瀬古利彦が嫁と結婚する前の一波乱とは?4人の息子は何してる?

元マラソン選手として活躍の瀬古利彦さん。

TBS系列で放送の日曜劇場陸王」のモデルでは?とされている人物です。

元々は、マラソン選手ではなく、プロ野球選手をめざしていたんだそうです。

しかし、残念ながら肩を壊してしまったことで、中学の頃、陸上界へ転向。

中学・高校で、みるみるその頭角を現しました。

大学はいくつかの推薦話がありながら、一浪して早稲田大学へ。

卒業後は、大手食品会社の「S&B食品」に入社。

そして1980年、自身が24歳と乗りに乗りきっている年齢の年に行われたモスクワオリンピック。

ソ連(現:ロシア)のアフガニスタン侵攻により、日本はオリンピック出場をボイコットする事態に。

その後のロサンゼルス、ソウルオリンピック出場を果たしますが、コンディションの悪さで思うような成績を残すことが出来ませんでした。

モスクワオリンピックに出ることが出来ていたら…と思ってしまうのは私だけでしょうか?

では、本題です。

瀬古利彦は?

瀬古さんのお嫁さんとなった方は、瀬古美恵さん。

瀬古さんがなんと、6度目にお見合いした方でした。

初デートの様子を雑誌社にキャッチされ、記者とその上司と話し合いの場を持つことに。

その時の瀬古さんは、多くの事柄で思い詰めていました。

周囲から熱い期待が寄せられていた1984年のロサンゼルスオリンピックは、思惑外れの14位という結果。

二人三脚で歩んできた当時ヱスビー食品の監督であった中村清さんが、

瀬古選手のプライベートをしっかり支えてくれるお嫁さんは公募する!と言い出し、

さすがの瀬古さんも嫁さんぐらいは自分で決めたいと追い詰められていたようです。

でも、監督の声を聞いた女性から届いた写真はなんと段ボール箱一箱にもなったそう。

瀬古さんの当時の人気ぶりが伺えますね。

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熱愛スクープ記者との交渉

記者からの初デート写真を出され、追い詰められた瀬古さん。

記者とその上司に、「写真が掲載された時点で引退します。」と強気な言葉を返しました。

それを聞いた出版社側は、困り果て、1984年11月に行う婚約発表(結婚式は6月14日に行われていた。)まで掲載を見送ってくれたのです。

今と違って(!?)昔はしっかりスター選手を守る風潮があったのですね。

監督は結婚に反対?不慮の事故とは?

監督は自分が選んでいないを、始め不満に思っていたようです。

結婚前に瀬古選手のために料理や強いメンタルを保つためにして欲しいこと、多くを奥様に告げていたそうです。

そんな監督の話に奥様は「面白く、素晴らしい方」と愚痴一つこぼすことなく聞いていたそうです。

しかし、監督との別れが突然にやってきます。

監督の趣味の一つである、川釣り最中、川へ転落し、帰らぬ人となってしまいました。

亡くなる前に、瀬古選手のために、大切な事をしっかり引き継いで、責任を果たしてこの世を去ったのでしょうね。

次ページは4人の息子は何してる?長男がガン? についてです。



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