内海桂子師匠死去!直弟子は?ツイッター!夫・息子は?若い頃画像

2020年8月28日お笑いタレント

漫才師、女優として活躍の内海桂子(うつみけいこ)師匠。

 

本名安藤良子さんといいます。

 

芸能界デビューは16歳のころだそうですが、家計に収入を入れ始めたのは、まだ小学校低学年の時。

 

かご職人の父親と母親が離婚。

 

母親とともに実家の床屋で働いていましたが、再婚したことをきっかけに、幼ながらも実家近くに安い貸家があることを母親に教えます。

 

月の家賃は安かったのですが、入居の際の敷金があったことを知り、近所のお蕎麦屋さんの手伝いや小守の奉公に出たそうです。

 

ほかにも下駄の鼻緒の内職で1日10銭、自身で稼いだお金で三味線(11歳の頃から)や踊りを習いに行きました。

 

このため、学歴は小学校3年までしかないそうです。

 

戦時中・後の時代が時代とはいえ、大変な幼少期を過ごされていたのですね。

 

 

では本題です。

 

内海桂子師匠死去

 

内海師匠、御年90歳半ばを過ぎ、身近な人物に先立たれてしまう事がありました。

 

後にお伝えしますが、長男に先立たれています。

 

内海師匠が28歳、好江さんが14歳の頃に「内海桂子好江」としてデビュー。

 

その好江さんが、1997年にガンにより、享年61歳という若さで亡くなってしまいます。

 

2016年には、内海師匠が所属する「マセキ芸能社」を長年率いていた会長の柵木真(ませき・まこと)さんが死去。

 

これからも健康に気を付け長生きして活躍されることを期待しておりますが、身近な人物に先立たれてしまうのは本当に悲しいことですね。

 

そして、2020年8月末、内海桂子師匠が死去という悲しいニュースが流れました。

 

 

多臓器不全で死去ということですが、御年97歳、大往生ですね。

 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

直弟子は?

 

内海桂子師匠、「師匠」と呼ばれるからには、お弟子さんがいるわけですがどなたなのでしょうか?

 

内海桂子さんの所属事務所「マセキ芸能社」に所属している後輩たちはみんな弟子だということで、お笑いユニット「ウッチャンナンチャン」も弟子だと話されていたことがありました。

 

色々調べてみますと、直接教えを受けた直弟子(ジキデシ)に当たるのは、「ナイツ」・と「笑組」など。

 

ナイツの二人は2001年から直弟子になりました。

 

 

近年のスピード感のあるお笑いも面白いですが、古典的な漫才もじ~んわりくる面白さがあり、直弟子たちも大切に受け継いでほしいものです。

 

 

ツイッター

 

内海桂子師匠は、2010年よりツイッターのアカウント(@utumikeiko)をお持ちです。

 

フォロワー数は、2019年1月現在47万人をこえるというスゴさ。

 

また、マネージャーなど関係者が内海さんの名前でアカウントを作って出演情報などを流しているというわけではありません。

 

本当に内海桂子師匠ご本人発信のツイッターなのです。

 

御年、90歳半ばを過ぎていらっしゃるのですが、なんと毎日更新ツイートされています。

 

 

2020年の4月まで、ツイートされていました。

 

若者も中年層も負けていられませんね!

 

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・子供の現在は?

 

内海桂子さんには、子供が3人いらっしゃいます。

 

息子、娘、息子の順で誕生しており、苗字は「安藤 立川 佐々木」と3人とも父親違いなのだそうです。

 

一人目は嫁の妊娠、二人目は嫁の病気がきっかけで、男女のコンビ漫才の代役を務めたことがきっかけ。

 

コンビ漫才ということで、地方巡業では夫婦ではなくとも同室にされたそう。

 

二人目の方との間に娘が誕生した時には、相手の本籍のある広島県に婚姻届けを提出したそうですが、原爆投下・戦後の混乱のため手続きされていませんでした。

 

ということで、1999年の内海師匠が77歳の頃に結婚した現在の夫、成田常也さんが戸籍上、初婚ということになります。

 

3人の子供から、孫が6人、ひ孫は7人(2017年現在)誕生しているそうです。

 

お孫さんのひとりは、東京都台東区にある居酒屋「卯月」を経営されています。

 

ひ孫の中にはすでに中学生もいるそうですので、もしかすると玄孫もすでにいらっしゃるのかもしれませんね。

 

ゴッドマザーです。。。

 

 

現在旦那成田常也さんとのなれそめは?

 

内海桂子師匠は1999年に成田常也さんと結婚

 

内海師匠よりも、成田常也さんの方が24歳年下。

 

 

内海師匠の長男よりも5歳年下で、長女と同じ年なのだそうです。

 

成田常也さんは、子供の頃から漫才や落語が大好きでラジオでよく聞いていたのだそう。

 

その頃から、特に「内海桂子好江」や「林家三平」の大ファンだったそうです。

 

職歴は、日本航空系列のアメリカにある航空会社に勤めていました。

 

年に数回アメリカ各地で行われている「日航寄席」という演芸会があり、当時成田さんは日本から出演してくれる芸人を呼ぶ担当でした。

 

1987年のロサンゼルス公演の出演を依頼するため、日本へ国際電話をかけたところ内海師匠本人が電話に出たのだそうです。

 

それから1か月後に初対面し、もともと大ファンであったこともありますが、内海師匠の人柄や着物姿の美しさに一目ぼれしてしまったそうです。

 

そして公演後、楽屋へ挨拶へ…そこから一年近くアメリカから毎日手紙を送るという成田さんの猛アタックがはじまりました。

 

当時は娘と同居していた内海師匠。

 

また変な人から手紙が来ていると毎日孫がもってきたそう。

 

最後の1通に「アメリカで一緒に暮らさないか。」とプロポーズされました。

 

答えは、もちろんお断り。

 

仕事や母や子供・孫をから離れ、アメリカで生活するなんて考えられませんものね。

 

すると、成田さんが「私が日本へ行きます。」と長年勤務した優良企業の航空会社の地位や収入を捨て、日本へ。

 

帰国してから2年ほどは、インテリア関係の社長室長のお仕事をし、その後内海師匠のマネージメントを行うようになりました。

 

1990年に同棲を始め、事実婚状態になりました。

 

同居の当初は、内海師匠の長男から「遺産狙いでは?」と交際を猛反対されたそうで、「自分より年下の父親なんて認めない。」と絶縁状態となってしまいました。

 

内海師匠の方に籍を入れる形で、1999年に出雲大社で挙式を挙げました。

 

内海師匠も成田さんもこれが初婚でした。

 

外ではマネージャーとして、家では掃除や料理などの家事をすべて成田さんが行い、公私ともに内海師匠を支えています。

 

次第に成田さんの誠実さが家族にも伝わり、ガンにより先立ってしまった長男からも「母を頼みます。」と託されました。

 

互いの家での呼び名は、「パパさん」「先生」と呼んでいるそう。

 

最近では成田さんのことを「骨ひろい」と紹介することもあるそうです。

 

お出かけの時には腕を組んで歩くなど、アツアツぶり。

 

出会った年齢は、お互いに遅かったのですが、それを埋めるかのような、仲の良さ。

 

人生の後半は幸せそうで、うらやましい素敵な人生でしたね。

 

今回はここまでです。
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