上柳昌彦アナのあさぼらけ!写真館とは?年収や嫁と息子は?伊集院光・新内眞衣との関係は?

アナウンサー・DJ

もくじ

上柳昌彦アナのプロフィール

 

上柳昌彦アナは、1957年8月1日生まれの大阪府大東市出身です。

 

父親が転勤族だったため、幼少期は1歳の頃から各地を転々として過ごしました。

 

 

群馬県高崎市から始まり、兵庫県高砂市、石川県金沢市、神奈川県横浜市や小田原市、東京都、鎌倉市と、約1~2年ごとに引っ越しを繰り返したそうです。

 

中学2年生でようやく東京都に定住し、落ち着いた生活を送れるようになりました。

 

このような転居続きの幼少期は、さまざまな地域の文化や人々に触れる機会が多く、上柳昌彦アナの柔軟な性格形成に影響を与えたのかもしれません。

 

学生時代は、東京都立新宿高等学校に通い、クラスでトークが面白い少年だったそうです。

 

高校の先生から「何か話すことを仕事にしたらいい」と勧められたのが、アナウンサーになるきっかけになりました。

 

部活や習い事の詳細は明らかになっていませんが、大学は立教大学法学部を卒業し、1981年にニッポン放送に入社してアナウンサーとして活躍を始めました。

 

以降、長年にわたりラジオ番組を担当し、音楽やトークに造詣が深い上柳昌彦アナは、鉄道ファンとしても知られ、東京ヤクルトスワローズのファンでもあります。

 

また、2010年には東京マラソンを完走するなど、健康管理にも熱心です。

 

 

上柳昌彦アナのあさぼらけ!写真館とは?

 

上柳昌彦アナの「あさぼらけ」は、2016年からニッポン放送で放送されている早朝のラジオ番組です。

 

月曜日は朝5時から6時まで、火曜日から金曜日は朝4時30分から6時までオンエアされ、ほのぼのとした朝の時間に新鮮な情報や音楽をお届けします。

 

 

番組名の「あさぼらけ」は、小倉百人一首の歌に登場する言葉で、夜が白々と明けていく朝の情景を表しています。

 

定年退職後も続くこの番組では、上柳昌彦アナが毎朝2時半に起床して放送に臨んでいます。

 

30歳過ぎから週1回のジム通いを始め、50歳過ぎからはジョギングで10kmを走る習慣を続け、健康を維持しているそうです。

 

「あさぼらけ写真館」とは、番組内でリスナーから投稿された写真を紹介するコーナーです。

 

ブログやX(旧Twitter)で公開され、さまざまなシチュエーションの写真が集まります。

 

例えば、横浜市のリスナーから鴨川シーワールドのオウサマペンギンの子育ての様子や、長野県のリスナーから諏訪湖の全面結氷した湖上で鴨が歩く風景、さらには羽田緑地での飛行機や多摩川スカイブリッジからの夕陽にシルエット状の富士山など、季節感あふれる写真が登場します。

 

三浦市のリスナーからは河津桜の開花写真が送られ、伊豆の本家との比較を思わせるものもあります。

 

また、流氷の写真や南行徳駅近くの海苔店の風景など、日常のちょっとした発見を共有する場となっています。

 

このコーナーは、番組のほのぼのとした雰囲気を象徴し、リスナー参加型の魅力が満載です。

 

上柳昌彦アナは、こうした写真を通じて、早朝のリスナーに癒しや話題を提供しています。

 

番組では、ゲストを迎えたトークや音楽コーナーも充実しており、2026年1月には竹下景子さんが出演した「ウルトラヒットの道標」が話題になりました。

 

著書「定年ラジオ」では、ラジオ人生のエピソードが綴られ、東日本大震災時の本番中の出来事や大物ゲストとの思い出が語られています。

 

2023年には「居場所は“心(ここ)”にある」という番組本も出版され、闘病生活や母との別れについても触れられています。

 

 

年収や嫁と息子は?

 

上柳昌彦アナの年収については、公式の詳細な情報は公表されていませんが、フリーアナウンサーとして活躍する現在、推定で1500万円程度とされています。

 

ニッポン放送在籍時は放送局社員の平均年収が300万円から800万円の幅があると言われていましたが、定年退職後のフリー転身で、ラジオパーソナリティとしての収入が主な源泉です。

 

長年のキャリアと人気番組の担当が、安定した収入につながっているようです。

 

嫁については、上柳昌彦アナは二度の結婚を経験しています。

 

最初の嫁とは、1989年頃に結婚し、新婚旅行でエジプトを訪れました。

 

帰国した成田空港で年号が平成に変わっていたことに驚いたというエピソードがあります。

 

この結婚は離婚に至り、子供の有無や離婚時期の詳細は不明です。現在の嫁とは再婚し、家族生活を大切にしています。

 

2017年に前立腺がんが発覚した際、当時の子供たちは高校生と中学生で、家族の支えが回復の力になりました。

 

がんは初期段階で発見され、手術後、仕事に復帰しています。

 

また、2022年には下垂体腺腫の手術も経験しましたが、予後は良好です。

 

息子については、2003年生まれの長男がいます。

 

長女は2001年生まれで、兄妹の仲も良いそうです。

 

長男については、生まれながらに自閉症という話があります。

 

これは、上柳昌彦アナが2016年に自身の番組「あさぼらけ」で朗読した詩やゲストとの関連コーナーで明らかになった内容です。

 

当時、相模原の障害者施設殺傷事件の直後に緊急出版された手記『障害を持つ息子へ』(著者:神戸金史さん)の著者を番組に迎え、上柳昌彦アナがその本の冒頭に掲載されている詩『障害を持つ息子へ』を朗読しました。

 

詩の内容では、著者の長男が「脳の機能障害『自閉症』を生まれながらに持っている」と記されており、上柳昌彦アナはこの朗読を通じて、障害を持つ子を持つ親の思いや社会の課題に深く触れ、リスナーに大きな感動を与えました。

 

番組ブログやニッポン放送のニュース記事でもこのエピソードが詳しく紹介され、SNS上で反響が広がったそうです。

 

上柳昌彦アナ自身の長男について、公式に自閉症であると直接明言した記録は見当たりませんが、番組でこうしたテーマを積極的に取り上げ、障害を持つ子を持つ親の視点に寄り添う姿勢を強く示していることから、家族の状況に関連づけて語られることがあります。

 

自身のがん発覚時は、子供たちの将来を心配した上柳昌彦アナですが、家族の絆が深まった出来事でした。

 

プライベートでは、読書や映画、落語を楽しむ上柳昌彦アナですが、家族との時間を大切にしている様子が番組や著書からうかがえます。 

 

 

伊集院光・新内眞衣との関係は?

 

上柳昌彦アナと伊集院光さんとの関係は、ニッポン放送での長年の共演が基盤です。

 

1980年代半ば、上柳昌彦アナが深夜音楽番組を担当していた頃、伊集院光さんの存在を知り、以来の仲です。

 

2019年の「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」では、伊集院光さんが上柳昌彦アナの嫁との出会いエピソードを誤って語ったため、上柳昌彦アナがスタジオに乱入して訂正するという出来事がありました。

 

これは、社内をローラースケートで滑っていたバイトさんとの結婚話が混同されたためで、仲の良さがうかがえるエピソードです。

 

伊集院光さんは上柳昌彦アナを「スッキリと剃り上げてるハゲのオッサン」と冗談めかして呼ぶこともありますが、互いにリスペクトし合っています。

 

2023年の番組では、伊集院光さんがニッポン放送でラジオの基本を学んだと語り、上柳昌彦アナとの対談も実現しました。

 

2024年の番組本発売イベントでも、こうした関係性が話題になりました。

 

新内眞衣さんとの関係は、ニッポン放送の関連会社での先輩後輩です。

 

新内眞衣さんはOL兼任アイドルとして入社し、上柳昌彦アナが定年後にフリーで同じ会社に入ったため、「年上の後輩」というユニークな間柄になりました。

 

 

2021年の乃木坂46卒業発表では、上柳昌彦アナが聞き役として登場し、新内眞衣さんの涙を支えました。

 

番組冒頭から呼び鈴を鳴らして助けを求められ、孫のような立場で6年間見守ってきたそうです。

 

2022年の卒業記念イベントでは、ニッポン放送をハイジャックするようなプロモーションで協力し、写真集「夜が明けたら」の宣伝をサポートしました。

 

新内眞衣さんは上柳昌彦アナを「公認・親戚のおじさん」と呼び、互いに番組でネタにしています。

 

2023年の番組本発売では、新内眞衣さんがサプライズで祝福コメントを寄せ、ご縁を大切にしたいと語りました。

 

この関係は、乃木坂46ファンからも好感を持たれています。

 

今回はここまでです。
これからも、上柳昌彦アナの活躍を期待しています。
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