高田文夫と有吉・太田光・たけしとは?現在コロナは?バウバウとは?事務所は?

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放送作家、タレントとして活躍の高田文夫さん。

 

1948年生まれで、出身地は東京都渋谷区。

 

 

学歴は、世田谷区立塚戸小学校、世田谷区立船橋中学校を卒業。

 

高校は日本学園高校へ入学・卒業し、大学は日本大学芸術学部放送学科を卒業されています。

 

小学生時代より放送作家になりたいとすでに決めていました。

 

きっかけは、当時フジテレビ系列でお昼に放送されていた「大人の漫画」という番組が大好きで、その番組の放送作家が俳優かつ東京都知事としても活躍された青島幸男さんでした。

 

青島幸男さんにあこがれ、小学生時代の作文に「将来青島幸男になる」と書いていたそうです。

 

小学生時代から将来どんな職業になるのか決めてしまうこともさることながら、面白いテレビ番組を見てただ面白いと笑っているだけではなく、どんな人がこの番組を作っているのだろうと、小学生がそこに目をつけるという点でもすごい人だなぁと感じます。

 

高田文夫さんの放送作家としてのデビュー作品は、1973年フジテレビ系列で放送された「ひらけ!ポンキッキ」でした。

 

現在でもガチャピン・ムックが活躍している、多くの子供たちが見ていた大ヒット番組を作っていたのですね。

 

 

高田文夫と有吉・太田光・たけしとは?

 

高田文夫さんに関連する人物としてまず「有吉」という名前が見られました。

 

「有吉」というと、お笑いタレント・司会者として活躍の有吉弘行さん。

 

 

有吉弘行さんは森脇和成さんと組んでいた、お笑いユニット「猿岩石」を解散後、鳴かず飛ばずの時期が3年ほど続きました。

 

その時に高田文夫さんが自身のラジオ番組にゲストとして幾度も呼んでくれ、「いいぞ、いいぞ、有吉」と褒めてくれ、その時期を支えてくれていたそうです。

 

有吉さんの今の活躍があるのは、高田文夫さんの存在があったからなのですね。

 

そして、次にお笑いユニット「爆笑問題」で活躍の太田光さん。

 

高田文夫さんと太田光さんの関係は、お笑いコンビの相方…!?

 

 

あれ?相方の田中裕二さんはどうしたのでしょう?

 

爆笑問題として高田文夫さんがニッポン放送で放送の「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」の企画である寄席に出演予定でしたが、田中裕二さんが脳梗塞により自宅療養中だったことから、太田光さんのみの出演となりました。

 

この公演のためだけに結成された特別なコンビを見ることができた方は、本当にラッキーでしたね。

 

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最後に高田文夫さんと、たけしさんとの関係です。

 

「たけし」さんというと、お笑い界の大御所「ビートたけし」、そして映画界では北野武として巨匠と呼ばれる活躍をされている方のことですね。

 

 

高田文夫さんはたけしさんの出世作となる番組を数多く制作、ゴールデンコンビでした。

 

その一部としてテレビでは「オレたちひょうきん族」、「北野ファンクラブ」、ラジオでは「ビートたけしのオールナイトニッポン」があります。

 

高田文夫さんとビートたけしさんをつないだのは、ポール牧さんと青空球児さんでした。

 

当時、高田文夫さんはポール牧さんに台本を書いていましたが、ある日「同年代の人ともやってみたいなら…」と、ビートたけしさんと石倉三郎さんの話をしてくれたそうです。

 

そこで浅草へ出向き、ビートきよしさんとのコンビ「ツービート」を見たのが、たけしさんとの初めての出会いとなりました。

 

 

高田文夫さんのたけしさんの第一印象は、「面白いけど、毒舌・センスがとがりすぎ。どうやったら本当に売れるようになるかな?」と悩んだそうです。

 

ファーストコンタクトは、NHKのインタビューだと偽りの話を作り、呼び出したのだそうです(笑)。

 

そこから二人はほぼ毎日顔を合わせていたというほど、二人三脚であゆみ始め、それまでとは違うお笑い界の新しい波を作りました。