山本譲二と松居直美の歌は綾小路が!現在大腸がんは?嫁と娘は?北島ファミリー破門?
演歌歌手として活躍の山本譲二さん。
1950年生まれで、出身地は山口県下関市。
学歴ですが、下関市立養治小学校、下関市立日新中学校、私立早鞆(はやとも)高校を卒業されています。
高校卒業後、地元下関の会社に勤めていましたが、演歌歌手になりたいと思い上京。
上京してもまったく「つて」はありませんでしたが、21万円もっていたそうで、これだけあれば何でもできると思い込み、怖いもの知らずの気持ちだったそうです。
しかしあっという間にお金は底をつき、電気代が支払えなかったり、2日間何も食べることができないこともあったそうです。
飲食店のボーイのバイトをしていたある時、たばこの吸い殻がたくさん入ったビールの飲み残しを飲み、肝臓を壊してしまったため、帰郷し療養。
母親の後押しもあり、再び上京し、スナックで流しをしていると作詞作曲家として活躍の浜圭介の目にとまりスカウトされ芸能界入り。
1974年に公開された映画「ダーティハリー」の題名をもじって「伊達春樹(だて はるき)」という芸名で「夜霧のあなた」という曲でデビューしました。
しかし、鳴かず飛ばずの記事が続きました。
そして「歌手として売れるためにはもう、あの人のところへ行くしかない!」と新宿コマ劇場にいた北島三郎さんの元へ向かいます。
当時を振り返り、山本譲二さんは「あの頃は若さというか、バカさというか…(笑)」と語っています。
何度か弟子入りを断られましたが、ある時北島三郎さんから「何かスポーツをやっていたのか?」と聞かれ「野球やってました。甲子園にも行きました。」というと北島三郎の目つきが変わったといいます。
当時、北島三郎さんは自分が持っている野球チームを強くしたいと思っていたそうで、弟子入りを許可したそうです。
しかし、後に北島三郎さんは「野球チームが強くなるほど、山本譲二さんに指導力がなかった。だまされた(笑)。」という趣旨の冗談交じりのトークを番組でしていました。
結果的には、ヒット曲を飛ばす大物演歌歌手に育ってくれてよかったですね。
北島三郎さんから、ダイヤモンドが付いたロレックスの時計を貰ったこともあるのだそう。
本当に一番弟子としてかわいがられているのですね。
もくじ
山本譲二と松居直美の歌は綾小路が!
お笑いタレントとして活躍の松居直美さん。
2021年に山本譲二さんは松居直美さんと異色のユニットで、デュエット曲をリリースされました。
https://twitter.com/ameba_official/status/1387715321868406786?s=20
デュエット曲の題名は「事実は小説よりも奇なり」。
楽曲制作にあたったのは、ロックバンド「氣志團」のボーカル綾小路翔さん。
楽曲制作の依頼を受けた綾小路翔さん、初めは本当に自分に来た仕事で間違いないのか?と驚いたのだそう。
北島ファミリーの一員である山本譲二さん。
北島三郎さんは50回出演した紅白歌合戦の中で一番嫌だった共演者として「DJ OZMA」を挙げています。
「DJ OZMA」の登場の仕方が卑猥に感じ、大切に思ってきた紅白の舞台が汚されたと感じたのだそう。
このDJ OZMAって…綾小路翔さんのことですよね(笑)。
後に北島三郎さんも「彼らはあれが仕事」と理解を示されていますが、北島ファミリーの楽曲制作に呼ばれるとは、綾小路翔さんも夢にも思っていなかったでしょうね。
そして、山本譲二さんもデモテープを初めて聞いた時、「これは俺が歌う曲じゃないだろ~」と冗談だと思ったそうです。
令和時代の大ヒットデュエット曲として名をのこすことになるといいですね。
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現在大腸がんは?
2019年7月、山本譲二さんは大腸がんであることを公表しました。
大腸がんを発見した際、がんは7cm、腸閉塞も併発していたためそのまま緊急入院し、大腸を20cm切除。
その後、転移は見られず、現在のところ再発はないそうです。
2009年には右の耳の鼓膜の奥を通る顔面神経に腫瘍が見つかり、「顔面神経良性腫瘍」と診断。
腫瘍を摘出すると顔面麻痺の後遺症が残る恐れがあったため温存したそうです。
その影響もあり、現在は右耳だけではなく、左耳まで聞こえづらい状態で、イヤホンモニターの音量を最大にするとようやく聞こえる程度の聴力なのだそうです。
まだ70歳代となったばかり。体調管理を優先してもっともっと新曲をリリースしてファンを楽しませ続けて欲しいですね。
嫁と娘は?
山本譲二さんは1987年に結婚。
お嫁さんとなった方は女優として活躍されていた植木悦子さん。
出会った時は、植木悦子さんの方が売れっ子女優でしたが、山本譲二さんの方は「みちのく一人旅」がヒットし、ようやく名前が売れ始めた頃でした。
山本譲二さんの下積み時代を奥様がしっかり支えていらっしゃったのですね。
北島三郎さんからのれん分けを宣言され、独立されてからは、山本譲二さんの個人事務所の経理をされているそうです。
山本譲二さんは亭主関白な印象ですが、2011年に奥様が乳がんとなった時から家事も率先して手伝うようになったそうです。
過去には山本譲二さんの不倫により、離婚の危機もあったそうですが、今は夫婦でしっかり支えあっているのですね。
娘についてですが、山本譲二さんには娘が二人います。
長女は、歌手、声優として活躍の山本琴乃さん。
大魔神カノンというアニメの挿入歌「いのりうた」など歌っていました。
2012年に本人の都合により活動休止。その後2016年にご結婚。2017年には男の子が誕生されています。
ご自身は1100gという低体重児として生まれましたが、障害もなく成長されたという話です。
現在はママ活動を優先されているようですね。
そして次女は「妹果(まいか)」さん。
次女は芸能界に入ることはなく、大手企業にお勤めという話です。
次女は山本譲二さんの事が大好きで、成人しても父親と一緒にお風呂に入るのは抵抗がないとトーク番組で語られています。
お仕事の都合上、家を空けることもあったと思いますが、良き父親として娘たちと接して来た証ですね。
北島ファミリー破門?
山本譲二さんは北島ファミリー第一号でしたが、2006年に行われた北島三郎さんの古希と「芸道45周年」を祝うパーティーの締めの挨拶で、北島三郎さんは2007年から山本譲二を暖簾分けし独立させると宣言。
その話は山本譲二さんにとって青天の霹靂状態だったようで、驚きつつも頑張ると挨拶をしていたそうです。
突然暖簾分けを言い渡された感じだったため、何かしら確執が生じ、破門となったのでは?という噂もみられましたが、業務提携は続けるということです。
独立後もトーク番組で共演し相変わらずの愛弟子扱いをされる様子がみられるので、「破門」されたわけではありませんのでご安心を。
北島ファミリーから暖簾分けしたのは、山本譲二さんだけではなく後に、和田青児さんや小金沢昇司さんがいます。
独立しても問題なく活躍できる方ばかりですね。
今回はここまでです。
これからも、山本譲二さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!
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