がつけられましたが、ビートたけしさんや明石家さんまさんなどが率いる新たなお笑いブームが起こり始めると視聴率が下がっていくようになりました。

 

この影響もあり、1980年代半ばに「欽ちゃんの仮装大賞」の司会以外のレギュラー番組を全て降板し、多くの活躍の場を原点ともいうべき舞台へ移します。

 

演芸以外にも、野球クラブの「茨城ゴールデンゴールズ」を結成するなど、勢力的に活躍を続けてきています。

 

 

 

もくじ

萩本欽一の現在は?

 

年齢も80歳代となった萩本欽一さん。

 

2021年には「欽ちゃんの仮装大賞」も「今回で私、この番組終わりね。長い間ありがとう。」とコメントを残し、テレビから一線を退いています。

 

2021年11月には、自宅で転倒し検査入院していたことが判明。

 

相棒であった坂上二郎さんも脳梗塞で自宅で倒れ、頭部を強打し、その後お亡くなりになっているので、非常に心配な出来事でした。

 

さて、現在の萩本欽一さんはといいますと、活躍の場をYoutubeに移しています。

 

 

お元気そうで何よりですね。

 

 

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嫁と息子は?

 

萩本欽一さんは、1976年に結婚。

 

奥様の方が2歳年上で、東洋劇場の看板女優、兼、ダンサーとして活躍されている方でした。

 

残念ながら2020年に先立たれています。

 

萩本欽一さんのコメディアンとしての可能性を信じ、金銭的に援助をしてくれていたそうです。

 

そしてコント55号として活躍、個人でも大活躍している頃に交際を再開。

 

長男を授かったことをきっかけに入籍されたそうです。

 

子供は息子が3人。

 

息子たちがどのような仕事をされているのかはわからなかったので、芸能人とはならず、一般人として過ごされているようです

 

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ビートたけしとの仲は?

 

お笑いタレント、司会者そして映画監督などなどマルチに活躍のビートたけしさん。

 

コント55号やドリフターズが「お笑い第一世代」といわれ、ビートたけしさんや明石家さんまさんは「お笑い第二世代」になります。

 

第二世代の登場に、世代交代となり萩本欽一さんもテレビから一線を退く形となりました。

 

萩本欽一さんも、ビートたけしさんも活動開始の場は同じ「浅草」。

 

そういった共通点があったことから、萩本欽一さんは

 

 「今や世界の北野だけど、ぼくにはそんな偉い人じゃなく、浅草の軽演劇を語る最後の人だっていう親近感があります。あまり話したことはないけど、同じアパートの隣の部屋に住んでる後輩っていう感じですかね。この前、森光子さん(享年92)の葬儀でたまたま席が隣同士だった時も、お互い、ニコッと笑いあっただけ。でも何か通じるものがありました

 

と、過去の記事でコメントされています。

 

その時代時代でお笑いを発展させるための役割をそれぞれ果たしてきたという自負がある分、萩本欽一さんの方が先輩ではありますが、ちゃんとリスペクトするところはキチンとされているのですね。

 

 

 

ファミリーや若い頃画像!

 

「欽ちゃんファミリー」と呼ばれる、ホームコメディなどで親子関係であったり、共演していた仲間たちがいます。

 

そのトップというと、小堺一機さんや関根勤さんがいらっしゃいます。

 

 

 

他にも勝俣邦和さん、

 

欽ちゃんファミリーのつながりは、一般的なファミリー同様に強い絆で結ばれているようですね。

 

最後に若い頃画像!です。

 

では早速ご覧ください。

 

萩本欽一さんの若い頃画像!←こちらから

 

「欽ちゃん走り」で、地球を何周したの?と思うほど、動きのあるコントをされていましたね(笑)。

 

今回はここまでです。
これからも、萩本欽一さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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