難病で脳出血…後遺症と闘う俳優・間瀬翔太「はうた」の由来と看護学校挑戦、結婚・現在の姿

間瀬翔太さんのプロフィール

間瀬翔太さんは1986年4月27日に生まれた俳優であり、元アイドル、難病インフルエンサーとしても知られています。

本名は間瀬翔太で、別名義としてはうたを使用しています。

出身地は北海道夕張市で、育ちは東京都世田谷区の三軒茶屋や三宿周辺です。

身長は164cm(自称168cm)、血液型はA型です。

世田谷区立池尻保育園、池尻小学校、池尻中学校を卒業しています。

高校は芸能活動を優先したため卒業していませんが、後に高等学校卒業程度認定試験に合格しました。

幼少期は両親が共働きで、家政婦さんに育てられる時間が多かったといいます。

 

 

明るくやんちゃな性格だった一方で、母親から「人には優しくするんだよ」と教えられて育ったそうです。

小学生の頃は家族で揃って食事をする機会が少なく、そうした環境が後の結婚願望にもつながったと語っています。

学生時代は特に目立った部活動の記録はありませんが、17歳の頃からストリートダンスに親しんでいました。

 

項目詳細
生年月日1986年4月27日
出身地北海道夕張市(育ちは世田谷区三軒茶屋)
学歴池尻保育園・小学校・中学校卒業、高校未卒業(後に高卒認定取得)
血液型A型
身長164cm(自称168cm)

 

アイドルデビューから俳優への道

間瀬翔太さんは17歳の頃、代々木公園でストリートダンスをしているところをスカウトされました。

アイドルグループ「BLIZZARD」(ブリザド)のメインボーカルとしてデビューし、2006年まで活動しました。

グループ解散後は俳優として活躍の場を広げ、『龍が如く6』や『愛なき森で叫べ』、『妖ばなし』、『現代怪奇百物語』などに出演しています。

主に悪役を演じる機会が多く、個性的な演技で注目を集めました。

2018年には新曲『Butterfly Effect』がテレビドラマ『家政婦は見た!』のエンディングテーマに起用されるなど、歌手としての一面も発揮しています。

過去には暴走族だったことをテレビ番組で公表しており、波乱に富んだ青春時代を過ごしたことがうかがえます。

特技は声マネ、即興なぞかけ、即興ラップなど多岐にわたります。

 

難病・脳動静脈奇形と脳出血の発覚

2019年7月、レコーディング中に突然激しい頭痛に襲われました。

頭を壁に打ち付けられたような衝撃を感じ、すぐに病院へ向かったところ、脳出血と診断されました。

さらに詳しい検査の結果、10万人に1人の先天性難病である脳動静脈奇形(のうどうじょうみゃくきけい)であることが判明します。

この病気は脳内で動脈と静脈が直接つながり、異常な血管の塊ができるもので、破裂すると脳出血を引き起こします。

芸能人としては初の患者とされ、大きな話題となりました。

開頭手術は約6〜7時間に及び、左側の頬骨を一時的に外し、頭蓋骨に金属プレートを取りつける大手術でした。

術後は顔が大きく腫れ上がり、一時的に「顔面崩壊」と呼ばれる状態になったといいます。

命の危険もあった中で一命をとりとめましたが、後遺症との長い闘いが始まります。

 

項目詳細
病名脳動静脈奇形(10万人に1人)
発症時期2019年7月
主な症状脳出血、激しい頭痛
手術内容開頭手術(約6〜7時間)
後遺症記憶障害、てんかんなど

 

後遺症との闘いと現在の状況

手術後の後遺症として、記憶障害とてんかんが現れました。

漢字が読めなくなったり、計算を忘れてしまったりと、日常生活に大きな影響が出ています。

見た目ではわかりにくい障害のため、優先席で舌打ちをされたり、誤解される経験も重ねてきました。

障害者手帳を取得し、精神障害者保健福祉手帳を持つようになった間瀬翔太さん。

最近では、てんかんの発作による脳の海馬部分へのダメージで、新たな障害が診断されたことも明かしています。

手術から約7年が経過した現在も、毎晩「明日も目が覚めますように」と願いながら眠りにつく日々が続いているそうです。

それでも前向きに生きる姿勢を崩さず、難病の啓発活動や署名活動に力を注いでいます。

成人後は難病指定の対象外となるこの病気の指定拡大を求め、同じ患者のために声を上げ続けています。

 

「はうた」の由来とは

間瀬翔太さんの愛称であるはうたには、意外な由来があります。

病気の影響で筆記が乱れ、病院で名前のふりがなを書いた際に「しょうた」が「はうた」と誤読されたことがきっかけでした。

「し」と「よ」が合体して「は」に見えたため、受付職員から「ませはうた」と呼ばれたのです。

このエピソードは本人もブログなどで触れ、親しみやすいニックネームとして定着しました。

YouTubeチャンネル名にも「はうたの動く城。」を使用するなど、自身の活動の一部に取り入れています。

難病を抱えながらもユーモアを忘れない姿勢が、多くの人に好感を持たれる理由の一つとなっています。

 

看護学校への挑戦と准看護師資格取得

入院中に看護師さんたちに心身ともに救われた経験から、「救われる側から救う側になりたい」という強い思いが芽生えました。

中卒だったため、まずは准看護師を目指すことを決意します。

2023年に看護学校(准看護学校)に入学し、2年間の学びをスタート。

記憶障害を抱えながらも、小学校レベルの勉強からやり直し、高卒認定試験にも並行して合格しました。

授業中にてんかん発作を起こしたり、通学中に記憶を失ったりと困難も多かったものの、周囲のサポートに支えられました。

2025年に准看護学校を無事卒業し、准看護師試験にも合格。

免許証を取得し、「救われる側から救う側への第一歩」を踏み出しています。

現在は正看護師を目指して勉強を続けているそうです。

 

時期内容
2023年准看護学校入学
2024年高卒認定試験合格
2025年准看護学校卒業・准看護師資格取得
現在正看護師を目指して勉強中

 

結婚と馴れ初め、家族の支え

2020年3月、間瀬翔太さんは一般女性との結婚を発表しました。

前年(2019年)からお付き合いを始めていた相手で、仕事の都合で発表が遅れたものの、誕生月である4月を前に報告したといいます。

結婚願望は小さい頃からあったそうで、「まさか本当にこの日がくるとは」と喜びを語っています。

詳細な馴れ初めは公表されていませんが、難病発覚前後の厳しい時期を支え合ってきた関係性がうかがえます。

妻は一般の方で、病を抱えながらも二人で乗り越えていく姿勢を大切にしているようです。

幼少期に両親が離婚し、家族で揃って過ごす時間が少なかった経験が、結婚への思いを強くした一因とも言えます。

現在も妻の支えを受けながら、後遺症と向き合い、活動を続けています。

 

項目詳細
結婚発表2020年3月
お相手一般女性
交際開始2019年頃
家族背景幼少期に両親離婚、妹がいる

 

現在の活動とこれからの目標

間瀬翔太さんは難病インフルエンサーとして、ブログやSNS、YouTubeを通じて闘病の様子や後遺症のリアルを発信し続けています。

俳優活動も継続しつつ、准看護師の資格を活かした未来を見据えています。

記憶障害やてんかんを抱えながらも、「生きるってめちゃくちゃ難しいけど、本当に幸せ」と前向きな言葉を紡いでいます。

同じ病気で苦しむ人々へのエールや、難病指定を求める署名活動も精力的に行っています。

看護学校での学びを通じて得た知識を、啓発活動に活かそうとする姿は多くの人に勇気を与えています。

後遺症は今も続きますが、リハビリを重ね、趣味のゴルフを始めるなど、少しずつ新しい挑戦を続けているそうです。

「病気に掛かったからこそ見える世界に、いまは少しだけ感謝しています」という言葉には、深い実感が込められています。

間瀬翔太さんのこれまでの歩みは、逆境を力に変える力を私たちに教えてくれます。

これからも難病と向き合いながら、救う側として、そして表現者として活躍が期待されます。