財津和夫チューリップ時代ファンが…妻と子どもの家族愛エピ!松田聖子の名曲秘話や小田和正との絆







小田和正さんのプロフィール

財津和夫さんは、1948年2月19日生まれのシンガーソングライター、作曲家、音楽プロデューサーです。

福岡県福岡市出身で、西南学院大学法学部を中退しています。

5人兄弟の末っ子として生まれ、両親は戦時中に朝鮮半島から引き揚げ、福岡競輪場で食堂を営んでいました。

幼少期は貧しいながらも、映画やFENの洋楽に親しみ、アメリカ文化に憧れを抱いていました。

小学生時代は転校を繰り返し、競輪場近くの賑やかな環境で育ちました。

 

 

学生時代と音楽への目覚め

福岡県立香椎高校時代、ビートルズに強く影響を受け、独学でギターを学びました。

ブラスバンド同好会でアルトホルンを担当し、映画同好会も立ち上げるなど、多才な一面を見せていました。

高校卒業後、一浪して西南学院大学法学部に入学しますが、音楽活動に夢中になり中退しています。

大学在学中に吉田彰さんとザ・フォーシンガーズを結成し、1971年にチューリップに改名しました。

チューリップとして福岡の音楽喫茶「照和」でライブを重ね、1972年に「魔法の黄色い靴」でデビューを果たします。

 

チューリップ時代のブレイクとハプニング

デビュー当初は苦戦しましたが、1973年の「心の旅」が大ヒットし、一躍人気バンドとなりました。

「青春の影」「サボテンの花」「虹とスニーカーの頃」など、数々の名曲を生み出しました。

チューリップ時代には大雪で楽器が届かないハプニングもあり、コンサートが危ぶまれるトラブルを経験しています。

メンバー脱退などのトラブルもありましたが、財津和夫さんはリーダーとしてバンドを牽引しました。

 

一人暮らし時代のファンエピソード

心の旅がヒットした後、財津和夫さんは高円寺で一人暮らしを始めました。

当時はドアを開けて寝るほど治安が良く、ある朝セーラー服の女子高生に起こされるという驚きの出来事がありました。

ファンが電話帳で住所を調べ、玄関が開いていたため入ってきたそうです。

財津和夫さんは真面目に対応し「お父さんお母さんに怒られるよ」と追い出したといいます。

電話も頻繁にかかってきて、毛布で包んで寝るほどだったそうです。

 

妻・知都子さんとの馴れ初めと結婚

1985年2月、財津和夫さんは同郷の知都子さんと結婚しました。

知都子さんは11歳年下で、知人の紹介で出会い、7年ほどの交際を経てゴールインしています。

結婚式や披露宴は挙げず、シンプルな形で新生活をスタートさせました。

新婚早々、チューリップのメンバー脱退という大きな変化がありましたが、妻の支えが大きかったといいます。

財津和夫さんは妻から一度だけ曲についてダメ出しを受けたエピソードを明かしており、家族の意見を大切にしています。

 

子どもたちとの家族愛エピソード

財津和夫さん夫妻には一男一女がいます。

長女の慶子さんは一時期声優活動も行っていました。

子育て時代は仕事が忙しく、妻に多くを任せていたものの、家族の絆はとても強いです。

子どもと自分の創作活動を比べてスランプに陥った時期もありましたが、家族の存在が励みになりました。

長女の慶子さんとの対談では、孫を「無責任に可愛い」と語り、親の頃より余裕を持って接している様子がうかがえます。

慶子さんからは、父親が信頼して突き放すスタンスだったと振り返られています。

 

家族構成詳細
知都子さん(11歳年下、同郷)
子供一男一女(長女・慶子さん)
結婚年1985年

 

松田聖子さんとの名曲秘話

財津和夫さんは松田聖子さんに24曲以上を提供し、彼女の歌姫への道を大きく支えました。

代表曲には「チェリーブラッサム」「夏の扉」「白いパラソル」「野ばらのエチュード」などがあります。

提供はすべて曲先で、作詞家の三浦徳子さんや松本隆さんが苦労されたと振り返っています。

直接会った機会は少なく、レコーディングをガラス越しに見て会釈した程度だったそうです。

財津和夫さんは松田聖子さんの伸びやかな声を聴き、自分が歌いたくなるような曲を書いたといいます。

プロデューサー若松宗雄さんの意向で依頼を受け、ビートルズ影響下のポップでロック色のある曲調が聖子さんのイメージを変えるきっかけとなりました。

聖子さん本人は当初「チェリーブラッサム」に戸惑い、2日間かけてレコーディングしたエピソードもありますが、今ではお気に入りの一曲です。

2020年には36年ぶりに「風に向かう一輪の花」を提供し、再び話題を集めました。

松田聖子さんの精力的な姿勢を「持って生まれたものが違う」と称賛し、ヴィヴァルディの四季のようなイメージで作曲した曲もあるそうです。

 

小田和正さんとの固い絆

小田和正さんとは1969年のヤマハライトミュージックコンテストで出会った古くからの友人です。

互いを「戦友」と呼び、昔は2人でゴルフを楽しむ仲でした。

オフコースを憧れの存在として尊敬し、音楽シーンを共に切り開いてきました。

財津和夫さんは小田和正さんの音作りや信念を高く評価しており、「小田さま」と呼ぶほどです。

1985年の「今だから」では小田和正さん、松任谷由実さんと共作し、坂本龍一さんがアレンジを担当しました。

後年も小田和正さんに楽曲提供を依頼するなど、長年にわたる交流が続いています。

コンテスト時代に小田さんが財津さんのバンドを高く評価していたエピソードもあり、互いの才能を認め合う関係です。

ソロアルバムでマルチ演奏した楽器について小田さんから「下手だね」と言われたエピソードでは、シュンとしてしまったと笑い話にしています。

 

病を乗り越え現在も活躍

2017年に大腸がんを公表し、手術や治療でツアーを一時中断しました。

抗がん剤治療の副作用に苦しみましたが、見事に復帰し、コンサートや執筆活動を続けています。

自伝『大丈夫さ 私の履歴書』では家族や音楽人生を赤裸々に語っています。

 

主な出来事
大腸がん公表2017年
活動再開2018年
松田聖子さん新曲提供2020年

 

財津和夫さんの魅力とは

チューリップ時代から続くメロディーメーカーとしての才能と、家族を大切にする温かい人柄が魅力です。

妻や子どもたちとのエピソードからは、音楽と同じくらい家族愛が人生の原動力であることが伝わってきます。

これからも心に響く歌を届け続けてほしい存在です。