ミサコ・ロックス漫画画像!旦那と子供は?本名・学歴やブログは?モチベーショナルスピーカーとは?
漫画家、モチベーショナルスピーカーとして活躍のミサコ・ロックスさん。
1977年生まれで、出身地は埼玉県加須市。
学歴は、2001年3月に法政大学文学部英文学科を卒業。
1999年から一年間、アメリカミズーリ州トルーマン州立大学奨学金派遣留学をされています。
17歳の頃にも、父親と卒業旅行という名目で渡米されています。
ミサコ・ロックスさんが、アメリカにあこがれを抱くようになったのは、小学生の頃に見た映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」でした。
アメリカ人俳優のマイケル・J・フォックスさんが演じる主人公は、高校でいじめにあっていますが、タイムマシンで過去に戻り、人生の大逆転を図るという内容(ネタバレになるので、詳しくお伝え出来ません。ご了承ください…)。
ミサコ・ロックスさん自身も小学校1年生の頃からいじめにあっており、友達も一人くらいしかおらず、ハリウッド映画を見て過ごしていたのだそう。
「バック・トゥー・ザ・フューチャー」で見たアメリカの高校生活の「自由で開放的」とマイケルの可愛らしさに心を奪われたといいます。
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— コスモポリタン 日本版/Cosmopolitan JP (@cosmopolitanjp) October 26, 2021
中学生になり「どうしたらアメリカに行けるのか?」を調べ始め、法政大学にはアメリカ留学のための費用と学費を1年間出してくれるという制度を発見。
見事、法政大学の入学とミズーリ州への留学という目的を達成し大喜びしましたが、実際留学してみると、アメリカのど田舎で人種差別もあり、今まで思い描いていたアメリカのイメージとはかけ離れたものでした。
しかし、アメリカへのあこがれの気持ちは消えることはなく、日本で舞台「ライオン・キング」を見て、ミュージカルの都ブロードウェイで人形師になろうと思い描きます。
それに対し、両親は賛成しなかったといいます。
両親は警察官。自分たちと同じように安定した職業について欲しいと願っていたそうです。
そのため、旅費と滞在費は自分でバイトをして貯め、ニューヨークの数多くの劇団に電話でコンタクトを取りまくりました。
ようやく小さな劇団ではありましたが、美術スタッフとして働くインターンを獲得し、2001年に大きな夢を抱いて、アメリカニューヨークへ。
しかし、2001年アメリカニューヨークでは「9.11同時爆破テロ」という史上最悪の事件が起こりました。
ニューヨークはパニック状態が続き、劇場は長期間休演を余儀なくされ、給与も支払われなくなり、挙句の果てにオーナーに部屋を追い出されてしまいました。
仕方なく公園で暮らし、路上にあった食べかけのベーグルやサンドイッチをかじった跡のない方から食べるなどして、飢えをしのいだといいます。
その後、公園によく来ていた人が自分の家の一室をシェアする形での同居を提案してくれ、およそ1ヶ月のホームレス生活から脱却。
中学校で美術を教えたり、美術館の受付のバイトをするなど掛け持ちで働き、生計をたてなおします。
その頃、イケメンなアメリカ人と仲良くなり、国際結婚(詳細は後ほどお伝えしますね)。
しかし、結婚生活はうまくいかず、さらに7つもの仕事を掛け持ちしないと生計が成り立たない状態だったそうで、仕事のストレスも重なり、不眠症に悩まされ、睡眠薬と精神安定剤の量も増え、心身共にどん底状態に陥ってしまいます。
28歳の頃、人生の転機を一人の少年が運んできました。
ウィスコンシン州にある子ども博物館のバイトをしている時に男の子が英語版のドラゴンボールを片手に「日本人なら、この漫画知ってる?」と尋ねてきます。
その漫画どこで手に入れたの?と質問したところ、「図書館には日本のマンガがたくさんあるんだよ」と教えてくれました。
図書館へ行ってみると本当に日本のマンガがたくさん置いてあり、それを見てミサコ・ロックスさんは
「こんな田舎でも日本のマンガが人気あるんだったら、自分もマンガを描くことで一旗あげれるはず!」
と根拠あやふやな確信にいたりました(笑)。
美術系の仕事をしてはいましたが、それまでマンガを描いたことはなかったので、一から独学でマンガを勉強。
これまでの自身の波乱万丈な人生や、旦那との出会いから離婚までの話などを題材にマンガを描きました。
出版社に何度も掛け合いますが、なかなかデビューすることはなく、マンガ家になる決心をしてからおよそ2年。
2006年の30歳となる頃にしてようやく、ディズニー系列の出版社である「ディズニー・ハイペリアン出版会社」から出版OKとの連絡が来ます。
渡米してから、何度となく挫折感を味わい、涙を流す日々を過ごしながらも、それでも日本へ帰国をせず前向きにチャレンジし続けたのは、反対した親への意地もありますが、他に大きな理由がありました。
それは、17歳の頃に幼なじみが、渡米後の活躍を応援してくれていたいとこが急逝。
また、9.11の同時爆破テロも間近でおこり、大切な人との突然の別れを経験したことでした。
「明日があるとは限らない」今、生きているだけでも幸せな事で、やりたいことがあるならチャレンジしないともったいない!と、悲しみはチャレンジするためのパワーに変わり、背中を押してくれているといいます。
現在は作画活動の他に、自身の体験をもとにアメリカ全土の小中学校で講演会を行い、自身のモットーとしている
“If you put your mind to it, you can accomplish anything”(成せばなる、何事も!)
を子供たちに熱く伝えています。
2010年には日経ウーマン「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」の1人に選出。
アメリカでもミサコ・ロックスさんのマンガの連載がアジア向けの英語教科書に採用されたり、2014年に出版した自身の恋愛・留学体験を綴ったマンガ「Rock and Roll Love」が、NY公立図書館が選ぶ「ベスト・ティーンズ・ブックリスト」選ばれています。
米国で唯一の日本人漫画家として、今やアメリカの10代を中心に大人気に。
ちなみに日本では生島ヒロシさんの「生島企画室」に所属されています。
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もくじ
ミサコ・ロックス漫画画像!
アメリカで大人気のミサコ・ロックスさん。
どんな作画をされているのか、とても気になります。
では、ご覧ください。ミサコ・ロックスさんの漫画画像!
https://twitter.com/MisakoRocks/status/1330510240324980740?s=20
Manga uniform Drawing Challenge! If you like to entry, please tag @MisakoRocks on Instagram!! Can't wait to see your design!!!!😍🤩 #bounceback #manga #drawingchallenge #fashiondesign #kawaiioutfit pic.twitter.com/w9wPcPrzy7
— Misako Rocks (@MisakoRocks) March 7, 2021
出版社に何度もダメ出しをされながら、アメリカ受けする作画を勉強し、今に至っているそうです。
とっても可愛らしいマンガですね。
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旦那と子供は?
始めにもお伝えしましたが、ミサコ・ロックスさんは、マンガ家としてデビューする前の2002年に結婚されています。
元旦那は、売れないミュージシャン。
出会いは、スーパーマーケットの自転車置き場で、ミサコさんの自転車と元旦那がヴィンテージバイクを隣同士で停めていたことでした。
元旦那はとってもイケメンで、これはきっとダイヤの原石だ!と感じ、その場で電話交換をし交際に至ったそうですが、原石のままだったようです(笑)。
結婚を機に、ウィスコンシン州マディソンというアメリカでは比較的田舎といわれる地域に移り住みました。
結果的にはそこの美術館で少年と運命的な出会いをするわけですから、元旦那との出会いもミサコ・ロックスさんにとっては必要な流れだったのかもしれません。
2007年に離婚が成立。
その後、クリストファー・ジルキーさんこと愛称「クリリン」と出会い、ニューヨークブルックリンへ移り住みます。
日本出発前にクリリンとセントラルパークで散歩。Nice little walk in Central Park 😉 #NYC #CentralPark pic.twitter.com/pOW9qwrBiV
— Misako Rocks (@MisakoRocks) June 19, 2017
クリリンの方が5歳年下なんだそうです。
とっても幸せそうですね。
本名やブログは?
ミサコ・ロックスさんの本名は、高嶋美沙子さんといいます。
母校である、法政大学のインタビュー記事には、本名で記載されていました。
そして、ブログについてですが、アメブロにあります。
ブログの題名は「ミサコ・ロックス!NY毒舌ライフ」といいます。
落ち込んでいる時でもそうじゃない時でも、読むと元気が湧いて、うきうきしてくるようなブログです。
アメリカの男性をゲットしたい、日本人女性の皆さんの指南書ともなりそうですよ(笑)。
ぜひ、ご覧くださいね。
モチベーショナルスピーカーとは?
ミサコ・ロックスさんのマンガ家以外のもう一つの活躍として「モチベーショナルスピーカー」というのがあります。
一体、どんなお仕事なのでしょうか?
調べてみますと、多くは公演活動を通して自身のユニークな経験や成功体験を伝え、聞いている人たちにチャレンジ精神や、刺激・変化のある日々楽しいと思える日常を手に入れるにはどうしたらよいのかという気持ちを呼び起こさせるような活動家の事のようです。
アメリカでは資格などは必要なく、今日から私はモチベーショナルスピーカーですと思えばそれでなれるそうです(笑)。
モチベーショナルスピーカーには、一回の講演で数百万を稼ぐ人もおり、まさに「アメリカンドリーム」の世界。
ミサコ・ロックスさんがモチベーショナルスピーカーとなったきっかけは、美術を専攻されている学生に日本の芸術、文化について中心に講演したことでした。
講演後の質問の時間には、文化についての詳細の質問は少なく、「何度となく失敗してもチャレンジし続けた理由は?」とか「今、チャレンジしてみたいことが見つからない。何かアドバイスを」といったような、メンタル・モチベーション系の質問が多かったそうです。
運命のいたずらでホームレス生活を送ったり、失敗を重ねてもチャレンジし続けた波乱万丈の人生が、今では多くの人たちに刺激を与えるようになったのですね。
私も努力しよう~!って思いました(笑)。
今回はここまでです。
これからも、ミサコ・ロックスさんの活躍を期待しています。
次の記事もおたのしみに!
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