高瀬統也音楽ルーツは祖母?音痴少年が香港1位「どうして」feat.野田愛実の億超え軌跡と英語・広東語力

高瀬統也さんのプロフィール

高瀬統也さんは1996年11月26日生まれのシンガーソングライターです。

愛知県丹羽郡扶桑町出身で、身長178cm、血液型はA型。

ほぼ全ての楽曲の作詞・作曲を自ら手がけ、ボーカルだけでなくギターやキーボード、ピアノもこなします。

所属は自身が代表を務めるTTT inc.で、レーベルも同名です。

 

項目内容
生年月日1996年11月26日
出身地愛知県丹羽郡扶桑町
身長・血液型178cm・A型
職業シンガーソングライター・作詞家・作曲家・経営者
活動開始2019年(本名名義)

幼少期から祖父母と一緒に暮らす環境で育ちました。

歌うことが身近だった一方で、スポーツにも積極的に取り組んでいた少年時代を送っています。

 

 

音楽のルーツは音痴だった少年時代と祖母の存在

音楽の原点は意外にも音痴だったことにあります。

9歳の頃、カラオケで徳永英明さんの「レイニーブルー」を歌ったところ点数が極端に低かったのがきっかけです。

当時ボーカルトレーナーをしていた祖母の指導を本格的に受けるようになりました。

歌が身近な存在になったのは、この祖母の影響が大きいと本人も語っています。

小学校時代はクラシックピアノも習っていました。

ただし真面目に通うタイプではなく、「ピアノの教室に行ってきます」と言いながらサッカーや野球をして泥んこになって帰宅するような子だったそうです。

母親はバスケの選手で、父親は新聞の会社に勤めていました。

両親と同じ道は歩みたくないという思いがあり、高校時代には美容師を目指そうと考えた時期もあったといいます。

様々な習い事を経験しながら、飽き性な性格がすでに表れていたようです。

 

時期エピソード
9歳頃音痴がきっかけで祖母のボイストレーニング開始
小学校ピアノ教室に通うもスポーツ優先
高校時代カラオケにはまり友人に歌唱力を褒められる

高校時代にカラオケにはまり、友人から「歌唱力が高い」と評価されたことが大きな自信につながりました。

その頃から本格的に音楽への関心を深めていきます。

 

17歳で音楽を本格スタート ギターとの出会いと路上ライブ

17歳の高校1年生の時、音楽の授業で初めてギターを手にしました。

課題曲の「カントリーロード」を練習する中で、隣の席の女の子の方が上手だったことに悔しさを感じます。

「絶対うまくなってやる」という反骨精神から猛練習に打ち込みました。

課題曲にひと月で飽きてしまい、オリジナル曲を作り始めます。

その年の冬には「TO-YA」名義で路上ライブをスタート。

最初は人がまったく集まらない状況でしたが、半年ほど続けると父親に頼んで焼いてもらったデモCDを配り、SNSで発信するようになりました。

2014年12月12日には「うたのきもち」でCDデビューを果たしています。

父親が車の中で流していた音楽が大きな影響を与えました。

特に黒沼英之さんの楽曲「ふたり」に衝撃を受け、歌い方や曲作りを研究し尽くしたほど大好きだったそうです。

「この人に会いたい」と思っていた矢先、黒沼英之さんが活動を休止。

泣くほどのショックを受けたエピソードも本人が語っています。

音楽活動を始めてから約10年後、念願の対面が実現します。

そのきっかけとなったのが、松室政哉さんでした。

松室政哉さんが黒沼英之さんの活動再開に伴うサウンドプロデュースを担当していた縁で、高瀬統也さんは黒沼英之さんと直接会うことができました。

松室政哉さんは自身のシンガーソングライター活動と並行して、他アーティストへの楽曲提供やプロデュースも積極的に行っています。

黒沼英之さんの「HOPE」「Selfish」「涙」といった楽曲のサウンドプロデュースを手がけ、活動再開を支えた存在です。

高瀬統也さんにとって、憧れのアーティストと会える夢がかなった瞬間であり、音楽人生における大切なターニングポイントの一つとなりました。

影響を受けたアーティストとして黒沼英之さんのほか、近藤晃央さんやうたまろさんも挙げています。

 

本名「高瀬統也」での再スタートと香港での大ブレイク

TO-YA時代はオーディションを受けて賞を獲得し、レコード会社に所属する順調なスタートを切りました。

しかし「やりたい音楽」と「やらなければならない音楽」のギャップに悩み、心がコントロールできなくなります。

22歳の頃にレコード会社を離れ、うつ病をきっかけに活動を休止した時期もありました。

ラジオ局の知人から「自分に嘘を一切つかない曲を出してみたら?」というアドバイスを受けます。

嘘がないものとして「名前」にたどり着き、2019年2月に本名の高瀬統也名義で活動を再開。

最初の楽曲「I can’t stop loving you feat. 大知正紘」のMV公開時には、これまでのファンが驚くほどのテイストの変化で話題になりました。

2020年リリースの1st EP『Now the Won』が翌年、香港のエレクトロニックトップチャートで1位を獲得。

iTunes Store(香港)総合トップアルバムでも9位を記録し、香港を中心にアジア圏でファンが急増します。

続くミニアルバム『MEMO RANDUM』でも香港チャート1位を達成し、二冠を獲得しました。

特に「備忘録 Self Cover Ver.」がTikTokで1日150万回再生を記録するなど、バイラルの勢いが加速。

本人は「特に海外を意識して作ったわけではなかった」と驚きを隠せず、大きな自信につながったと語っています。

 

「どうして」feat.野田愛実が億超えの大ヒット

2022年1月22日にリリースされた「どうして feat. 野田愛実」は、キャリアを決定づける代表曲となりました。

野田愛実さんとは以前から仲が良く、「I can’t stop loving you」をきっかけに交流が深まっていました。

当初は一人で歌う予定でしたが、「野田愛実さんが歌ったら絶対合う」と感じ、デモを送ったところ快諾。

TikTokでの広がりをきっかけにSpotify Japanバイラルトップ50に登場し、トップ10入り。

バイラルチャートに100日以上ランクインし、Apple Musicエレクトロニックトップソング日本で1位を獲得するなど、各配信サービスで大きな動きを見せます。

ロングヒットの末、再生回数は12億回を突破。

億超えの数字は、インディーズ出身のシンガーソングライターとして異例の成果です。

本人は「実感が持てない」と何度も語りながらも、「曲が勝手に一人歩きする感覚を味わった」と振り返っています。

 

楽曲主な実績
どうして feat.野田愛実再生回数12億回突破、バイラルチャート長期ランクイン
Now the Won / MEMO RANDUM香港エレクトロニックチャート1位(二冠)

このヒットを追い風に、香港での初ワンマンライブ2DAYSを成功させ、その後もアジアを中心に活動の場を広げています。

 

英語力と広東語力 香港への本気のアプローチ

海外での人気が広がる中で、言語への取り組みも話題です。

本人はインタビューで「英語は話せないです!めちゃくちゃ日本語で話します」と明言しています。

一方で香港のファンが増えたことをきっかけに、本気で広東語の勉強を始めました。

約2年間取り組み、少し話せるようになったと語っています。

香港のチームには広東語を教えてくれるスタッフや翻訳・通訳担当がおり、ライブハウスの手配など現地活動を支えてくれました。

YouTube動画に広東語字幕を付けたり、現地の流行をリサーチしたりと、積極的な姿勢を見せています。

ライブでは簡単な広東語の挨拶を交える場面もあり、ファンとの距離を縮めています。

「英語も楽しくなってきた」と語る一方で、あえて日本人らしさを消さずに活動を続けるスタンスを貫いています。

海外ファンからは「TOYA」と親しみを込めて呼ばれることが多く、日本語を話せるファンも少なくないそうです。

 

現在の活動とこれからの軌跡

飽き性で一つのジャンルにとどまれない性格が、ジャンルレスな楽曲の魅力につながっています。

アコースティックからエレクトロニック、R&B、ヒップホップ要素まで幅広く挑戦。

2022年に起業し、自身のレーベルで他のアーティストのプロデュースも手がけるようになりました。

香港チャート3冠を皮切りに、80カ国以上でアルバム1位を獲得。

Spotifyの月間リスナー数は100万人クラスを常連とし、総再生回数は30億回をはるかに超える規模に成長しています。

2025年にはワールドツアーを実施し、2026年には5thアルバム『∞』をリリース予定。

「音楽は永遠に人を孤独から救える」という思いを込め、終わりのない感情をテーマにした作品を届け続けています。

祖母のボイトレから始まった音痴だった少年の軌跡は、香港での大ブレイクと「どうして」feat.野田愛実の億超えヒットを経て、今も広がりを見せています。

憧れの黒沼英之さんとの出会いを松室政哉さんのプロデュース活動が後押ししたように、音楽のつながりが新たな道を切り開いてきました。

意外にも英語は得意ではないながらも広東語を学び、国境を越えてファンとつながる姿勢は、多くの人に勇気を与える存在となっています。