残間里江子のブログは?夫と息子は?山口百恵・生島ヒロシとは?病気で失明?若い頃画像!

2021年5月21日クリエイター・声優・キャラクター, ジャーナリスト・教育者・コメンテーター

出版・映像など主に文化界でフリープロデューサーとして活躍の残間里江子(ざんまりえこ)さん。

 

1950年生まれで、出身地は宮城県仙台市です。

 

 

両親は国鉄職員として勤務の傍ら、父親は共産党を中心に、 母は「母親大会」を基盤に市民活動をされている人でした。

 

残間里江子さんが生まれる1949年~50年頃、アメリカ占領軍の指示により、政府や企業が日本共産党員とその支持者を解雇することとなり、父親も対象に。

 

父は東北各地に土木関係の仕事で出稼ぎへ、母親は保険の外交をしていましたが、収入がままならず、新天地をもとめて残間里江子さんが中学生になる時静岡県富士市へ引っ越しました。

 

給食費を3か月滞納してしまうこともありましたが、もっと困っている人がいるからと家のお金をもって助けにいく両親だったそうです。

 

小学・中学時代は、心臓弁膜症と関節リウマチの治療のため、年間100日は入院生活だった時期がありました。

 

高校は県内になる女子高校へ、大学は明治大学短期大学部を卒業。

 

大学卒業後、静岡放送にアナウンサーとして入社。

 

東北弁を直したいと大学時代にアナウンスアカデミーに通っていましたが、生徒の大半がアナウンサー志望だったことから、自身もアナウンサーを目指すようになったといいます。

 

エントリーシートに社内に知人がいれば書くという欄があり、名前を知っているんだから知人とそう変わらないと会社案内に書いてあった「会長」の名前を書いて提出。

 

面接時に「この中に会長はいますか?」と聞かれ「この中にはいらっしゃらないと思います。」と答えると「この人が会長です。」といわれ、知人ではないことがばれてしまったそうですが、しっかり採用されてよかったですね。

 

静岡放送はたったの2年で退職。

 

「職場からも2年ならまだ新人なんだからもう少し職場にのこって頑張りなさい」と引き止められていたそうです。

 

しかし、さらなる成長を望み、東京を目指します。

 

しかし、なにかのつてがあったわけでもなく、スーパーなどでアナウンスのバイトをしながら次の職探しをしました。

 

東京では「一日10人と出会う」という目標を掲げ、ある日芸能リポーターとして活躍の前田忠明さんと飲食店にいるときに出会い、それがきっかけで光文社に入社し「女性自身」で記者として働くきっかけをつかみました。

 

光文社では、22歳の夏から5年3カ月勤務。

 

その後、編集者として活躍しさらには財務省、国土交通省、法務省などで委員を担当し、政治の一端にかかわることもありました。

 

色々残間里江子さんに調べていると、多くの方からの信頼が厚い方なのだなと感じました。

 

 

残間里江子のブログは?

 

残間里江子さんのブログは、残間里江子さんが立ち上げた大人のネットワーク「club willbe」の公式サイト内にあります。

 

その中には「失敗記念日」というお話もあり、数々の残間里江子さんの失敗談が書かれています。

 

もし、自分が何かを失敗して落ち込んでいても、世の中物事を失敗しているのは自分だけじゃないんだ、もっと大きな失敗をしてしまっている人がいるんだ…と、残間里江子さんのブログを読んでいて励まされるかもしれません。

 

他にも、残間里江子さんのブログを読んでいて、失敗やおっちょこちょいな自分でもできそうなことがあるかも!?と気づきを感じることもできるブログだと思います。

 

ぜひ、ご覧くださいね~。

 

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