保科有里結婚した夫は?石田社長の愛人?愛車が悲劇!実家が破産?若い頃や現在は?ヒット曲や本名は?

2026年3月31日歌手・音楽家

保科有里さんのプロフィール

 

保科有里さんは、1961年11月24日生まれ、石川県金沢市出身の歌手です。

 

本名は嶋一美さんで、身長163センチメートル。

 

 

独身で、現在は夢グループに所属し、歌手活動のほか通販CMなどで幅広く活躍されています。

 

幼少期から多彩な才能を発揮され、踊り、琴、オルガン、ピアノを習い、民謡では民舞の名取を取得されました。

 

 

金沢大学附属小学校、金沢大学附属中学校を経て、石川県立金沢西高校を卒業されています。

 

生家はクリーニング店で、妹さんがいらっしゃる4人家族でした。

 

小学校2年生の頃にはそろばん3級に合格するなど、努力家の一面も見せていました。

 

高校卒業後は、地元の日産プリンス石川販売株式会社に就職し、給与計算や社長の運転手として勤務されました。

 

給与計算ではソロバンを使っていたというエピソードもあり、当時の時代を感じさせます。

 

歌手になるつもりは当初ありませんでしたが、歌が好きで地元の盆踊り大会やのど自慢大会に出場し、金沢地区でチャンピオンになるなど素質を発揮していました。

 

1982年にはNHKのど自慢金沢地区大会で「シルエット・ロマンス」を歌い優勝するなど、学生時代から歌の才能が光っていました。

 

高校2年生の頃、フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』に合格したのを機に歌謡学校に通い始めました。

 

27歳の頃に上京を決意し、作曲家の三木たかしさんに師事。

 

運転手やかばん持ちをしながら2年半の下積み時代を過ごし、師匠のアドバイスを聞きながら歌を学ばれました。

 

1993年に「神無月に抱かれて」でソニーレコードより歌手デビューを果たされました。

 

 

保科有里結婚した夫は?

 

保科有里さんの結婚についてですが、これまで結婚歴はありません。

 

自動車会社勤務時代は女性社員が少なくモテていたそうですが、芸能活動を始めてからも交際はあったものの結婚には至らず、現在も独身です。

 

恋愛については「しばらくない」と話されるなど、仕事に集中した日々を送られています。

 

石田社長の愛人?

 

夢グループの石田重廣社長との関係については、CMでの共演から「愛人」疑惑がネットなどで囁かれることがあります。

 

保科有里さんはCMで「社長ぉ~、安くしてぇ~」など甘えた声で合いの手を入れ、話題を集めました。

 

当初は本気で前向きな演出ではなかったそうですが、視聴者からの「わざとらしい」という声を受けて、収録前に発声練習を重ね、2オクターブほど高い声が出るよう努力されたそうです。

 

しかし、保科有里さんご本人はこの疑惑を明確に否定されています。

 

 

石田重廣社長とは「ビジネスパートナー」であり、「働いた分だけお給金を頂く従業員」と位置づけています。

 

石田社長も「良きパートナー」「ビジネスパートナー」と公に述べ、愛人説を否定。

 

事務所の歴史はもともと兄弟歌手ユニット「狩人」のマネージメントから始まり、後に通販事業を展開。

 

大物アーティストが所属する芸能事務所としての側面も持っています。

 

保科有里さんは所属タレントとしてコンサートやCMで活躍し、互いに信頼関係を築かれています。

 

 

愛車が悲劇!

 

保科有里さんの愛車が悲劇に見舞われた出来事もあります。

 

2026年3月頃、駐車中に愛車の前後左右のドアすべてに数十センチにわたる横一線のひっかき傷がつけられる被害を受けました。

 

 

悪意を感じる傷に「人生ムシャクシャしてる人なんだろうな」とショックを隠せなかったそうです。

 

高級車ではないと謙遜されつつ、フォロワーからは心配と応援の声が寄せられました。

 

このようなトラブルにもめげず、活動を続けられています。

 

実家が破産?若い頃や現在は?

 

若い頃の実家破産は、保科有里さんの人生に大きな影を落としました。

 

23歳の時、父親の経営するクリーニング店が破産。資金繰りが厳しくサラ金15社から借金があったそうです。

 

これをきっかけに両親は離婚し、家は抵当に入りました。

 

借金取りが勤め先に訪れるなど苦しい状況で、保科有里さんは親戚からお金を借り、返済に奔走。

 

 

父親の病気がちな体を心配し、保険料や床屋代などを肩代わりし続けました。

 

歌手としてのスカウト話も何度かありましたが、不安定な芸能界より安定した収入を優先し辞退されたそうです。

 

27歳で借金の完済が見えてきた頃、1年の期限付きで上京を決意。

 

レッスンは数回しか受けず、かばん持ちや運転手をしながら師匠の話を聞いて学ぶ日々でした。

 

上京から3年が経ち、金沢に帰郷を考え始めた頃、ホテルのラウンジで歌う姿を石田重廣社長に見出され、夢グループに所属。

 

苦労の末、現在の活躍につながりました。

 

事務所から給料未払いを受けた時期もあったそうですが、歌手の夢を諦めず前進されました。

 

 

ヒット曲や本名は?

 

保科有里さんのヒット曲としては、1993年のデビュー曲「神無月に抱かれて」が代表的です。

 

作詞は荒木とよひささん、作曲は三木たかしさんで、情感豊かな歌声が印象的です。

 

その後も「NE-KO/愁止符」「グッバイ・ソウル」「ラブ・バラード」「さくらの花よ泣きなさい」などリリースを重ね、2008年の「さくらの花よ泣きなさい」では第一回作曲家協会音楽祭奨励賞を受賞されました。

 

演歌ではなく歌謡曲からジャズまで幅広いジャンルを歌いこなす実力派で、大ヒットに恵まれなかった時期もありましたが、31年以上歌手活動を続けられています。

 

興味深い点として、2020年末には胆のうを患い腹腔鏡手術で摘出されたことがあります。

 

 

また、声帯ポリープの手術を3回経験するなど、喉の弱さを自覚しつつ、歌の前後はお酒を控えるなど体調管理に努められています。

 

 

現在も「夢のスター歌謡祭」全国ツアーなどでコンサート活動を続け、YouTubeチャンネル「ゆりねえチャンネル」では歌やトークを配信。ファンとの交流を大切にされています。

 

保科有里さんは挫折と奇跡の繰り返しの中で、明るく前向きに歩んでこられました。

 

CMでのユニークなキャラクターや、歌への情熱が多くの人を魅了しています。

 

今後も健康に気をつけながら、さらなる活躍が期待されます。

 

今回はここまでです。
これからも、保科有里さんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!

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